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영화,포스터 그리고 사람들 propaganda interview list②

パクドンウ
カリグラフィーが、 私は上手くできないんです。(笑)

イドンヒョン
それは私だと思う。

チェジウン
主に私が使いますが···。

イドンヒョン
だからみんなで一緒に書いて、広げてみると気後れします。 特にチェジウン室長のカリグラフィーを見るとですね。私が書いたのは素人の字のように感じます。少しずつ練習していたら、安心できるようになりました(笑)

チェジウン
代わりに私ができない部分については2人の友達が上手くやってくれます。私は編集デザインと絵にとても弱い方ですが、イドンヒョン代理が得意です。お互いに足りない部分を埋めてあげるのです。

映画のポスターの目的は明らかだ。デザイン的な要素はともかく、映画という巨大な総合芸術を不特定多数に告知する役割だ。「こんな映画があるから注目してみて。こういう映画も封切りするので映画館に来てください」とイメージで話しかける作業だ。 【プロパガンダ Propaganda】の辞書的意味は「宣伝(宣傅)」である。思想や理論、知識を大衆に知らせるという意味。だから特定の映画を知らせるための、ポスターを利用して観客を誘惑するという意味の宣伝だ。ポスターが映画興行を切り開く手段にはならないが、戦略的な手段にはなり得る。特に、監督俳優の力が相対的に不足する場合、その物差しがさらに浮き彫りにされるしかない。(←ポスターの役割がより重要になるという事だと思う)

チェジウン
作業をするたびに負担が大きいんです。特に材料が足りない映画があります。スチール写真も使い物にならないと、無から有を創造しなければならない時があります。使う材料がないとしても、観客がポスターだけ見て映画を見たくなるのが私たちの仕事だからです。 そういう時が一番大変です。 輸入映画の【私の母(邦題:母よ)】ナンニモレッティ.2015 や【あん:小豆の人生物語】河瀬なおみ.2015 などは本当に使える材料が少なかったんです。それで【あん:小豆の人生物語】は映画内容の大事な役であるどら焼きを買ってきて新しく撮って作りました。

「あん」のポスターは、日本でも多くの人に知られている。プレインカーカイブがUEで販売したアートポストカードには人物が入っていたが、映画ポスター自体はとてもシンプル。

パクドンウ
最近、インディーズ映画を輸入する輸入会社でも国内バージョンでポスターを作り直すことを望んでいる傾向です。競争です。以前はメインポスターを1枚だけ露出させていましたが、最近はティーザー、キャラクター。スペシャル、アートポスターまで。小規模だとしても仕事がだんだん多くなります。

チェジウン
インディーズ映画は商業映画より露出頻度が低いでしょう。SNSを通じた情報発信をできるだけ歓迎するためです。それで映画と関連したグッズも作り始めました。戦争が始まったんです。 誰が綺麗に作るのか。

そうだ。戦争だ。メインポスターよりアートポスターが注目を集める場合が生じ、映画より関連商品に関心を示す観客が増えた。もしかしたら、観客はメインポスターの商業的なイメージで、渇いていた部分をアートポスターで満たしているのかも知れない。映画が描いている内容の商業性と芸術性はさておき、それ自体は映画館で売らなければならない一つの商品だ。それを商業的に利用するのが当然だが、その中でもっとユニークで、もっと芸術的な何かを求めることだ。このような渇きは観客だけにあるのではない。プロパガンダは違うやり方で喉の渇きを癒す。2013年からプロパガンダは【プロパガンダ シネマグラフィックス】というブランドで映画にまつわる商品を作った。

チェジウン
プロパガンダ5周年を記念する意味で【ニューシネマパラダイス】ジュゼッペトルナトーレ.1990(1993年、2013年再封) のアートポスターを作りました。周りの人たちに配ったりもしたし、その後、2013年に【ニューシネマパラダイス】が再上映された時、私たちがポスターを引き受けて作業をしたのですが、その時「アートポスター」という名前で配布したらどうかと提案しました。そしてポスターを4つのシリーズで作ることになりました。その後【グランブルー】リュックベッソン.1993(2013年再映) のポスターも作られ、バラエティに富んだ映画を作るときもアートポスターを作っています。 外国で一時期ミニマルポスターが流行ったように、アートポスターも流行のように広がったんです。 周りの反応も良くて、映画会社との協議を経て販売を始めました。その過程で【プロパガンダ シネマグラフィックス】という独自のブランドを作り、最初はポストカード、ポスターを作って販売しました。自然に「アートブック、本を作りたい」と思いました。まず、「プロパガンダだけの本を作りたい」という思いと「私たちだけのものは何があるのか」から出発したのです。プロパガンダのアーカイブであると同時にポートフォリオですが、誰かには映画資料集になるかもしれません。プロパガンダでデザインしたポスターのレタリングだけを集めて1冊目の本を出して、その後カリグラフィーだけを集めて2冊目の本を出しました。ポスターに一緒に載った姿で見て、字だけ別に剥がしてみたら一味違うと思いました。

2013年に再映されたニューシネマパラダイスのポスターと、アートポスター(4種の内2種だけ載せます)アートポスターはプロパガンダが運営するシネマショップで販売されていた。

インタビュー中にあるカリグラフィーの本。私も両方持ってます。絶版でしたが、新装版が最近出ました。とても面白い本。

パクドンウ
日本ではグッズしか集めておかない本、ロゴだけ集めておいた本、チラシだけ集めておいた本など、アーカイビングがとても充実しています。国内では出版された形態では見ることが難しかったですね。 出版物として出た資料はありませんが、元々チラシや関連したものを集める方々はかなり多くいます。 SNSが発達していない時は、ネットコミュニティーで暗に情報を交わしたり、今も活発です。映画チラシだけ専門に印刷する印刷所がいくつかあって、そこに毎日来る方もいますし、週に1回ずつチラシだけ収集しにくる方もいます。  

チェジウン
2000年代初期にも似たような雰囲気がありました。 韓国映画市場も活発で、ポスターもきれいでした。 【接続・コンタクト】チャンユニョン.1997【約束】キムユジン.1998 【インタビュー】ビョン·ヒョク.2000 など、映画と関連したファンシーグッズも多く出ており、一時的に好況期でした。ところが、ある瞬間消えて、今はあの時の感じが再び蘇っているそうです。2016年には1950〜60年代の映画、私もただ集めて「映画宣伝図鑑」という本を作りました。 私が直接収集したものでもあり、チラシを収集する同好会の会員でもあります。集まりに出てみると一番若い側に属します。 だから、この種のアーカイブ本を良い質にしたかったし、映画のポスター作業をするチームが作るということも意味があると感じました。

大衆が好きなもの、観覧客を惑わすこと、デザインを学ぶ学生に方向を提示する役割のプロパガンダもあるが、簡単には治癒できない同時代の痛みを描いたドキュメンタリー3本のポスターを作ったりもした。あいにく、いや呆れた事に3本とも文化系ブラックリストに名を連ねた作品でもある。【ダイビングベル】イ·サンホ アン·ヘトン.2014(2015年再上映)【アップサイドダウン】キム·ドンビン.2016 そして【悪い国】クムジンヨル.2015 まで。映画のジャンルによって、あるいは特定の状況が作業に与える影響もあるだろうか。

パククネ政権は、政権に批判的な特定文化人を載せた「ブラックリスト」作成。後に関与した女性閣僚が職権乱用容疑で逮捕された。ブラックリストに載せられた人達は公的支援を打ち切ると脅されたり、メディア出演を断られたりした。

「ダイビングベル」のポスター。セウォル号の事件を描いたドキュメンタリー映画。

チェジウン
面白いです。私たちが担当した三作品もブラックリストにあったんです!ひとつ仕事をしたら、似たようなジャンルの作品依頼がたくさん入ってくるんです。 2017年に公開された【ノ・ムヒョンです】イチャンジェ.2017 とか【ミスプレジデント】キムジェファン.2017 という作品もしてるし 「ミスプレジデント」は、パククネ前大統領の支持団体をインタビューしたドキュメンタリーです。映画のタイトルで表現した【ミス】は「Mis 悪い、間違った」と「Myth 神話」の二つを掛け合わせています。 監督に「ポスターの中の元大統領をお姫様のように綺麗にしてほしい」という注文を受けました。ポスターのコピーも「죽을 만큼 사랑합니다(死ぬほど愛してます)」です。全体的に反語的(皮肉っぽい感じ)な概念ですね。

「ミスプレジデント」のポスター

イドンヒョン
映画の内容が与える痛みや悲しみを落とし込んで作業するより、制作会社や監督の望むことをより重要にデザインに反映する事が多いです。現実の痛みを語る映画ほど、理性的に考えて、より多くの人に見られるように、よく注目されるように努力します。作業の時は、映画そのものにとても忠実になるんです。「悪い」を区別するというよりも、仕事を任されたら責任感が大きくなるのです。どんな映画なのか話せないけれど、ポスター作業をしなくてはいけなくて、見ている間ずっと大変な映画がありました。「どうやって作ろう」って心配になるんです。でも心配とは反対に良い結果が出ました。見ている間、作業している間ずっと大変だったけど、実際は結果が良かったのは不思議な経験でした。

「シネフィル Cinephile」フランス語で映画マニアを意味する。特定のジャンルの映画を愛するのではなく、映画自体を愛することを意味する。チェジウンはシネフィルだ。小学生の時から明け方こっそり劇場に行ってポスターを剥がしたり、様々なチラシは今でも熱心に集めている。映画が彼の人生だ。一方、パクドンウとイドンヒョンは働きながら映画がもっと好きになったケースだ。必ず見るべき映画ばかり見る程度で、盲目的な方ではなかった。偶然に始まった映画のポスター作業を職業にすることになった。毎瞬間、神経を尖らせ、新しいものを作り出す職業は容易ではない。

チェジウン
人々はいつも聞いてきます。どこでインスピレーションを得るのかを、です。綺麗にオブラートに包んで話すんです。公演をよく見て、本も沢山読めって(笑)ところがそんなのありません。アイデアが浮かぶまで待つのではなく、アイディアが出るまで絞り出すんです。普段から収集して、黄鶴洞フリーマーケット※ に行って見物して、昔の物も買いながら、時々アイディアを得たりもしますが。とにかく締め切らないといけないじゃないですか。そうやって毎日していると10年経ちました。たまにアイディアが湧き出る時もあります。最近の作業で一番面白かったのは富川国際ファンタスティック映画祭(BIFAN)のポスターです。該当映画祭のポスターはこれまでイラストだけで作業をしてきたんですが、今回は写真でやってみたかったんです。私達が上手くできること、綺麗に写真に収めようと言ったんです。最初はガソリンスタンドの前で見られる踊る空気人形を考えていましたが、映画祭の公式象徴である「幻想細胞」を空気人形にしました。そしてこの人形を持って、済州島の森に行きました。この人形の実際の大きさが大体高さ3mくらいなんですが、森の中で移動させる苦労しました。木の枝に刺さって穴があいたら、その場で補修して移動させました(笑)

※ 黄鶴洞フリーマーケット 東大門近くでやっている古美術などの蚤の市

2017年のBIFANのポスター。他にも枝に捕まっていたり、浮いていたり色んなパターンがある。ちなみに2018年はエルム街の悪夢のミニチュア、2019年はブレードランナーのユニコーンの折り鶴になりました。

3人と向かい合って話のピリオドを打つ最後の質問を残して、それぞれ映画に対する態度が違うと考えた。この仕事を描いて、この職業を辞めずに続けられる理由。その理由が気になった。チェジウンが先に話を切り出し、イドンヒョンの話に、私たちは涙を見せて恥ずかしくて笑った。パクドンウは、ハッハッと笑いながら、「涙は滲む」と話した。

チェジウン
なんで仕事をするのかって。好きだから、映画が好きだからです。幼い頃から何の理由もなく好きだったし、収集しながら愛情も深まりました。幼い私にとって映画のポスターは単純なポスター概念以上のようです。仕事が大変でも、全国の劇場に貼ってあるポスターだけ見ただけでストレスが解消されます。試写会に行って、エンディングクレジットに名前が出るのを見てもそうです。今作業しているものが映画博物館に行けば数百年間残る資料になるんですが、私が収集家だからなのか歴史の中に残ると思ったら、ただ嬉しいですね。

イドンヒョン
かっこよく話せますが、おかしくなりそうなのでやめようと思います。

チェジウン、パクドンウ
言ってみて、気になるでしょう(笑)

イドンヒョン
お二人と続けるなら、本当に続けられると思います。プロパガンダで一緒に仕事ができるように機会をくださったし、私が続けられる原動力はお二人です。

イドンヒョンの涙の意味が少し分かった。話を交わす時、話を切り出す比重より聞く比重が高かった彼の最後の言葉が、特に長い間心に留まった。気の合う人としたい仕事が続けられるほど、作業の満足度に重要な影響を及ぼすこともまれだからだ。

スーザン·ソンタグ「いくら多くの映画が作られても、いくら良い映画が作られても、映画愛好家が消えれば映画も消える。

今この場だけはソンタグが言った映画愛好家はチェジウン、パクドンウ、イドンヒョンと言いたい。 映画を愛するほどプロパガンダを愛し、お互いを大切にする人々。誰かが今日も劇場で、通り過ぎるバスの広告板で映画のポスターを見るだろう。そのうち、いくつかのポスターからプロパガンダの空気と温もりを完全に伝えてもらいたい。

propagandaは2020.3.2で12周年を迎えました。日本からも韓国の映画ポスターデザインに
多くの関心が集まる事が多い近年、これからも素晴らしい仕事に期待したいです。

終わり!

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