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好きな事に命を捧げる

はじめまして。
小川 広夢です。

タイトルにあるように、
「好きな事に命を捧げる」という人生を実現向かって突き進んでいます。

そしてここには、
なぜそうしたいと思ったか、
どうやって実現していくのかをまとめていきます。


これは、新卒から入社4年目で休職し、
自分自身と見つめ合い、人生について考え直した時に書きました。

ここからは長くはなりますが、
今までの人生での出来事、そこでの振り返りをまとめていきますので、
長くはなりますがお付き合いください。

■小学校時代

とにかく目立ちたかった、かなり鈍臭い小学生

京都府京都市出身。

勉強は少し出来たくらいだったが、背が高く、運動もできなかった為、
何かしらよく目立った。

先生にもよく怒られたから、怒られキャラだったかもしれない。

小学校4年生の時に、週末にだけ活動するバスケ部に入る。
理由は「背が高いから、活躍できるかもしれない」と母に言われて、
そう信じたから。
バスケットは楽しくて、卒業までの3年間ずっと続けた。

■中学校時代

人生を変えたバスケ部の恩師と仲間との出会い

・中学1年生

地元の公立中学校へ進学。

小学校から続けてきた流れでバスケ部に入部。
そのバスケ部がめちゃくちゃ強かった。
1年生の春の大会で京都2位になった先輩をみて、
「やばい部活に来てしまった」と気づく。

1年生の時は、ひたすらフットワーク、
体育館だろうが、外だろうが、フットワーク。
いつも自分だけ腰が高かったり、ランメニューが遅くて、
すごい人一倍怒られていた。

必死に食らいついた甲斐もあってか、
1年の秋には、ベンチ入りが出来た。
試合には出れなかったけど、憧れのユニホームがもらえて、
超嬉しかった。

・中学2年生

学年は上がっても、練習内容は変わらず、1年生の練習メニューを教える係。
練習の最後になると、メンバー集めて、ゲームする時だけ呼ばれる。
あの時だけは偉くなった気分だった。(笑)

この時から、練習前の1時間前から僕たち2年生の控え組は3年生チームと1年生チームと試合させられた。
1年生は小学生からミニバスをしていて、上手かった。
結果僕たちはボロボロに負けた。
先生含め、みんなからめっちゃくちゃ言われた。
これが人生で初めての挫折かもしれない。

それからずっと練習前の試合はルーティーンとなり、
負けてメンタルがボロボロになりながら、練習が始まる日々だった。
あの経験はこれからも経験する事はないだろう。

先輩たちは京都府で創部初の優勝、全国も狙えると言われた中で、
近畿大会予選敗退。
目の前から全国のチャンスが消えた悔しさは今でも忘れない。
(試合でてもないのに泣きすぎて、すごい先輩に心配されたのは猛省)

先輩達も引退し、最上級生となり、
試合に出たいという一心で練習に励んだ。

覚えているのは、普段しないプレーをして、先生が
「お前そんな事もできるのか!」って笑いながらベンチから転げ落ちてた。

もっと褒めてくれ、、

そんな中、あるカップ戦でメンバーがおらず、スタメンになる事があった。
憧れの瞬間だった。
でも実際は、何もできず、気持ちだけが先走って空回り。
「試合に出る準備が圧倒的に欠けていた」と痛感。

悔しさと反省を基に、臨んだ決勝戦で相手のエースをマーク。
見事相手を抑えて、優勝した。

その後、優秀選手賞に選ばれて喜んでいた。
試合を見に来ていた親にも喜んでトロフィーを見せた覚えがある。
ちなみに今でも実家で綺麗に飾っている。

・中学3年生

この頃から、僕たち3年生にもある変化が訪れた。
今まで負け続けていた下級生との試合に勝ち始めた。

おそらく、無意識に終わりを意識していたからだと思う。
今まで負けていたのが嘘のように勝ち始めた。

順調に夏の大会で京都市を優勝し、京都府2位で近畿大会に進んだ。
この時、試合も出てなかったので、遠征に参加せず、
下級生と一緒に練習を教えさせてくれと先生に頼みに行ったことがある。

結果は「お前はまだ近畿大会で使うから遠征に来い」

やっと認められた気がした。
その後の遠征も必死で頑張った。

近畿大会ではまさかの2連敗
自分も試合に出たが、圧倒的な実力差の前に成す術が無く、
泣きながらプレーしていた。
初めての大舞台に悔しさを残して、引退する事になった。

この3年間の経験を通して、

目標を実現する為に誰よりも努力しなければならない
といった考えが身につき、

目標達成したときの喜び
の味を知った。

この経験が僕の人生のベースとなっている。

■高校時代

試合に出たい理由で近くの高校に進学。
強豪校でもないのに、朝7:00に体育館を開けて、練習する日々。

とにかく朝7:30から夜は8:00まで練習した。

先生には時間の許す限り練習させてくれた。
今でも本当に感謝している。

周りは楽しくバスケしたいと思っていて、
その中に本気で勝ちたいと思う自分がいたから、

「何目指してるの?」
「そんな練習しても意味ない」

とかよく言われた。


この頃から、自分って変わり者という事を受け入れ、
あまり気にしなくなった。

時が経って、キャプテンを決める時、
自分が立候補した。

みんなは他の人を指名していたけど、反対を押し切り自分がなった。

理由は自分がなった方がましだと思ったから。
根拠はないけど、自分の方ができる自信があった。

キャプテンになって気づいたのは、
上に立つポジションの辛さだった。

この時、みんなと対立していた。
その時良いリーダーとは何かと考えた結果、

「口だけじゃなく行動で示す必要」

これだと強く感じ、なんでも実践した。

振り返ると、最後の試合でも誰よりも練習した自分が、
誰よりも点をとっていたし、何より自分がチームのエースだった事に気づいた。

積み上げてきた努力が誰よりも大きくなっていたと気づいた瞬間だった。

そんな努力した経験から、大学受験も鬼のような努力をして第一志望だった京都産業大学 外国語学部に受かった。

■大学時代

大学に入ってからは本当に休む暇も無かった。
あれだけやりたい事をした経験は最高だと思う。

大学ではスペイン語を専攻。
何もわからないので、めちゃくちゃ自己投資をしたのは覚えている。
(意地はって電子辞書を買わなかったのは今でも後悔している)

バスケは大学の部活には入らず、京都で有名な社会人バスケのチームに入った。

朝大学に向かい、授業が終われば、平日の夕方からバイト、
もしくは、バスケをして土日もバスケとスペイン語の日々。

毎日寝る暇も無くて、気がついたら寝ててよく先生に怒られたりもした。
限界超えていた走った2年間だった。

3年生の時にメキシコに1年間留学したりして、
4年生になり、バスケットに打ち込んだ。

チームは全国大会を目指していて、練習もハードだった。
毎回ミスして、すぐ交代なんてよくあった。
それでもバスケットに向き合った。
自分自身はベンチで過ごすことが多かったけど、京都優勝し、
決勝戦は試合に出たけど、緊張で、視界が真っ白になった。
今思うとかなり恥ずかしい。。

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(写真:決勝戦での写真)

スキルもセンスも無かったけど、
このチームでの経験を通して、学んだのは、

チームは自分に何を求めているのか。
その役割を自分がどこまで練習もしくは試合を通じて、
その役割を全う出来るか。

これだと思う。

僕にはシュートセンスも、誰よりもスピードがあったわけでは無い。
だけど、誰よりもリバウンドとルーズボールには飛び込んだ。

それがあのチームでも生き抜いて来れた理由だと思う。


■社会人

大学を卒業後、機械部品メーカーに入社した。
大きいプロジェクトを担当して、お金もめちゃくちゃ稼ぐ、
そんなエリートキャリアに憧れていた。

入社して1年間、工場に配属された。
メーカーなので、現場を通じて、製品知識を覚えていくというのが狙い。
工場は同期もいて、忙しかったけど楽しかった。
金曜日にはみんなで飲みに出かけたり、筋トレしたり、充実していた。

営業で広島のとある支店に配属され、
晴れて営業マンとしてのキャリアがスタートした。

職場の先輩達は、忙しくて質問出来そうにない雰囲気。
上司からは「自分で考えて行動しろ」

何がわからないかもわからない。

そんな辛い日々、新規での飛び込み営業も全部だめだった。

出社して怒られる日々。
本当に病んだ。親にも相談した。
返ってきた言葉は「逃げるな、甘えるな」と。

半年経つと、初めての後輩ができた。
今までが嘘のように仕事が上手くいくようになった。
周りの先輩達ともコミュニケーションが取れるようになった。

そんな時、世界的にコロナウイルスが流行。
初めての在宅勤務。
上司からの指示「何とかしろ」のみ。

悔しかった。見返したかった。
ただ知らない事が多すぎた。

だから色々な事を勉強し始めた
自己投資に時間を費やした。

そうしたら仕事も一気に上手くいった。

でも一つ僕の頭に残った事がある。

本当にこの人生に満足しているのか。

今まで、貧乏なりに自分のやりたい事をしてきたつもりでいた。
だが、本当にやりたい事を何か理由をつけて、やらなかった自分もいた。

頭の中の疑問を僕は見て見ぬふりをした。

甘えだと、わがままだと。

本当にそうだろうか?

それを確かめる為に、今までのレールから外れる決断をした。
今まで見えなかったものが見えた。

自分は自由なんだと。
だからやりたい事に命を捧げよう。

僕にはバスケットしか無かった。
下手だけど、バスケが好きなだけでここまで来れた。

自分の選手生命はあと少しなのかもしれない。
だから、最後誰よりも燃え尽きようと思う。


■最後に

最後までお読み頂きまして、ありがとうございます。

長くなってしまいましたが、自分の人生をまとめました。
何か心に残れば、幸いです。
自分はまだここでは終われない。
成し遂げるその時まで。

 "I prepare, my time will come"
-Ja morant, Memphis grizzlies- 

是非ともお願いします! リターンもさせてください!!