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夢を現実にする【努力の仕方について】

世間には「夢は叶わぬ遠いもの」というイメージがありませんか?
僕はちょと「夢」の捉え方が、人とは違う気がします。
それは、生粋のさだまさしファンだからなのか、もしくは読解を誤解しているのか。

4年前、2年後に定年を控えて不安と希望を天秤にかけながら精神安定に挑んでいました。
仕事に対する対価を妥協をする気持ちは一切ありませんでした。
定年を迎えたら、同じ仕事でも対価は下がるとうい常識・日本の経営者が盾とする理不尽に藻掻いていました。

パイオニア精神の先端に触れた日

先日、シガドライ・ウィザースの社長、田中秀彦さんにインタビューする機会に恵まれました。
田中社長と始めて会ったのは4年前。
営業統括マネージャーをされている柳川さまの紹介で会うことになりました。
クリニーング屋さんの社長に会う程度に思っていたので、目の前にそびえる大きな本社工場にビビりました。
社長室への階段を上がりドアを開くと、笑顔の田中社長が目の前に歩み寄ってきて出迎えて下さった。
僕は、社長机に座っているちょっと偉そうな社長が、そのドアの向こうにいると想像していました。
想像を超えたお出迎えのギャップ、まったく普通のおじさんのような雰囲気に、僕の緊張は一気に溶けてしまいました。
「きっと、この人と一緒に仕事をする日がくる」
僕は、その時、直感でそう思っていました。

快諾への戸惑いと喜び

それから、毎年2回程度はお会いして、お話しをする機会を頂いてました。
昨年の春、新型コロナウィルスの感染拡大が始まりました。
僕は孫の「コロナがうつるから、手をつないじゃいけないの」の言葉に衝撃を受け、幼児の手を護る方法を考え始めました。
そして、「幼児の抗菌手ぶくろ」を作ろうと、YETの川添代表に持ちかけ、この事業がスタートしました。
問題は、手ぶくろの生地をどうするのか?
頭に浮かんでいたのは、シガドライ・ウィザースの田中社長でした。
YETは、田中社長へ、伸縮するニット生地へのGZ-08加工をしていただく為に、田中社長を訪ねました。
この話、一度は断れるだろうと思って臨んだところ、田中社長は、事の詳細も聞かずに「いいですよ、今サンプルを作ってあげましょう」の言葉。
この思わぬ急展開に、僕は戸惑いました。
そうして、YETの「幼児の抗菌手ぶくろ」は、沢山の方が協力してくださり、製品となりました。

この、「幼児の抗菌手ぶくろ」を世に広めるために、ホームページに着手。
そこで出会ったのが、株式会社エスツェットの伊藤千央さん。
この人にデザインをお願いしたのは、僕の直感しかありませんでした。
千央さんが作ったHPとポスターを観てもらう為に、再び田中社長を訪ねました。
「このホームページいいね。センスがいい。このポスターも好きやな。製品のイメージが伝わってくる」
もう、予想外の大絶賛。
(勿論、出来上がったYETの手ぶくろも褒めていただきました。)
そこで、持ち上がったのが、シガドライ・ウィザースさまのホームページのリニューアル案。
「是非、おねがいしたいなぁ」の社長の言葉は正直とっても嬉しかった。
そして、伊藤千央さんのセンスに感謝しました。
伊藤さまについては、下記投稿の中程で触れています。

夢が始まる

そこから、シガドライ・ウィザースさまのホームページリニューアル計画がスタート。
頻繁に会社へお伺いするようになり、色々な相談を頂くようになりました。
しかし、田中社長は僕の経歴もスキルも何もご存じなく、僕が相談相手で良いのだろうか?
そんな事を思うようになりました。
僕の不安は、今回のインタビューを通して、やる気へと変化したのです。

まなく、田中秀彦社長のTwitterがスタートします。

次の夢は「次はなにしよう?」と言われること

今回、僕はシガドライ・ウィザースさまの商品販売企画をお手伝いすることに決まりました。
身に余る光栄です。
やはり、僕の直感は的中し、田中秀彦社長と一緒に仕事をすることが叶いました。
これは、僕の夢だったのです。
好きな人の基で、僕の仕事を認めてくれる人の基で、僕は自分の能力を発揮する場を頂いたのです。
定年を迎えて2回目の誕生日を目前に、僕は、僕の理不尽に結果を出したのです。

最後に

シガドライ・ウィザースさまには定年制度がありません。
働きたい人は、働ける間、社員として働けるのです。
この会社規定は、最近出来たものではありません。
田中社長の経営姿勢は、常に10年先を見ておらると僕は感じています。


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