Yeti Cycles 前編
Yeti Cyclesの成り立ち
Yeti Cycles,inc.(以下YETI)とは、1985年にJohn Parkerが創業した自転車製造メーカーである当時MTBという新しい乗り物の人気が高まっていた、カリフォルニア州で設立された。1991年に工場をコロラド州デュランゴに移転 1999年ゴールデンに移転するまではそこに製造拠点を置いていた。John Parker は、元々ハリウッド映画の特殊効果に携わっていたがYETIを立ち上げてからはMTBデザインを行いながらオートバイレースや選手のスカウトを行った。
主にChris Herting Frank Wadelton と
共同してフレーム製作を行うことになる
映画の特殊効果(溶接工)を行う仕事する
傍ら彼は時折スプリントカーレース
オートバイのレースに参加していた。
Sweetheart Cyclesとは
1981年Sweetheart Cyclesは Bob Willson
の手によってカリフォルニアで誕生した。
彼はフレームビルダーであり様々な自転車を作ったその中にMotocruiserがあった。
チューブセットはredlineなどBMXの物を使い
楕円形のトップチューブは PhilWood 製であった。形状はMongooseの Koz Kruiserに酷似している
Aaron Cox はこのMotocruiserを使い 1982年
Reseda to the Sea レースで優勝しました。
(Fat Tire Flyer より抜粋)
この時すでに彼はSweetheart Cyclesに
溶接工として出入りしていたと思われます。
1984年 Bob Willsonは麻薬密輸の罪で逮捕されてしまい、店は閉店することになった。
同年John ParkerはTasmania Speedwayのスプリントカーレースで大事故を起こし、長期の入院生活を余儀なくされ、そこで自分の将来について考えることになりました。
(妻リンダとは病院で知り合った)
悩んだ末、彼はレーシング マウンテン バイクの製造で生計を立てることにしました。彼は貴重な 1928 年製の indian scoutを5000ドルで売却して資金調達を行い自転車製造の設備をSweetheart Cyclesから買い取り最初のYETIを製造することにします。
(BobがつくったSweetheart Cyclesの負債の一部も継承することになる)
会社が軌道に乗ってからパーカーはindian scoutを買い戻している、あのバイクには余程思い入れがあったのだろう (彼は熱心なインディアンのマニアだったらしい)
前項で紹介したMotocruiserがF.R.O.の原点になります。このバイクは殆ど 1:1 のコピーですが、John Parkerによる変更点が多々あります。トップチューブにワイヤーを集約させたルーティング、フルアウターではなくケーブルストッパーの採用 当時の定番だったBMX用の25.4ピラーより太い26.6のピラーの採用 2連のウォーターボトル 台座などがある
尚、トップチューブの3連ケーブルストッパーはこの頃にはまだ存在しておらず左にリアブレーキ、右にリアメカ、フロントメカのように分けられていたがYETIにFrank Wadelton
が加入後(Yeti Cross Cable Routing)と呼ばれる三連アウターストッパーの採用をJohn Parkerに提案したようだ、これはすぐに実行されYETIにおけるループテイルと並ぶYETIらしさが誕生することになった。
これは溶接作業のしやすさ、担ぎのしやすさを考慮してのことだったようだ
John Parkerは彼のレース屋としてのアイデア
Frank Wadeltonは溶接工としての設計
Chris Hertingはそれらのアイデアをまとめ
形にするのがとても上手かったようだ。
ウィッシュボーンチェーンステーをかなり短くして操作性を高めている
MAFACクリテリウムやタンデムがヒッピー
の間では良く使われていたがWEINMANNがMAFACを吸収した為、MAFACに類似した
ブレーキがWEINMANNからリリースされる
ようになった。
BMX1インチのヘッドを採用してる為
ロード用1インチをつけることができず
付けるためにはステムの加工が必要だった
(BMXステム&ハンドルでのポジション調整に工夫が必要だったようだ)
この時代ではこれが一番良く締まったようだ
当時は上引きのFDは存在せず、上側のワイヤールーティングにするにはこのような加工が必要だった。
MTBパーツという物が確立されていない時代ではロード、ツーリング、BMX、様々なジャンルの部品を流用してMTBを作り上げていた
YETIは様々なバイクを作ったが
中でも有名なのは FOR RACING ONLY
F.R.O.だろう
1986年〜89年 YETI F.R.O.について
1986年にYETIは3ページの折り込みカタログを作成してそこにF.R.O.を掲載した。
ハードライドやレースをするならYETI
YETIは全てに勝つために作られている
YETIのループテイルは衝撃吸収性を上げる為、またはタイヤクリアランスの確保、泥ハケの良さを考慮して採用したようだ
最初期の価格は600ドル
シートピラーは26.6
130mmのリアエンド
チームカラーはデザートターコイズ
フレームはPatco CroMo チューブを採用
ヘリアーク溶接(ヘリウムガスで酸化を防ぎながら行うアーク溶接)を使用してフレーム製造を行っている
シクロクロスとマウンテンバイクの要求に答える
マウンテンバイク アクション (以下MBA)で
爆薬で爆破され爆弾に耐えうることができる強度を持つレースマシンとしてF.R.O.の紹介がされた。
この頃にフレーム材料を4130航空材シームレスパイプに変更した
フォークは0.35mmの肉薄パイプで製造している(これは恐らくTrueTemperだろう)
単色粉体塗装、イムロンの塗料でカスタムペイントができることが記載されている
「YETIに狂乱しているだけだと思いましたか?それは私達らしくない」と書かれてから始まる辛口なインプレッション
BBハイトが0.5インチ高いので購入者は自分のサイズ一つ下を選ぶこと(これはYETIのクリアランスへの拘りだと思われるので筆者は擁護派である)
BMXヘッドではステムの選択肢が少ないとのダメ出し
上のボトルケージしか使わない
(つかえない)
(スタイルとしては非常にクールではあるが下のボトルケージは運転中には取りにくい、しかし小さいフレームサイズだと上側が使えないというあまり機能しない物だった)
カンチブレーキの泥づまりについては解消されていないことを指摘している
タイヤクリアランスは良好
チェーンリングクリアランスについて
ライダーの好きなギアを選べる範囲が広い
としてかなりの高評価だったようだ
「こんなことを考えつくのはYETIしかいない」と書かれている
70度のヘッド角、71度のシート角は機能している
全てのワイヤーが上を通るYETIのルーティングについてもワイヤーに泥が噛まないとして高評価を得ている
カーボンピラーの採用(恐らくスギノ75)
現在のYETIのシート角度は71度だが今後シート角73度のフレームの開発も検討しているようだ
シマノ製フロントメカを備えるため今は71度
で184mmのbullseyeクランクを搭載している
この時期にフレームの価格を800ドルに値上げした イムロン塗料以外にデュポン塗料でのカスタムペイントができるようになったようだ
F.R.O.は略で正式名称はFor Racing Only
レース専用マシンと言う意味になる
日本ではレースに生まれレースで育ち、公道(町乗り)を否定する過激なレーシングモデルなどの謳い文句で売られていた。
BMXヘッドを近日にスタンダードサイズ
(1インチ)に更新する予定とのこと
ステムの選択肢を増やすためのようだ
実際にこれは行われることになる
しかしその後すぐにF.R.O.は1 1/4のヘッドパーツへの更新を行うことになる
この頃に特徴的な
扁平トップチューブが追加されたようだ
この時期のYETIフレームの価格は900ドル
100ドルの値上げ
例年に引き続きフレームは4130 航空材
フォークはTrue Temperチューブを採用
ストレートフォークによるクイックな動作
などYETIを購入する利点について
John Parkerからのメッセージが書いある
フロントエンドは変わらず、カンパニョーロのようだ
YETIは何故ターコイズを使うのか?
ところでYETIのレーシングカラーは何故ターコイズなのか知っているだろうか?
John ParkerがYETI最初の5台のバイクを溶接した時、妻のリンダに自分のバイクの色を何色にするか
聞いていました、リンダは悩んでいる様子でした。
彼にはTerry Gearheart(以下テリー)という友達がいました。テリーは整備士をやっており、自転車や自動車にとても詳しく、パーカーはアイデアマンであり彼は製造技術を持っていましたがMTBについては無知だったのでMTBについて彼によく相談をしていました。二人は親友と言ってもいい間柄でした、ある時パーカーは「リンダのYETIのカラーをテリーが持っているritchey と同じターコイズにしたら彼女は喜んでくれるだろうか?」と問いかけます。テリーは「勿論だよ」と返事を返しました。
これが始まりでした。
彼はこの色が、1971年のクライスラー車のデザートターコイズであることを教えてくれました。
その後、ウェットペイントからパウダーペイントに移行する過程で、この色は少しずつ変化していきました。ターコイズカラーをレースで採用した1年後にテリーは心臓肥大でこの世を去りました。パーカーは彼にレースでは必ずターコイズを使うと誓いました。(YETIFANより抜粋)
85年〜89年はbullseyeやCookBros等のBMX
ブランドの採用が多く見られた。
特にbullseyeのハブはシールドベアリング 採用で評価が高かったYETIに限らず、80年代のMTBではよく目立つ
90年代の2色塗り分けを施したチームカラーが登場する前まではLand sharkがYETIのカスタムペイントを行っていた。
Land Sharkのカスタムペイント
このモデルにはFTWステムか備えられている
YETIのFTWが設計したこのステムは
後のMTBシーンでよく登場する
ANSWER A TACステムの原型になった。
F.R.O.の登場と共にYETIの人気は加速していき、多くの熱狂的なファンを獲得していく
他のメーカーの広告にもYETIが使われ始める
F.R.O.に乗るJohn Tomac 初期のAttackグリップにはJohnTomacの文字が書かれている
Don Myrah は1989年にアメリカチャンピオンになったので、恐らくこの記事は1989年の終わり頃だろう
ヤマアラシのように細かいノブが無数に立っているタイヤ
この仕様で2400ドルだったようだ
YETIのフォークはTrueTemperのチューブで
製造され、フォークドロップアウトは業界のスタンダードになったと宣伝
カミカゼDHや総合チャンピオンに使用され、YETIには確かな実績がある
C-26という名前のカーボンMTBをEASTON社と共同開発中とのこと
C‐26についてはまた個別で紹介をしたい
YETIのフォーク、ステムのライセンスを付与して製造を一任した。
シート角、ヘッド角の変更
レーサー専用設計
タイヤクリアランスの確保
メンテナンス性の良さ
「速く、反応が良く全て上手くいく」
1990年 F.R.O.はPRO F.R.O.へと名前が変更される YETIの公式サイトには別物のような表記がされているが設計や材質の大幅な見直しを行ったので確かに別物といえるかも知れない
1990年〜93年YETI PRO.F.R.O.
これは貴方が知っている古い競走馬ではありません、より鋭く、より速く、より軽くYETIのレースジオメトリーを踏襲しTANGEシームレスバテットチューブを採用したYETI設計の新たなレースバイクです。
より軽く、より強くなる必要がある場所で
他のYETIマニアによれば、PRO F.R.O.のチームカラーは少ないらしい何故なら、既にF.R.O.はトップモデルではない為だ
Jimmy Deatonの活躍によって塗られた
シート角73° ヘッド角71°
88年の雑誌で語ったJohn Parkerの回答が
このバイクに詰まっているように感じる
F.R.O.の進化系といった存在だ
トップチューブの潰しやワイヤールーティングはF.R.O.を踏襲しつつ当時最新の規格だった1 1/4のヘッドパーツが備え付けられている、YETIの魅力は例えフラッグシップモデルで無くてもレースを意識して変更を加えている所だと思う
YETIの速い、硬いは健在だ
YETI F.R.O.の仕様変更の流れ
F.R.O.は85年のリリースから90年代後半に至るまで細かなアップデートが繰り返し行われた。
丸パイプだったトップチューブが潰しの入った扁平チューブに代わり、ドロップアウトが
Simplex→からYETI専用のスチールプレートに変わり、FDのワイヤー固定が滑車になり、シートクランプ小物がなくなりシートクランプが鋼管に直接溶接されるようになった。
初期の滑車はbullseye jockeyプーリーを折り曲げてつくっていた為、赤色のプーリーが装備されている
BMXにならって採用していた。
直付けより良く機能する(筆者談)
John ParkerはF.R.O.を製造当初クランプの
直付けは材料を疲労させるとしてこの細工
をするつもりはなかったようだがフレーム の重量を削減する為に実行したようだ
91年に全てのYETIが直付けに変更されている
91年にフレームに合わせてプーリーの
カラーがアッセンブルされるようになった。
グレー×ターコイズで滑車が3DViolet
イエロー×ターコイズが滑車がTurquoise
になるようだ
これ以外にも組み合わせがあると思われる
F.R.O.とPRO F.R.O.を見分ける方法としてあげられるのは、ドライブ側の補強の有無である91年にこの補強が追加されるようになった。
なぜ補強が追加されるようになったのか
詳しく語られてないが理由として挙げられるのはYETIレーサー達は薄いパイプの曲げ部分でチェーンサックを起こしてステーを破損させフレームを壊す場合が多かったからというのがあると思われる(YETIで修理されたF.R.O.はこの部分に補強がされていた為)
PROモデルになりF.R.O.から0.5ポンド(227g)の軽量化がされている
このフォークオフセットのやり方はJohn Parkerの発案のようだ、フォーク接合部でオフセットさせない理由について彼は語らなかったがオートバイと自動車に精通していた彼のリーディング(手腕)がそうさせたとのことだ
MBAのライダーはこのフォークについてテストをしたが、直線の速さ、ハンドリングのしやすさを例に上げてこのフォークについて高評価していた
(癖があるので注意が必要とも言っている)
経済的に優しいリーズナブルなフレームとして紹介されている
時代の移り変わりを感じる
チームカット
丹下パイプの採用は継続される
1994年〜95年 YETI PRO F.R.O.
この年に2連のダウンチューブ ボトルが廃止になった小さいフレームだとまとも機能しなくなることにようやく気が付いたようだ
だがいざ無くなってしまうと少し寂しい
良し悪しはどうであれロウ付けされた2連のボトル台座はF.R.O.構成する重要なアイデンティティの一つだったことには間違いない
溶接でつけていたYETI Cable Cross Routingが、同年代のARCと共通のリベット止めになっている、また94年のモデルには肉抜きがされた片持タイプのリアカンチブレーキ台座が備えられている、こちらはARC AS LTと殆ど同一の部品である
95年では何故かリアブレーキ台座が元に戻ったようだYETIにも何か思う所があったのかも知れない、ワイヤールーティングの見直しも行いメンテナンスを容易にしたと記載がある、確かにこちらの方が無理がないように思える
95年YETI はSCHWINN(SCOTT USA)に買収されるSCHWINN買収後YETIに金銭面での手助けをして開発費の問題がなくなったYETIはレースバイクの製造、開発により励むことができるようになるかに思われたが………後半へ
考察
F.R.O.に何故PROがついたのか、熱心なYETIフリークの間では度々議論になるが、私は90年代の軽量化ブームによるアルミ素材の台頭が原因だと考える
鉄よりアルミの方が軽く、踏み出しが軽いなど雑誌で優劣がつけられ、F.R.O.がA.R.C.に見劣りしてしまったのが原因だと思われる
だからわざわざチャンピオンPROが使っていたモデルと強調するようにPRO For Racing Onlyと名前を改めたのではないか?と考えを巡らせる
重量は確かな差ではあるが優れているバイクは重量で左右される物ではないと筆者は思う
参考文献
私は情報を取りまとめただけなので、新たな情報や詳細を知りたいなら先駆者達のブログやグループにアクセスすることをオススメする
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?