結婚したくないけどプロポーズはされたい

結婚のクライマックスは、プロポーズの瞬間だと思う。

結婚には、男女関係ヒエラルキーのトップという側面がある。

結婚をトップに、次が独身男女同士の恋愛、その次にどちらかもしくは片方が既婚者の恋愛である不倫、その次にセフレ、ただの浮気、などがある。よのなかの価値観は、だいたいそんな感じではないだろうか。

プロポーズは、2人の関係がトップへと昇格する瞬間である。同時に、女にとっては、相手がこれまでに付き合ってきた他の女の誰よりも自分が一番であること、他の女が成し得なかった「初登頂」を意味する。「わたしだから登頂できた」そう思える、自己肯定感が最高到達点を記録する瞬間だ。

世の中の女の「結婚したい」の67%ぐらいは、この「初登頂による自己肯定感が最高に高まる瞬間を経験したい」でできているのだろうと思う。

そう思う根拠はバツイチを嫌がる傾向だ。

たとえば、よのなかにはバツイチはいやだ、という人が大勢いる。私は、結婚なんていう無理ゲーに仮に挑むのであれば、パートナーは経験者の方がいいに決まっていると思う。これ以上説明のしようがないぐらい確信を持ってそう言えるのだが、いやがる人は「初登頂」ではないからいやなのだ。この男にはかつて、結婚というトップに昇格させた男女関係がすでにあり、わたしが手にした妻の座は初登頂のそれではない。自分と元妻、結局はどっちがトップなのかでずっと悩まなければならない。バツイチはいやだ、というのは、自己肯定感を高めてくれない婚姻関係は求めていない、ということと道義に思われる。

それから、結婚式の準備を手伝わない婚約者にキレる現象もそのひとつ。「わたしのこと世界で一番愛してるんだから、一緒にワクワク準備してくれて当たり前でしょ」と思っているから、ドレスや装花選びまで付き合わせようとするのだ。そんなもの、男が興味があるわけがないではないか。男の基本は、より強いビックリマンのシールをよりたくさん集めて、友達と比べっこして勝ち負けを決めることなのだから。

もっといえば、浮気や不倫にキレる現象もそのひとつだ。妻たちは、「あなたには私だけのはず、私が一番のはず。それなのに他の女に手を出すなんて」と、登頂によって得られたはずの自尊心を傷つけられてキレる。

プロポーズの瞬間に最高点に達した女としての自己肯定感は、まずは結婚式の準備段階で下がり、その後ずっと下がり続ける。なぜなら、あとは生活が待っているだけだからだ。

プロポーズは素晴らしいものだ。男からたった一人の妻に選ばれる栄誉は、なにものにも替えがたい。だけど、その栄誉は一瞬で、その意味での自己肯定感は下がり続けるのだから、結婚はいらない。

結婚はしたくないが、プロポーズはされたい。

というひとつの真実。

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