フェミニストの私が考えるフェミニズムの立場とは
はじめまして、私はイェン ルトゥ 楠木と言うものです。本名ではありませんが限りなく似せています。変な感じがするでしょう、その理由は私は純粋な日本人ではないからです。私は父がカナダ人、母が韓国人と日本人のハーフ、つまり私はカナダ韓国日本人のミックスということです。名前が変なのはそれのせいです。生まれは日本ですが11歳までカナダ、15歳までは韓国で暮らしていました。それから現在22歳まで日本で暮らしています。今回、私の人生にかなり影響を与えたフェミニズムの話題を話していきたいと思います。
最近巷で話題のフェミニスト。私的には嫌いな存在である。しかし私怨に駆られては冷静な視点を保てない、そこで文字に書き記し、考えを整理してみようと思った次第である。
以下の文は現在の私の考えである。
まずフェミニストの定義である。
一つ、フェミニストと名乗った者、彼らはフェミニストである。フェミニズムとは女性主義、平等主義の混合理念からの運動だと理解している。来るものを拒むようでは民間運動としていかがなものか、名乗れば誰でもなれる。そんな気軽さを内包した存在であると私は思う。
二つ、女性の優遇策を求める者。フェミニズムとは女性主義、女性の利益のため運動である。それに準ずる、または理念を持った行動を行う物はフェミニストである。
上記2つ以外に男性嫌悪を行う者、いわゆるミサンドリーである者。それと女性嫌悪に反対する者も女性の利益を追求する者の亜種としてフェミニストであると考える。
フェミニストの行動が過激化していると感じる。その理由は関連事件や発言でいわゆる炎上が目につくようになったからだ。紹介が遅れたが私自身もフェミニストである。
元々炎上して然るべき思想である。男性女性両方が存在する世界で、片方の女性だけを擁護する思想なんだから当たり前と言ったら当たり前である。
ミサンドリーの亜種と言ってもいい思想、最近になって悪目立ちするようになった理由とは何なんだろうか。
フェミニズム運動自体は古来からあった。現代とは違う形だが、女性の権利獲得運動という点では同一である。
古来フェミニズムとは女性の露出、女性らしさを主張する運動であった。女性とは抑圧される立場だった。格好にハレンチとケチをつけられ、目立つと女のくせにと言われる時代があったのだ。女は慎ましく生きよ、控えめにして男を立てよ、そんな締め付けに反発して始まったのがフェミニズム運動である。女性らしく生きたい、女性が活躍して目立って何が悪い!それらを掛け声に女性の社会に露出する権利、女性らしさを活用する権利を勝ち取る運動だった。ここで言う女性らしさとは女性特有の妖艶な魅力(性的な)を利用した生き方のことである。
現在のフェミニズムの主流は過去のフェミニズムの女性らしさという型に反対する運動である。女性らしく生きる女性に対してハレンチだという立場が入れ替わった形だ。時代によって運動は変わっていくものだ仕方がない。しかし、古来フェミニズムが勝ち取ってきた女性が女性らしさを行使する権利、女性的魅力を利用したり利用される権利が取り上げられようとしている動きには違和感があるのだ。例としてあるフェミニストについて詳しく語ろうと思う。
kutoo運動はご存知だろうか?女性はハイヒールを履くことを強要されている!そんな現状に反対だ!という運動である。石川氏発端の素晴らしい運動だ。何がいいかってハイヒールを禁止せよではなく、ハイヒールを強要しないでほしいと訴える運動である点だ。ハイヒールを履くのが苦痛な女性がいるのと同時にハイヒールが好き、履きたいという女性も存在する。後者を透明化せず、尊重した上で苦痛を感じる人から悩みを取り除く運動である点はフェミニズムとして理想的なものなのだ。
その石川氏なのだが、その後度々炎上を起こす。それには理由が2つ考えられる。
一つ、フェミニズムを救済運動ではなくビジネスに重点をおいてしまったこと。kutoo運動成功によりフェミニストとして名が売れた石川氏であったが、それにより行ったことが、書籍の発行、講演会である。名が売れた人の当然の権利であるが、少々やり過ぎた感が否めない。攻撃的とも言える内容、金銭の徴収。有名になり誇張された言説と合わさって、信奉者に疑問を抱かせ元々アンチだった人には攻撃の絶好の理由を与える結果となった。kutooだけでなくその他マルチに活動し多方面に関心を抱かせたのも災いした。敵を多く作り、離れてしまう信奉者も増え、あの頃の輝いていた影はもうない。しかし本人はプライドが高い故にそれが認められず、強がる様子を見せ、それも悪循環の原因となっている。
二つ、ブーメラン発言。石川氏は時々鋭い指摘を行う。ある問題に対して端的にズバッと斬り込む発言は多くの人に響いた。それだけならよかったのだが、その発言は対象だけでなく、石川氏本人にも刺さってしまう内容なのだ。石川氏は一つの確固たる理念を突き通すタイプではない、その場その場で立場発言理念を変え柔軟に対応し全方面に対して最大利益を得ようとするタイプだ。それ故に現在の発言が過去の自分の発言に刺さってしまったり、その逆過去の自分の悪い例としたことを実行してしまったりするのだ。
石川氏を始めとする成功例はフェミニズムを容易にビジネスにした。元々一般とは違う特異な思想である。宗教と同じで金銭が絡むのは早かった。
同業者であるフェミニストが増えるとフェミニズムで稼ぐのは難しくなる。それを解決するための方法として、思想の尖鋭化が簡単だ。ようはより過激に、目立つように発言することで新規の信者の獲得と現在の信者の固定化を狙っているのだ。過激化に伴いついていけなくなる信者も一定数発生するが、他フェミニストと差別化が行えるというのは魅力的であった。
そうして急激に競争が進み、追随してフェミニズムの過激化が起きたわけだ。
終わりにフェミニストの立場について話す。
フェミニストとは女性の代表なのだろうか?否、フェミニズムはもはや女性代表とは言えない。あえて言うならフェミニストはフェミニスト代表である。女性には女性らしさにうんざりする者もいれば女性らしさが合っている者も存在する。これは先にも話したが、まぁ女性と一言で言っても一枚岩ではないと言うことだ。
過激化により女性らしさの否定を行うようになった現在主流のフェミニズムは女性らしさを肯定する女性を切り捨てる思想だ。単純計算半分の女性に賛同されない運動に女性代表と名乗る権利はないのだ。
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