一期一会

私はやたらと 知らない人に唐突に話しかけられる。道も訊かれるが、通りすがりなのにいきなり、重い話を打ち明けられる。
それはだいたい、中年も過ぎた男女から高齢者なのだが。

公園で昼を食べていたら
隣に60代くらいの女性が座り

あのね、おかあさんが死んでしまったの

身なりがあまり清潔ではなく、心を病んだ人なのかもしれないけれど

何歳になっても、おかあさんはおかあさんですから、恋しくて悲しいですね
さみしいですね

その方は わかってくれてありがとう、ごはん時にごめんね

ありがとう、と何度も頭を下げ
坂道を下りていった

おとついは
朝のうちに昼ごはんをコンビニで調達していた

トイレの空き待ちをしていた同業者に声をかけられた。50代か60代のおっちゃんだ。
制服のまま店内にいたから同業とわかったが 我々、上に何か羽織っていてもだいたい、わかる

寒いですね、とおっちゃんが言う。

同業者ですよ、辛い季節ですね。自分も現場すぐそこです。

おっちゃんは地図を見せて
僕は今日はここに行くの

戸建工事っぽい。まだ経験が浅そうな雰囲気の人。安全靴がまだ綺麗。

僕、お金持ちでした。苦労なく生きてきて みんな失って 初めて、人は自力で生きてるわけじゃなくて 生かしてもらってる、て しみじみあり難く思うんです

ほんとですね。働けてごはんが買えて。

たらこおにぎりに決めて、じゃあ
寒いから現場、気をつけてくださいね と

おっちゃんは
気持ち悪がらずに 話をきいてくれて
ありがとう、と 目を潤ませた

警備業て わりかしみんなワケありだ。
日雇いで頑張り次第でわりに稼げて
でも、安定も未来も末端の隊員にはない。

人生を捻挫してしまった人たちは
同じにおいがする人を嗅ぎ分ける力があるのかもしれない。

人間は きいてほしいいきもの
わかってほしいいきもの

だから対面コミュニケーションレスな現代でSNSやブログ文化がこれだけ 発展したのだろう

若い人ならTwitterにネガツイでもして
Instagramに見栄写真を載せ

誰かに わかってもらえるけど

家族も 友達も 人生捻挫組は いなかったり

だから 一期一会のこんな数分の会話を
私は愛おしく思う。

人生は喪失の連続だ。さよならだけが人生だ は 嘘じゃない。

そこから何も始まりはしない、
名前も知らない誰かと交わした
こんにちは で始まって
元気でいてください、さようなら で
終わる刹那の交流を
愛しく思うんだよ。
#エッセイ

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