川は流れているのか 流されているのか

仕事先でふと川を眺め立ち止まる。

川は好きだ。流れ続けて淀まず濁らず海を目指す。
実際のところは 川が海を意志をもち目指すわけではなく 高い場所の水がただ
押し出されて低き低きに 純度を下げながら流されているだけだが。

人生に疲れてしまっている。
転がる石に苔は付かず。でも転がり続ければ傷だらけになり小さく摩耗していく。苔は優しく美しいものだと
もう若くはない今、しみじみ思う。

人生は川の如し。
押し出されて生まれてしまったが最後、
望まずとも ひたすら終焉の地に向けて流れ続けるしかない。

このところ公私ともに
あなたの人生の目標は何なのか、と
問い詰められ 苦しんでいる。

目標なく仕事するものじゃありません

なんのために生きてるの
人生に目標はないの

子供時代から生きづらさを抱えて
呼吸するのも頑張ってきたような私には

ただ生きて生活して暮らしていくだけのことが 少しも簡単ではなかった

食べて家賃を払うことが 仕事をする目的だし
なんのために生きるかじゃなく
生きなきゃならないだけ

正直、40代も後半になって
苔に守られて揺るがない石にもなれず
何処かを目指すわけでもなく川の流れに翻弄されながら朽ちていく葉っぱのような自分が情けない

何になりたいの

そんな 10代にぶつけるような問いを

私は
杖つきながら荒野を歩く他人にぶつけられない

私は 目的をもって生きようとは思わない

日々の小さな変化や当たり前を
大事に喜んで生きることを

他人が嗤おうがバカにしようが
それこそ
そんなものは 川に捨てて流してしまえばいいのかもね。
#エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?