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皆伐再造林を前提とした森林管理の未来

※ 2019/5/31 excite blog より一部改訂して転載

大学院に社会人入学していたスタッフが、宮崎の社有林の経営の歴史について、先日修論としてまとめました。研究の対象となった山林は、戦前から皆伐再造林が繰り返し行われ、トラック道や高性能林業機械なども早い時期に導入されてきた ”先駆的” な場所でもあります。

つまり、この山の今の姿は、ある意味「日本の林業の未来の姿」をイメージするときの、ひとつの材料となるのかもしれません。そこで調査・分析の結果に私自身の解釈・感想も加えて、この場で要約的な(でも長文になってしまいました)解説を試みたいと思います。


下図は、ある時点での人工林(スギ・ヒノキの植林地)全体について、植栽年度別の面積を棒グラフにしたものです。

S社山林の人工林面積の推移(横軸が年度、縦軸が面積)

〇1期:~1905(~M38)
もともとはスギの枝を1,000本/ha以下という低密度で山に直挿しして無間伐で育て、30年後くらいまでに収穫(主伐)するという、江戸時代から行われてきた飫肥杉林業の山でした。データが乏しいためはっきりとは言えないのですが、植林の面積は限定的だったと考えられています。

〇2期:1906~1947(M39~S22)
図の上の段、1942年(昭和17年)の状況を見てみますと、大正の終わりから昭和の初めにかけてたくさんの面積が植林されていることが分かります。これは明治に入ってドイツ林学が持ち込まれた後、2,500~4,000本/haという現在でも一般的な密度の植林がこの地でも始まった時期です(第1次造林時代)。

富国政策や戦時需要などから天然林も大規模に伐採された時代で、跡地の場所の良いところはスギ・ヒノキの人工林に取って替わりました。日本では戦後に盛んとなった拡大造林の先駆けともいえます。1935年(昭和10年)までに全山2,200haのうち人工林面積は1,200haとなり、現在までこの面積は変わっていません。

〇3期:1947~1980(S22~S55)
図の中段、1974年(昭和49年)の状況を見てみましょう。第1次造林時代に植えて40年生前後になった人工林を皆伐し、再造林したことが分かります(第2次造林時代)。トラック道の建設が1960年から始まり、チェンソーや集材機の導入など機械化が進みました。また、1980年のピークに向けて丸太価格が高騰していった時代でもあります。この時の再造林は政府系金融機関からの借り入れによって行われましたが、これが後々効いてくることになります。

そして、この時期の後半の1970年代に、皆伐から収穫間伐に切り替えが行われています。材価が上がり続けている時代なのになぜか?は後述します。

図の下段は2018年(平成30年)、今現在の状況です。第2次造林時代に植えた木が再び40年生前後となり、平成に入ってから皆伐・再々造林が行われています(第3次造林時代)。

しかし、上の2つの図と明らかに違うのは、大きな山が2つできていること。左側の山は、第2次造林時代に植えた木の半分程度がまだ主伐されていないことを示しています。つまり、40年程度の周期で植えて伐るを繰り返すという前提が、ここで崩れたことになります。3期後半から4期、5期にかけて何が起きたのでしょうか。

〇4期:1981~1996(S56~H8)
3期の終わりごろと同様に、育林と収穫間伐を行っていた期間ですが、1980年をピークとした丸太価格が右肩下がりに急落していく始まりとなった時期でもあります。その穴を埋めるため、3期から継続してきたトラック道の建設に加え、フォワーダ、タワーヤーダ、林業用トラクタなどの高性能機械の導入により、搬出コストの削減を図りました。

〇5期:1997~2010(H9~H22)
しかし、第2次造林時代の借入れの返済には収穫間伐だけでは追い付かず、第2次造林時代の林分が収穫できるサイズになってきたこと、そして大規模所有者にも造林補助金が交付されるようになって、再び皆伐に切り替えます。ハーベスタやグラップル付き大型トラックも導入してさらなるコスト削減を追求しましたが、丸太価格はそれ以上の勢いで下落を続け、ついに丸太を売って得られる利益が簿価(造林の投資総額)を下回ります。

それは、造林資金借入れの返済が不可能(経営破綻)となることを意味し、前所有者は2008年、山林および山林事業の譲渡に踏み切りました。このとき、奥山過ぎる、成長が悪いなどの理由で「伐っても合わない」と経営的に判断され伐り残された部分が、今のグラフに表れている左の山ということになります。

〇6期:2010~(H22~)
山を引き継いで2年ほど検討しましたが、今残っている林分を皆伐しても簿価を回収できないということ、更には皆伐再造林を全山に適用することへの国土保全上の疑問から、森林所有者として皆伐の中止を決めます(完全に中止するのは2014年)。現在は保安林事業などの公共事業を活用させていただきながら、新たな森づくり、そして新たな生産システムの模索を続けています。


以上の山林経営の経緯の中で、ひとつポイントがあって、3期の終わりころ、1960年代終わりから1970年代にかけてのことです。それは、丸太価格がバブルを迎えていたころ、なぜ皆伐から間伐に切り替えたのか?ということです。

当時皆伐できる山は減ってきてはいましたが、伐りつくしたわけではありませんでした(なので4期に間伐収穫を続けられている)。その疑問を解き明かすのが次のグラフです。

S社山林に記録されていた労働賃金のデータを筆者がグラフ化したもの

丸太価格も上がっていますが、賃金がそれを上回る勢いで高騰しています。収穫にかかるコストは機械化である程度削減できます。しかし造林(植付、下刈、除間伐)にかかるコストは人件費の上昇がストレートに反映されます。つまり、植えて育てるコストが厳しくなってきたというのが、3期の終盤に間伐に切り替えた背景としてあったわけです(当時は大規模所有者は造林補助金の対象ではありませんでした)。

この先丸太価格は急落し、そして労賃はさらに上がり続け破綻を向かえるのですが、経営悪化はこの1970年頃に既に始まっていて、労働集約型の資産づくり(森づくり)を面的に事業展開・継続することはこの先難しくなる、ということはこの時に予測できた可能性もあります。しかし、後から考えるから言えることであって、木材バブルというのはそういった声を先送りするのに十分な経験だったのかもしれません。


※以上の調査・分析はもともとは相当なボリュームで、実際には相続や多角化への投資、木材マーケット変化あるいは林業会計のことなど、複雑な事情が絡んでいます。ここでは造林と木材生産に絞ったかなり端折った表現になっていることをお断りいたします。


私が思うことは2つあります。1つめは、時代の流れ(空気?)に沿って「真面目に」取り組んでいるだけでは、山林経営はうまくいかない、ということ。

2つめは、現状の林齢別のグラフ(2018年)に、国全体の未来を連想してしまうことです。パッと見たとき、林齢が一つに偏っていなくて分散しているのは良いことではないのか?と思いがちですが、条件の悪いところが伐られずに残ったというのが実態で、これを経営上どうするかというのは極めて難問です。

制度的なことをここでは考察しませんが、これからの森林管理は地域格差が大きく拡大していく時代になるのではないか、そんな気がしています。

地域に責任を持つ人や組織がいて、住民がそれを応援するような地域社会であれば制度をうまく使いこなして良い方向に行くだろうし、信頼関係がなくお互いに足を引っ張るような地域社会では、さらに破綻に向かっていくかもしれません。

ではどうすれば良いのか、という方法論はいろいろあるのでしょうけれども、私がこの10年近く言い続けているのは、皆伐再造林を前提としない施業林を、全体の1%でも良いので始めていきませんか、ということです。

そこには大きな林業と小さな林業のどちらが正解か、という対立的な議論ではなくて、集約的に手間暇をかけられる部分と自然がやることは自然に任せて投入コストを減らしていく部分と、その見極めをいかにするか。そのような視点で一つ一つの現場を作っていき、そのために必要な制度・研究を求めていく行動が必要だと考えます。

前提が変われば勉強しなければならないことも、身につけなければならない技術も変わっていきます。変わるのは大変ですが、一辺に全部変わるのではなくて試しながら少しずつ…と慎重に、でも気楽に気長に考えてみませんか。どんなに頑張っても年輪は年に1つしか増えないのですから。


戦前には既に拡大造林が完了していたという、ある意味特殊な山林のお話。

結果として、事業資金を調達して投資して回収する、という「普通」のビジネスは通用しなかったということなのですが、大規模所有者には補助金が出ない時代があったことが、解析上は幸いしました。調達と投資の部分が補助金制度で隠れてしまう経理管理だと、このあたりの分析がやりにくくなってしまいます。

林業を林業だけで考えていたら未来がないのは明らか。だからといって、生業を諦めて公益管理に移行すれば良いのではないか、という二者択一論には危険を感じます。なぜならば、公共だから持続的かと問われれば、その答えはみんな知っているはずだから。

タテワリでは対応できないので、横のつながりにシフトしていく、という流れがたぶん現実路線。そうなると、分かる人が分かっていれば良い、から、どのように知ってもらうか、になってくる。その時に、山に関わる私達には、自分たちの日々の振る舞いをオープンにする覚悟が求められます。

何を想うか感じるかは人それぞれだと思いますが、今回の調査は事実として是非多くの方に知っていただきたいデータです。

地域の未来を考えるときに、この少しだけ「先に経験した」事例が何らかの参考になれば幸いです


森づくりに必要なのは、勤勉さではなく忍耐力だ。(アウグスト・エルニ)

森づくりを行うものは、知的な怠け者でなければならない。できるだけ自然に仕事をしてもらい、時々その方向を修正するように手を入れるだけ。(ハンス・ライブンドグート)

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