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あの日差し込んだ一筋のAxCx

かつて米国ボストンに
Anal Cunt(以降AxCx)という名前の
グラインドコアバンドがいた。

下品で人に嫌悪感を抱かせる曲名、
もはや曲と呼べるかどうかも疑わしい
負の感情と即興性に満ちた楽曲
そして、ひたすらヘイトを撒き散らすだけの
荒んで意味を成さない歌詞。

そしてその歌詞をも認識できないほど、
ただひたすら怒声奇声を発し続けるボーカルスタイル。

極め付けはバンド名に因んで描かれた
卑猥なバンドロゴで、
それは彼らの作品のジャケットや
Tシャツに度々使用されるなど、
ある種のトレードマークになっていた。

活動後期こそ所謂グラインドコアとして
受け入れられるような演奏していたものの、
結成当初はショートカットグラインドや、
ノイズグラインドと称され、
即興性の高い10秒〜1分前後の雑音を
数十個かき集めては、コンパイルして
一つの音源としてリリースしていた。

話は遡り、1997年、日本、広島。

当時16歳で高校1年生だった私は
広島パルコ最上階のタワレコで
このAxCxの3rdアルバム
"40 More Reasons To Hate Us" を
購入した。

理由はただ一つ。
そのジャケットのアートワークに
何とも形容しがたい
エネルギーを感じたからである。

真っ黒いベタ塗りの上に
でかでかと真っ赤にプリントされた
卑猥なバンドロゴ。

それが、あの日の私には
雲間から差し込む一筋の日光のように
見えたのだった。

当時、私は市内のマンションで
末期ガンと闘病中の父と、
その父を必死に支えながら
生活を切り盛りする母との3人暮らし。

一回り年の離れた姉はというと、
留学先で知り合った男性と
その地で結婚したばかりだったが
間も無く夫婦生活は破綻し、
夢と現実のギャップにもがき苦しんでいた。

それぞれがそれぞれの岐路に立たされて、
命の、成長の、別れの枝葉を
どう生かし、伸ばし、断ち切るかの
問題に直面していた。

平日、部活が終わり、家に帰ると、
そう遠くない未来に
命を落とすであろう痩せ細った父と、
容態回復の望みを断たれても尚、
献身的に看病を続ける母が
色の抜け落ちたような
灰色にくすんだ生活を営んでいる。

私はそれが堪らなかった。

堪えきれない負の感情の
増幅を感じながら、
それでも「優しさ」や「希望」を
醸すような言葉を慎重に選び、
家族と接していた。

その生活は息苦しく、
鬱屈とした気持ちは
日に日にその重さを増して
脳髄から首肩四肢に
まとわりついた。

そこにきて
AxCxとの出会いである。

たまたま手にした馬鹿で卑猥な
アートワークに衝撃を受け、
照れ隠しのように裏面を見ると
ブヨブヨに太ったロン毛のアメリカ人が
コロンと座ったような形で
マイクを握り締めていた。

なんだこれ。え、42曲も入ってる。どうゆうこと。

まだ「グラインドコア」という
音楽のサブジャンルすら知らなかった私は
いくつもの疑問符を頭上に浮かべたまま、
それでも己の衝動に素直に従い、
このアルバムをレジへ持っていった。

帰宅後、CDをケースから取り出すと、
早速CDウォークマンにセットした。
コンポから大音量でプレイすると
家族に怪訝な顔をされるだろう、
というのは、なんとなく想像ができた。

PLAY。

イヤホンから聞こえてくるのは
矢継ぎ早に繰り出される
短く暴力的な騒音の束であった。
始まりも終わりも
非常に唐突で潔く、
なぜか心が晴れやかになった。

父を巣食う病気のこと、
母の健気な愛情とその内に広がる心の闇、
海の向こうで繰り広げられる姉の葛藤、
そして自分の不遇な青春の幕開け。

四六時中、鬱陶しいくらい
頭の中でグルグルしていたそれらが
PLAYボタンを押したと同時に吹き飛び、
影も形も無くなった。

しょうもな

アルバムを聴き終え、
何一つ心に残らないことに、
改めて衝撃を受けた。

こんなにくだらない音楽があって、
こんなに自由な世界が広がっているのに、
私は何に傷つき怯えているのだろう。

父はもうじき亡くなるし、
母もいずれ緊張の糸が切れるだろう。
姉はきっと盛り返せるよ、
強いから。

AxCx。アナルカント 。

楽曲のクオリティや人気で言うと、
別段、突出したものがあるわけでもなく、
本当に極一部のマニアにだけ
受け入れられていたようなクソバンドだが、
少なくとも当時の私は救われたし、
今でも時折 "40 More Reasons To Hate Us" を
聴き直すと、またあの謎の無敵感が蘇る。

この最低最悪なアルバムを
私は一生コレクションから
外せない。

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