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山邊鈴さんのnote「この割れ切った世界の片隅で」をよんで

今回は最近、新たに知った山邊さんのこと、記事を読んだ私の心情について書こうと思います。そもそも山邊鈴さんを知ったのがYouTubeのWEEKLY OCHIAIの「子供の教育格差と自己責任論」というのをチラッと視聴した時でした。この動画を拝見して、そもそも落合陽一さんの意見が辛辣というかなんというか賢くて自分とは違って面白い人だなと思いました。そして落合さんのことを知ったのは林先生の1ヶ月限定対談企画です。その時も面白い人だなと感じていたことを思い出します。これまた最近気になる人の1人です。

それはさておき今回は山邊さんのnote「この割れ切った世界の片隅で」を読んでみて、感想を書いてみたいと思ったのでここに写します。

まずYouTubeを視聴している時から感じていたことは、19歳とは思えないくらいに自分の考えを持っており、この子はこれから何かを達成していくんだろうな、人としてとても尊敬できる、これから世界をどう生きていくのか気になるなどのことです。

記事の内容についてはYouTubeの番組の中でも話題になっていましたが、どうしてnoteでバズったのかということ。そこに対して私は落合さんのような疑問点をもった訳ではないけれど、そういう見方もあるのだなと1つの視点を知りました。これについては番組の中で答えが出かかっているのがわかります。そこはおいといて、私も山邊さんのnoteを読んで何かを感じてこうやって文章を書いてみようと思った訳です。

私の拙い文章で感じたことを書いてみると、やはり育った環境で格差というか、人との違いができてしまう。それは個性であったり、いい部分もあるかもしれないが学業においてはもどかしく感じるところもある。学業でなくてどんなことでも、もっと早くやっていれば良かった、などと大人になって感じていることがあるだろう。親や環境のせいにしてしまうのは違うと思う。しかし、それだけの選択肢を大人になる前の子ども達に与えられることがとても重要だと改めて思った。

私は小さな頃から、本当にぼんやりと生きていて勉強で何が大事とか自分のしたいことなど本当に何も考えたことがなく、流されるように生きてきた。ただこなしていただけというか、言われたことをやる。嫌だなって思ったことはあまりやらない。そんな感じで学校のテストも良い点数を取らないといけない理由は周りがそれを目指しているから自分もという感じで、本当に物事の本質も分からず、ただなんでもできればいっかの気持ちでやっていた。今こうやって振り返ってみるとよくわかる。

「よく生きてきたな自分」というレベルでぬくぬく生きてきた。それもこれもよく言えば、周囲の人がいい人達ばかりだったのかもしれない。悪く言うと誰も、何もわかっていない私に本当の事を教えてくれなかったのがいけないのかもしれない。基本的に人の所為にするのが嫌な私は、自分が未熟だったから、それだけ主体的に何も考えてこなかった自分がいけないと思っている部分が多い。

こういう私みたいな、自分のことさえもよくわかっていない子がいたらもったいないなと思うから、選択肢を与えたい。「与える」というと何か上からに聞こえるが、「知って欲しい」から知ってもらう手立てをできたら良いなと思う。

まだまだ未熟な私で何もかもがわかるわけではないですが、自分の子供、関わる人など、誰かに有意義な「何か」を与えることができる人物になれたらとても良いなと考えています。

山邊さんの文章を読んで、自分の中で色々な気持ちや考えが浮かんできて、noteでも話が色々な方向へ飛んでしまいました。

政治的、教育的、色々な視点で観れる、この記事を様々な人に読んでほしいと思っています。

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