話すことよりも聞くこと


「人が好きですよね」

ポッドキャストを通じて知り合ったある方に、そんなことを言われた。僕がこれからやってみたいことを彼に伝えた時だった。

「大好きですよ、人」

自分の口からすぐに出てきた言葉に驚いて固まった。僕は、人が好きなのか。正直、意外だった。ひとりで過ごす時間が大好きで、人がたくさんいる場所は数分いるだけでどっと疲れてしまう。この数年は特に、仕事だけでなく、人間関係や将来のことで頭が常にいっぱいで、人の何気ない一言に落ち込んだり、さらには自分自身の身勝手さに任せて人を傷付けるようなことばかりだった。

未曽有のパンデミックによって世界中が在宅勤務や外出規制がかけられた時、自分はどこか内心ほっとしていたところがあった。自分の周りを通り過ぎていく人たちや時間のスピードに追い付くことができなくて、心がボロボロになっていた時だった。東京に住んで3年が経つ春、坂に囲まれた自宅アパートにメルカリで買ったコンロや机、本棚が続々と届き、”生活”と呼べる時間がようやくできるようになっていった。人と話す時間は、オンラインや電話で十分。話したい人間と話したいときだけ、自宅から話す時間が増えたことで、他人に傷付けられたと感じることや人混みに心をすり減らされることもなくなった。それまでベッドに寝転がりながら読んでいた本も、机と椅子があるだけであっという間に充実した時間に変わった。

異変は、そんな新しい生活様式が落ち着いてきた2020年の冬頃だった。人とうまく話せなくなっていた。人との会話に距離ができた反動として、会話に求められたのは簡潔さやわかりやすさ、そしてスピードだった。1週間誰とも会話をしないこともあった自分はいつの間にか、出てくる言葉が独りよがりなものになっていき、何を言っても伝わらない有様になっていた。会社ではコミュニケーション不足、何を言っているのかわからないと言われ、焦れば焦るほど話すことばかりに意識が偏り、話し相手との会話のリズムが完全に狂っていた。会話ができないことで、僕はどんどん自信を無くしていった。伝わらないということは、自分の存在意義を失っていくような感覚だった。久しぶりに友人に会っても、自分の口から出てくるのは愚痴ばかりで、別れた後に落ち込むことばかりだった。

そんなときに始めたのが、ポッドキャストだった。「話すことのリハビリ」と、当時の自分は言っている。

日頃思ったことや感じたことを、自分のために、ゆっくりと話し続けた。眠れない夜に一人でパソコンを開いて、自宅の壁に向かって話し続けた。なんの見返りも求めずに始めたそんなポッドキャストだったけれど、数回配信した頃、思いもよらぬ発見があった。

ポッドキャストは独白ではなく、対話だった。

普段思っていることを声にしているつもりだったのに、収録して配信したものを改めて自分で聞いてみると、そこには悩みや迷いがそのまま表れた。時には声にしてみることで、自分の本心とはズレていると感じるところもあった。ひとりで話していても、それを自分で聞くとき、それは自分の声に耳を澄ます時間になり、あらためて自分の言葉としっかりと向き合うことができた。収録するときは、自分の言葉を発信しているようで、いざ配信してみると、そこから先は自分の声にしっかりと向き合うための対話の時間になっていた。

大切だったのは「話すこと」よりも、「聞くこと」だった。

自分のためにと始めたポッドキャストも、時々リスナーが感想などをメッセージで送ってくれた。もともと好きで聴いていた「奇奇怪怪明解事典」というポッドキャスト番組を通じて出会った編纂員(リスナー)たちとのSNS上の交流のいくつかは、個人的な付き合いに変わっていったものもある。

自分の番組にゲストで出てもらったり電話をする仲になったり、実際にお会いする人なんかも出てきて、対話によって出会いが広がっていった。僕の番組は、決して面白さや奇抜さなんかかけらもないようなものだから、声をかけてくれた人がなにを面白いと感じているのか聞いてみると、「なんか話してみたかった」という言葉が多く、その答えはいまだにわからない。そして、この先もわからなくてもいい気がしている。

「話すこと」よりも「聞くこと」。

2021年になってから、何回も僕はこの言葉を繰り返している。SNSをはじめ、個人の発信が多様な形でこの瞬間も増え続けている世界で、大切なことはきっと、上手に話せることなんかじゃない。わかりやすい言葉は便利だけど、わかりやすさは人と人が関わって生きるうえでの大切な何かをそぎ落としている。一見意味のないようなそぎ落とされたものでも、それはたしかにその人の思いの温度を持っていて、それに触れた時、僕たちは機械よりもきっと複雑で面倒な、それでいて愛おしい「人」をはじめて知ることができるのだと思う。


「人が好きですよね」

「大好きですよ、人」

そう言った時の自分の声に嘘はなかっただろうか。その言葉の先で、僕はまた「人を好きでいたい」と思っているのかもしれない。



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