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コリアタウン殺人事件 感想

まず最初に抱く感想としては月並みに。

なんつー不気味な……映画なのか。

無職になったおっさんが、不採用続きのこの世を憂いながら近所の殺人事件を取材する、というストーリー(らしきもので、筋道は関係ない)。POV、モキュメンタリー、とは記載があったがそれは本当なのか?

誰かが遺したインタビュービデオを再編集したのでは?と思った。だってリアルすぎるし。手ブレとか。コリアタウンのホームレスにインタビューしたり、事件とは関係ないもの(彼女とか鳩とかカラスとかネズミとか)ばかり撮影されていたり、面識もない被害者がコミュニケーションを取ろうとしていると言い張ったり、街頭宣教師が僕を付け回していると語ったり、今日は何かがおかしいと代わり映えの無い街をひたすら映したり、仕事を探したり。なんなんだこれは。一体。

ただ、鳩とカラスは「旧約聖書」のノアの方舟に関する動物であるので、何かを伝えようとしているのだろう。鳩というのは宗教上とても重要な動物であるので、撮影者にインスピレーションを与えた……のかも……しれない。

途中、路上で宗教演説する男にぶち当たるがサバハ履修済み、サバハ大好き女の私ですが、韓国の宗教に関する多様性は驚かされる。メギドかよ。

どなたかが「見るオカ板」と仰ってましたが本当にその通り。全く関係のなさそうな事柄に無理やり関係を結びつけていく撮影者と、それを翻弄するコリアタウンの住人たちが描かれる。不気味なホームレスと出会ったり、不気味なホームレスと出会ったり、不気味なホームレスと喋ったり。ただそれだけで物語は進むのである。

一番不気味だったのは調査を進める度、撮影者がカメラに話しかける声がやたらとでかくなって行くことだ。普通に捉えたら、精神的に何かおかしくなっていっているとしか思えない。じゃあこの映画はなんのために作られたのか?普通の男がおかしくなっていく様子を伝えるために?

とか思ってたら、突然訳の分からない妄想じみた他人の声がカメラに録音され始める。

カメラに怪しい人物が写ったりする。何処までが事実で、何が妄想なのか境界がドゥンドゥン曖昧になっていくのだ。何が怖いって、視聴者たちが全く訳の分からないまま見せられていた事柄が、最終的には撮影者の中ではひとつの「道筋」として繋がっていくことだ。この結論は一応、筋は通っている。ただそれが全て真実なのかと問われるとどうなのだろう?と思ってしまう。

いやほんとまじ訳が分からん。

訳が分からんのだけど、訳がわからんなりに道筋が通っていることが怖い。これが真実でも怖いし、彼の虚構だとしても怖い。妄想が具現化しているということで、彼の思考が現実としてカメラに収められているということなのだ。フィクションだろうがノンフィクションだろうが、文句なしに怖かった。


この映画、もう二度見たくない。

だって夢に出そうだもん。

そんで、夢の中でなんか言われたら多分この年で漏らすことになると思う。

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