近自然森づくりの考え方は、簡単には広まらない
近自然森づくり(林業と環境の両立は可能だと考える/自然に逆らうほど投入コストは高くなる/少ない介入で管理目的を達成する)について講演や講義をしてほしい、という依頼をいただいても、最近はこう返してしまうことが多い。
とても冷たい、突き放した言い方だけれど、近自然は魔法の杖でも飛び道具でもないので、そうと知ってがっかりされるよりは…と思って言ってしまう。
根本療法を求める土壌が地域にあるのならば、そもそも林業や森林管理がこんなことにはなっていない。そういう自分も「明日からお酒の量を減らそう」と毎日言っている。人はそう簡単には変われないし、ましてや他人を変えることなんてできない。
林業では安全性や待遇面といった問題がよく取り上げられるが、森づくりについて話の通じる仲間が身の回りにいないというのも、同じくらい辛いことだ。学びへの欲求というのは、しばしば共通言語を話せる仲間を探す旅となって具体化する。
一本通った哲学を現場に持ち込むためには、教育と時間が必要だ。本来は広域行政か業界団体の仕事だと思うが、とっかかりはそれぞれの地域で誰かが始めなければならない。
私が近自然森づくりに関心を持たれた方におすすめするのは、まず足元で仲間を見つけること。
そのうえで、従来の延長線上での森林管理をやっている"ふり"をしつつ、少しずつ新しいことを始められないか仲間と模索し、そして現場を作っていくと、対立構造を作らずに体質改善をしていける可能性が高まる。
そして、手法の議論には付き合いつつ、でもほどほどにしておくこと。どんな資材や工法を採用しているかはエンジニアリングとしてとても大事だけれど、それを使って何をするのか(しないのか)のほうが、森づくりではもっと大事だから。
先週末、信州の山の中で気持ち良い仲間たちと気持ち良い時間を過ごしながらも、そんなことを考えていた。
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