「剣士」ポリュデウケス(ポルックス)の調査経過と疑問点

さて今回は普通のギリシャ神話の世界にて、調査中に一つの疑問点がみつかり、紹介したく思います。

※色々調べ回ったのですが力及ばず、今までに分かった情報を掲載できればと同時に、あわよくばこの件について知見のある方に知恵をお借りできればと思い公開します。

要旨

・今回は中間調査報告という体を取りたい。
・ディオスクロイの一人ポリュデウケス(ポルックス)は日本では剣の達人として知られている。その設定は古代ギリシャ文献で何時ごろ生まれたのかを確認したく調査した。
・日本ではあまり剣の達人とは呼ばれない兄カストールの方なら一応の典拠を見つけた。ただしポリュデウケスの方は有力なものが見つかっていない。(現代の辞典にて誤記と思えるものならある)
・今後の展望としては、伝言ゲームによる誤りなのかを含めて引き続き調べられていない文献を確認していき、正確な情報を明らかにしていきたい。


経緯

今回は剣士としてのポリュデウケスの背景を探るべく調査を始めました。

日本の神話サイトなどをはじめポリュデウケスの説明をする際に「彼は拳闘士にして剣の達人である」という話をよく聞きます。
実際に私も「ああその通りですね」と全く疑問なく無批判に受け入れていたのですが、実際に様々な書物を調べる中でポリュデウケスを「剣の達人」として取り扱っている古典文献や学術書に当たらないことに気づきました。

もちろん、素人である私があらゆる文献を調べているわけでもない手前「間違いなく存在しないのだ」などとは口が裂けても言えませんが、例えばホメロスでは「拳闘士ポリュデウケス」、『ホメーロス風讃歌』では「潔白なるポリュデウケス」、時代が降ってもやはり彼はこのどちらかの名乗りで紹介され、「剣」に関するエピソードは見えません。(例えばホメロス、エウリピデス、ピンダロス、アポローニオスと言った名だたる詩人たちも皆、剣のエピソードには触れていないようです。パウサニアスなどを見ても剣を持つポリュデウケスのシーンはありません)

これについて、どういう文献に剣士ポリュデウケスが現れるのかを調査したく思いました。

古典文献サイトの活用

私はギリシャ語を読めません。
ただギリシャ文献のデータベースには『ペルセウス電子図書館』や『theoi project』のページがあり、今回はこれらを利用しました。

これらのサイトはキーワードで文献の確認ができるため、英語で「Polydeuces」や「pollux」等の関連するキーワードと入れて虱潰しに見てみましたが、該当するものは出ませんでした。

『ペルセウス』は古今の文献や辞典が集まったライブラリになりますが、200近い文献を確認したものの該当しそうな記述はありませんでした。
また『Theoi』については『ペルセウス』との重複文献も含みますがこちらも100ページ近く確認していますが、やはり見つかりません。※

つまり、我々の信じているような「剣の達人」であるポリュデウケスは、実は古代ギリシャ人に広く周知されていたものではない可能性があります。
そもそも存在しなかったのか、マイナーな記述として存在しているのかを確認するべく、いくつかの調査を行いました。

※学者の方のポルックスの話も多かったため、実際のポリュデウケスの記述はその半分程度でしょうか。
 なお、今回の件は「カストール」や「ディオスクロイ」ではなく「ポリュデウケス」名指しでの記述のため、先の二つのキーワードでの調査は限定的です。

ウェブや現代文献の確認

次に現在のウェブ上でどのように扱われているのかを確認しました。

まず日本語の内容には複数ヒットします。
カストールは「馬の名手」「戦上手」として、ポリュデウケスは「拳闘士」「剣士」として紹介されることが多いようです。

例えば2020年8月末の状況では、Wikipediaのポリュデウケスの項目にもあり、偽アポロドートスを根拠としているような書き方にも思えますが、当該の書物には「剣の達人」に関する記載はありません。

一応Wikipediaが論拠とした『ビブリオテーケー』に関する出だしのところを記載します。この通りポリュデウケスは拳闘士(boxer)であると書かれています。一応本書の3.11はディオスクロイの生涯について書かれていますが、剣士としてのポリュデウケスは記載されず、そもそも「剣」というワードすら存在しません。

Of the sons born to Leda Castor practised the art of war, and Pollux the art of boxing; and on account of their manliness they were both called Dioscuri.
『ビブリオテーケー』3.11.2 偽アポロドートス

https://www.theoi.com/Text/Apollodorus3.html

※追記:編集履歴を見たところ、2003年10月20日の初版の段階ではすでに「剣士」であると書かれているようですがこの段階では参考文献はありませんでした。(間違った典拠となるアポロドートスは2009年11月8日の版にて更新されている)

現代の文献を確認したところ、2006年には新紀元社のゲームブックとして『海の神話』が刊行されており、ここにはポリュデウケスが「剣の達人」だったとの記載があります。参考文献として『神統記』、ブルフィンチの『ギリシャ神話』、「他、多数の書籍、雑誌、ウェブ・ページを参考としました」、とあります。
最後の一文が不親切ですが、神統記、ブルフィンチ共に本件の記述はありませんでしたので、引用元について追い求めることはできませんでした。そのため、これ以前の日本の文献にあるかは不明です。
最も時系列的にはこの『海の神話』がWikipediaの情報を引用した可能性も十分あります。そうなってくると元のWikipediaに正しい参考文献がない以上、このルートでの正しい追跡は困難です。

また、とある神話サイトの情報を頼みに『日本大百科全書 (小学館)』についても確認を取りましたが、剣の話は書いていませんでした。
情報としては完全に誤った内容が載っており、「カストルは拳闘の名手、ポルックスは乗馬の名手として武名をとどろかせている」となっていました。乗馬の名手として両名が描かれることはありますが、カストールが拳闘の名手と呼ばれる文献はなく、二人を完全に取り違えている形です。

また、もしかするとグレイヴスあたりの創作神話なのではと考え、日本語訳を見てみましたが、それらしい内容は見つかりませんでした。

テーバイのヘラクレスとカストールについて

『ブリタニカ百科事典第三版』(1797年)のヘラクレスの項目によると、「若いヘラクレスがカストールや他の英雄たちに様々な武芸を習う」という話は確かに書かれています。(一般にテーバイのヘラクレス、と呼ばれている内容である、とも)
その一方でカストールが教えたのは「剣技」ではなく、「戦い方」となっており、何を教えたかについては書いておりません。
(もう少しあとのものはどうなっているかと1878-89年のものを見てみましたが「テーバイのヘラクレス」のエピソード自体消えてました)



更に文献を追いまして、テーバイの若いヘラクレスの物語を偽アポロドートスの『ビブリオテーケー』(紀元1-2世紀)に「カストールが剣技を(to fence by Castor)」教えたという記載を見つけました。
もしかしたらウィキペディアが参照する場所を書き間違えたのか?と思いましたがこれはポリュデウケスではなくカストールの描写です。

同様の記述はテオクリトスの『アイディル』(24.119-、紀元前3世紀)にも登場し、こちらの方が古く、細かく書いてあります。

And how to abide the cut and thrust of the sword or to lunge lance in rest and shield swung over back, how to marshal a company, measure an advancing squadron of the foe, or give the word to a troop of horse – all such lore had he of horseman Castor ,when he came an outlaw from Argos, where Tydeus had received the land of horsemen from Adrastus and held all Castor’s estate and his great vineyard.

ここでは剣の使い方の他にも、対複数人の格闘術、騎馬隊の指揮の方法など「騎手」カストールは教えていたようです。

つまり、最初は『アイディル』にて記載されて、一般によく知られたカストールの「戦上手」の部分を書いた記述があり、ここに剣の扱いも含まれていたのを、『ビブリオテーケー』にて剣の箇所だけを抜粋したため「戦」→「剣技」に意味合いが変わった、と見ることができます。
『ビブリオテーケー』は他の作家の内容を粗雑な形で採用するケースがしばしばあり、批判されている書物ですので、おそらくこの『アイディル』『ビブリオテーケー』間でも似たようなことが発生したのではないかと推測できます。

※こちらの注釈によれば、この「若きヘラクレス」のくだりは他の文献では見受けられないものだとされており、本来はテオクリトスあたりの創作の可能性もある。
この注釈本では、ヘラクレスの栄光に他の英傑達を絡ませることで「箔をつける」目的もあったのではないかと推測している。またさらにここに登場するカストールについても「ポリュデウケスの兄弟のカストールではない別人」なのではないかとしており、確かにここでは「テュンダリオスの子」とは紹介されていない。
(もっとも個人的には「馬の乗り手」カストールといえば、スパルタのディオスクロイであるカストールのことを想定していたのではないかと思うのだが、いかがだろうか)


さて、少なくとも剣術の達人とは日本ではあまり言われないカストール(と思しき)の方は間違いなく少なくともヘラクレスに教えられるくらいには「剣術の達人」とされたケースがあることはわかります。本来の描写はどちらかというと「戦の指南者」という感じですが下手では剣術の相手は務まりませんからね。

こうした記述を知ってらっしゃる方なのでしょうか、どこでみたかは忘れましたが、かつて「ポリュデウケスもカストールも剣が得意だった」と書かれたあいの子のようなサイトも見たことはあります。

ポリュデウケスとテーバイのヘラクレス

ひょっとしてと思いたち、テーバイのヘラクレスと同じシチュエーションでポリュデウケスの名前をGoogle検索してみますと、「ポリュデウケスがヘラクレスに剣を教えた」としている辞典も見つけました。

Richard Barber『a companion to world mythology』(1979)

世界の神話を扱った書物らしく、古代ギリシャから日本に至るまでワールドワイドな内容が広く述べられています。ページごとの美麗なイラストも満載で単純に見ていて楽しいのですが、この本には参考文献がひとつも載ってなかったので「剣の達人ポリュデウケス」の話をどこから引っ張ってきたものかは不明でした。
先程の『日本大百科全書』と同じく、ディオスクロイの双子の取り違えは暫し書物で見受けられることのようです。他の部分が違わずテーバイのヘラクレスの物語と一緒なのでこれだけ見るとおそらく誤記なのでは?と思います。

またこちらの作品は1979年発行のため、海外でもある程度の認知はされているらしく、海外の質問サイトでもこちらの文献をもとに「ポリュデウケスがヘラクレスの剣の師匠だった」という話を語っている人もいました。
また2012年の書物で「ポリュデウケスがヘラクレスの剣の師匠」の話もありました。これが『a companion to world mythology』を底本としているものかはわかりません。
どちらにせよ、参考文献がない以上、剣士ポリュデウケスの調査は闇に放り込まれた状況です。

個人的に見つけられたのはそこまでです。
果たして剣士ポリュデウケスに関する古代ギリシャの文献はあるのか、あるとしたらなんという文献なのか、ないとしたらいったいいつ頃、どういう経緯でこの逸話は生まれたのか。
力尽きてしまったので経過報告ですが、また追加の報告ができればうれしく思います。

まとめ

今判明しているたしかな情報は下記のとおりです。

①カストールは若きヘラクレスに剣技を教えていた。古典文献『アイディル』『ビブリオテーケー』にその記述がある。(=正しい)
※紀元前3世紀頃には存在していたことになるが、伝承は少なくあまり周知はされていなかった模様で、ディオスクロイのカストールとは別人説もある。
②1979年にポリュデウケスが剣の名手であるとしている辞典がある。ただし枝葉末節は①とほぼ同じである。辞典に参考文献はないため古典文献は紐づけられないが、この辞典に限りカストールとポリュデウケスを取り違えている可能性は極めて高い。(=正しいかはわからない)
③同じ内容は1797年の『ブリタニカ百科事典』(第三版)などにも載っているが、ヘラクレスの師匠とされるのはカストールのみであり、ポリュデウケスについては言及がない。①のどちらにも剣の達人ポリュデウケスに関する記載はなかった。
④ただしフラグメントは調べていない。特に近年の発見であれば③に乗っておらず、最近の本でその描写が現れ始めることに違和感はない。(ただし専門書と思しき文献が見つからず辞典が一例のみというのは心許ない)また全ての古典文学を網羅できているわけでもないので当然漏れの可能性はある。
⑤theoi project 、ペルセウス電子図書館の検索システムを使って「polydeuces」「pollux」を虱潰しにしたが該当せず。さらに「fencing」を調べたが、剣士ポリュデウケスに該当はなかった。
Googleでも「Polydeuces fencing -Castor」等で検索したが、該当は上に書いた2件のみしか見つけられなかった。(テーバイのヘラクレスのカストールはある程度(本だけでも十件以上)出てくる)
⑥日本の文献としては新紀元社のゲームブック『海の神話』(2006)に記載はあるが、海外の文献にさらに古いものがある以上、こちらの誤情報ではない。また本書にはウェブサイトを参考にしたとの記録があり、Wikipediaの記録の方が古いため、本書もWikipediaからの引用である可能性も残る。

さて、ここで推測できるのは下記の内容である。

①カストールは剣の達人とされる場合があるが、その例は少なくあまりメジャーとは言えなさそうだ。戦上手のカストール、馬術の達人カストール※という名乗りは一般的。(徒競走で優勝したという例もマイナーだがある)テオクリトスの描写は剣に限ったことではないため、本来は「戦の指南」とも呼ぶべき描写に思えるが、偽アポロドートスの描写は明確に「剣の指南」と変わっている。(おそらく転記誤り)

②ポリュデウケスが剣の達人とされる古典文献は見つけ切れていない。もし今後あったとしても古典作品での言及はかなり例外的と言ってよく、こちらもメジャーとは言えないように思う。人気のエピソードともなれば後世の作品に派生するが、その様子がないためだ。
(今回見つけた辞典の「ポリュデウケスがヘラクレスに剣を教えた」の描写については誤記だろう。「テーバイのヘラクレス」の描写は先述のカストールに関する二文献しか発見されていない)
ちなみに拳闘士ポリュデウケス、高貴な(あるいは清廉な)ポリュデウケスと呼ばれることが多く、『ペルセウス電子図書館』や『theoi project』のページでは数十件確認できた。(やはりアミュコスとの絡みでボクシングの描写と語られることがメジャーなようだ)

※カストールがピックアップされることが多いものの、ディオスクロイは共に馬上の槍を持った騎士として絵画や物語によく描かれるので、おそらく馬術は共に得意と思われる。
二人が剣士ではなく「槍使い(spear man)」と表現されている箇所は何件かあった。

こうしたところでしょうか。
古典文献ではあまり語られなかっただろうエピソードが地中海を遠く離れた島国で有名になっているのは面白い事象だと感じました。

一旦はこうした形でまとめたものの、諦めずにポリュデウケスの文献を追い求めて発見できればと思います。

その時は大手を振って剣士ポリュデウケスの紹介をすることといたしましょう!

それでは。


※念のためご注意!
これは既存のフィクション作品を否定する意図の調査ではない。ディオスクロイはスパルタやローマの軍神としても祀られるほどの戦士であるため、剣技を含めて武芸百般を得意としていても何らおかしくはないためだ。
単純に古代ギリシャ文献にて「剣士」としてのポリュデウケスが実際に語られていたかどうかにのみ焦点を当てていきたい。

9/12)Wikipediaの編集履歴を追えることを知ったので、その辺りの変遷を中心に若干追記した。

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