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育休明け3ヶ月で手に職を捨てた話。

今から書くのはただのボヤキであり、弱音であり、私の本音です。読んだところで誰のためにもならないし、同じように育休明けの仕事復帰に苦しんでいるママさんに向けたアドバイスでもなんでもない、何も得にもならないただの日記です。
それでも良ければ、お付き合いくださると私の3ヶ月が供養されます^^



育休明け3ヶ月で手に職を捨てた話。

23歳で専門学校に入学した。
高校を卒業してからフリーターとしてフラフラ生きていたが、この先も一生フラフラ生きていくのかと漠然とそして突然に不安になった。

もしも今後結婚して子供を産むことができたら、今のまま不安定な自分で家族を養っていけるのか?
運良く稼ぎの良い旦那さんを捕まえたとして、離婚しないと言い切れるのか?

もしも自分が稼ぎ頭になったとき、ましてや歳をとったとき、今の何もない自分が果たしてちゃんと稼げるのか?
私はふとそんな不安に襲われた。

何か、手に職を持とう。

そんな漠然とした理由から私は専門学校に入った。

約3年間学び、なんとか卒業し、国家試験に合格し、無事に手に職を持つことが出来た。

ふんわりとした理由で目指したけれど、案外私はこの業界が好きだった。

それこそ学生時代は勉強会にも参加したし、学会のボランティアなんかも勤めた。

就職してからも先輩と技術の練習をしたり、知識を学ばせてもらえたり、割と私はこの職種にどっぷりと浸っていたと言える。


「手に職を持ってるので、将来旦那様の転勤にもついて行けます♡」
を婚活での常套句にするくらい、私は有資格者である自分が誇らしかった。

自分で勝ち取った資格なのだ。
運転免許とは違い、3年間もの時間と多額の学費を費やし得たピカピカの国家資格だ。


お世辞かもしれないが、「すごいね」と言ってもらえることもあり、何もない自分にも肩書きが出来て嬉しかった。

自分のことを少しだけ好きになれた。


偶然だが婚活に成功し、結婚し運良く妊娠した。

つわりで思うように動けず仕事をたくさん休ませてもらった。
時々、治療でお世話になり、改めてこの職種の凄さを肌で体感した。

育児の大変さを痛感した今なら、より多くの患者さんに寄り添えるぞ!と復帰後の仕事にも前向きだった。

だが、復帰して1ヶ月ですでに私の心は折れていた。


我が子はかわいい。
とっても可愛くて愛しくて宝物だ。
私は子どもを心から愛してる。

それは第一に置いて読んでほしい。

集団の場所でママと離れることも初めての我が子は、それはそれはよく熱を出した。


仕事復帰してから私は何度もこの言葉を口にした。


「子どもが熱を出してしまいました。お休みさせてください。申し訳ございません。」


幸い、とても理解のある職場だったからオーナーを始めスタッフ全員が「子どもちゃん大丈夫?お大事にね」と二つ返事で休ませてくれた。

しかし人手不足もあり、私の枠に入っていた予約は全てキャンセルとなってしまう。
せっかく予約を入れてくれた患者様方にも謝罪し、代わりのお日にちを提示しなければいけない。

これが前日にわかっているならまだ対処法はある。
他のスタッフに代わりに出られるか相談したり、事前に患者様に伝えることで患者様のご予定も立てやすいだろう。メニューの変更などで対応することもできた。

問題は当日にしか発熱がわからなかったことだ。


元気に起きてモリモリ朝ごはんも食べ、家での測定もバッチリ平熱!いざ、保育園に着くと発熱しているため、そのまま自宅にUターン。
そんなことが何度もあった。

予約入っていたのにどうしよう…当日欠勤で代打も立てられない、せめてご予約の方が家を出る前に…
そんな考えをぐるぐると巡らせながら、私はスタッフに電話した。

「子どもが熱を出してしまいました。お休みさせてください。申し訳ございません。」


次第に私の出勤は限りなく減ることとなった。

もちろんこれには同意しているし、少しでも予約がキャンセルになる痛手を減らしたいと、お店のことを優先し私自身も考えた結果だから仕方ない。

子どもが落ち着くまでは仕方ない。

数少ない出勤すら、私はまともに出られなかった。

やっと出勤できたと思っても、保育園から職場に呼び出しの電話がかかってくることもあった。


久しぶりに治療に入れる!と意気込み、カウンセリングで長い時間のメニューをご提案をし、いざ治療開始!というタイミングだった。


「お子さんに発熱と発疹が見られます。すぐお迎えに来てほしいのですが、いつお迎え来れますか?」

一瞬で頭の中で計算して、「はやくても3時間後ぐらいに…」とごもる私に保育士さんも難色を示したのが電話越しに伝わる。

わかってる。保育士さんは子どものことを第一に考えてくれている。保育士さんは我が子だけではなく、一緒に過ごす別の子どもたちのことも考えなければいけない。わかってる。誰も悪くない。

誰も悪くないはずなのに、私はずっと謝っている。


つい先ほど、たった数分前に「お時間大丈夫でしたらしっかりケアさせてください!」と意気込み、長時間のメニューをご提案させていただいたばかりの患者様に今度は謝罪しなければならない。

「子供の保育園から電話があり、熱を出したとのことで…大変申し訳ないのですが治療のお時間を少し減らしてもよろしいでしょうか?」

これまた本当に私は運が良く周りの人たちに恵まれていることに、この患者さんがたまたま子育ての経験のあるベテランママさんだったため、快く承諾してくださった。

「子どもが小さいうちは仕方ないわよ」
と、何度も気にかけてくれるほどだった。

保育園に謝罪して、患者さんにも謝罪して、そしてスタッフにも謝罪して、私はようやく迎えに行けた。


我が子は私が来るまでに一体どれほど不安な思いをしていただろう。どれほど苦しかっただろう。

遅くなったこと、何度も何度も子どもに謝罪した。


誰も悪くない。
子どもが小さいうちは良くあること。
仕方ない。
仕方ないことなのに、誰も悪くないのに、私だけ悪者みたいだった。


復帰を許してくれた職場にとっても、
せっかく予約をしてくれた患者様にとっても、
子どもを守ってくれている保育園にとっても、
ママの帰りを健気に待ち続けてる我が子にとっても、
私だけが悪者で、全部私のせいだった。

そして私は完全に心が折れてしまった。


だれかに責められたことは一度もない。
なのに私は何度も何度も頭を下げている中で
次第にみんなに責められている気がしていた。


とにかくこの罪悪感から逃れたかった。
少しでも我が子から、保育園の先生達から
良いお母さんだと思われたかった。


子どもを第一に優先できる職場に、
私の代わりがいくらでもいて
すぐにお休みがもらえて
すぐに子供の元に駆けつけられる職場に転職したいと考えた。


簡単に休める仕事なんてないのはわかっている。
誰かが必ず尻拭いをし、負担の皺寄せを受けることになることもちゃんと理解してるけれど、
謝罪する回数と罪悪感を減らしたかった。


それに現実的に経済面も不安だった。

まともに出勤できない日々が続き、想定していた収入とはほど遠い結果になってしまった。それでも支払いは待ってくれない。保育料は払わなければいけない。

1ヶ月のうち5日も登園できてない月もあった。


コロナ禍になり良かったことの一つに、在宅の仕事が増えたことが挙げられる。
実際、私も運良く在宅の職種に転職することが出来た。

フリーター時代にたまたま勤務していたWebライター経験が功を奏し、転職活動は難なくクリアした。


これなら自宅からすぐにお迎えに駆けつけることができ、なおかつ、隙間時間でも働くことができる。


子どもが小さいうちは在宅勤務の方が育児も家事もまわしやすいだろうから

仕方ない、仕方ないと言い聞かせて、私は罪悪感から逃げることに成功した。


あんなに誇りに思ってたこの仕事を、あんなに自分の肩書きとして提示していたこの職種を、私は罪悪感から嫌いになっていた。

これ以上自分が悪いんだと思いたくなかった。
これ以上自分を嫌いになりたくなかった。
だから私は自分の誇りを嫌いになった。


最後の出勤の日、いやだいやだと言いながら出勤した。

スタッフは相変わらず皆優しく楽しくて、仕事をしていると自分も自然と笑っていて、

帰り道に車で悔しくて少し泣いた。


悔しかった。
ほんとにこれでよかったのか、わからなくなった。
もっと他にいい方法があったのではないか、
もっと他にできることはなかったのか、
ほんとにこれが最適なのか葛藤した。


でも私は他の人たちみたいに
育児をしながらこの仕事をしていく余裕はない。
土日は家族を優先したい。
頼れる人もいない。
旦那も仕事が忙しく私が休むしかない。
育児をしながら勉強会に参加したり学んだりするキャパは持ち合わせていない。


どんな方法を考えてみても結局最後は、今は一旦離れて自宅で働くことが最適だと辿り着くから多分自分は間違ってない。
今の自分が出した最適な答えがこれなのだ。


もう少し子どもが大きくなったら、子育てが落ち着いたら、時間に余裕ができたら、
またこの仕事に戻ればいい。

そうやって、今は仕方ないと言い聞かせて誇りもこれまでの努力も全部捨てた。


独身時代に「仕事やめようかなー」なんて愚痴ったことは多々ある。安月給だし、自分で勉強を続け知識を増やしていかなければいけないし、責任感のない私はいつもビクビクしていたし、違う職種もまだまだしてみたかった。

でも、もう少し没頭したかった気持ちもある。
SNSで同じ職種の人を見るとつい手を止めてしまうし、勉強会のお知らせは一回悩むし、なにより友達や家族に頼られることが嬉しくて好きだった。


やり切った感なんてなく、ましてや他にやりたいことができたわけでも、自分の強い意志でもない。
急に仕方なくそうせざるを得なかったから、きっとやり残した気持ちや悔いがあるのだろう。


手に職は消えないとわかっているが、
私は捨てたような気持ちになった。


いつでもどこでも働ける
それが有資格者の強みではあるが、それは身軽なことが前提である。
育児だけでなく、介護をしながら働いている人も、働き方や仕事を見直しているのでは?


もともと手に職を持ってる私ですら仕事を手放したのだ。
某お偉いさんの「育休中の学び直し」なんてちゃんちゃらおかしな言葉だと思う。学び直したところで預ける場所や人がいなければ働くことはできない。
子どもが安全に、親が充分に、暮らせる日本になってほしい。


ということで、選挙は行こうねって話。(?)

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