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わたしのはなし-後半 2/2-

12月 意を決して伝える、母は落ち着きを取り戻す

悩んだ結果、ボーナスをもらった後に「結婚を機に退職する、3月は有休消化したい」と伝えることに。直属の上司は「そうなんだ!おめでとう〜。辞めてしまうのか〜痛いなぁ〜」と苦笑いをしながら言われましたが喜んでくれたので一安心しました。

仲良しの先輩たちにも一人一人と話していくなかで「退職することを言うと、何というか分からない上層部の人間だから、ぎりぎりに伝えるほうがいい。ただでさえ、給料が少ないのにボーナス前に言ってカットされる可能性もあると思う」と仲のいい先輩たちは口を揃えて言ったのです。だから私はボーナスカットは絶対阻止したかったので、ボーナスをもらったあとに伝えました。上層部の人は言葉もきつく高圧的であるため、先輩たちは嫌っているようでした。

そして、12月は母親の誕生日だったので、妹と話し合って誕生日の日にお見舞いにいくことにしました。初めて行く精神病院はどこか寂しげな印象でした。病院に着き受付を済ませ母のところへ、、、。看護師さんが母を呼びに行ってる間、妹と緊張しながら母を待つ時間はとても長く感じました。病棟の出入り口には鍵がかかっており、母親とはガラス張りの扉を挟んでの再会でした。

扉の前の曲がり角から歩いてきた母親は穏やかな表情で「あ、、、きてくれたの?」と話しかけてきました。母親と面会して正直、泣きそうになりました。だって、私が思い出せるの常に情緒不安定な母親の姿ばかりだったので、穏やかな母親を見れたのは随分昔に感じたからです。それと同時に心の底から穏やかな母親を見て安心した私がいました。

私は「元気そうじゃん。誕生日だから会いに来たよ」とだけ言って妹をみると妹は泣きそうな目をしながら笑っていました。面会は1時間ほど立ち話をしました。病院ではどんな生活をしているのか、毎日何を考えているのか、私たちはこうやって生活をしているとか、会話は途切れることなく続きました。面会が終わり病院を背にしながら、「なんか、、、元気そうだったね、、、母さん」「早くよくなるといいね」と話をしながら帰りました。あれだけ、「母親なんてどうでもいい」って思っていたのに、、、やっぱり私たちにとっては、どんな姿でも大切な母親なんだと改めて実感した日になりました。

2021年 1月 新年早々、上層部からの呼び出し

年末年始は、妹と過ご過ごすことができ、いい一年のスタートが始まったと思いきや、、、上層部に呼ばれ部屋に入ると「あー、来たね。ちょっとそこの扉しめてくれる?そこに座って。なんか、結婚するらしいね?」と威圧的な口調から始まりました。この雰囲気で明らかに怒っていることが伝わります。そして、結婚するので辞める。と話をすると「結婚するかどうか本当か知らないんだけど、あなたが此処に不満があって文句を言ってるのを知ってるんだからね?」と言われ、私は誓ってそんなこと言ってないし、それに結婚することを疑ってきたことにショックを隠せませんでした。この上層部の人は縁あって学生の頃からお世話になっており、私は慕っていた方だったので、このような言い方をされるとは思ってませんでした。2人しかいないこの小さな部屋で威圧的な態度をとられ、私は受け答えをするので精一杯でした。内容的には、「有給を主張するな、悪い歴史を残さないでくれ、4年働いてもまだまだ新人、あなたがしてること(退職)は残っている人に対して失礼なこと、新人教育もあなた1人が突っ走っているだけだった、大体声がうるさいからか主張が激しい、自分だったらうるさい人に世話をされたくない、あなたは価値観が狭い等」なかなか精神的に傷つく内容でした。1時間ほどそのようなことを言われ続けたあと現場に戻ったわたしの心はもうズタボロでした、、、。今まで頑張ってきたもの全てを否定されてきたのですから。仕事へのやる気もなくなり働く意味を見出せずになった新年のはじまりでした。

その後は精神的にやられてしまい上層部の部屋の前を通ることもできず、上層部の人の思い出すだけで吐き気がするほどでした。そんなこともおかまいなしなのが上層部、、、数日後、私のタイムカードに部屋にくるようにメモが貼られ2回目の呼び出しでした。そのメモを見た時の動悸はいまでも覚えています。一生忘れないだろうなぁ、、、、苦笑 2回目の呼び出しでは、どんなパワハラを受けるのかと恐怖でしたが、なんと入室して最初に上層部からでた言葉は「前回はごめんなさい」との謝罪でした笑、そして、お祝いしたいと思っている、去っていくのが寂しい、といった内容でした。この時そんなこといわれても私自身何も響きませんでしたが、、、とりあえず、前回とても傷ついたことだけは伝えられたのでよかったです。他にも後輩がこんな思いをしないことを祈るばかりです。先輩後輩には、もし呼ばれたらボイスレコーダーを準備していくことをお勧めしました。

2月 終わりよければすべてよし

そして、2月なんやかんやで無事にお祝いされながら退職しました。いい顔しない人たちがごく一部いましたが、そんな人たちのことは気にしません笑

他人のために生きているんじゃない、自分のために生きていたい。

彼と出会って、少しずつ自分自身と向き合うようになって、自分を大切にできるようになってきたと思います。

わたしと出会ってくれた彼に感謝。4年間一緒に働いた仲間に感謝。

わたしに良くも悪くも色んな影響を与えてくれた全てのひとたちに感謝。


こうして4年間の介護士人生に終止符がうたれ、怒涛の1年を終え
今度は知らない土地でまた新しい人生のはじまりはじまり〜 :-)

最後まで読んでいただきありがとうございました。 
またよかったら足を運んでください:-)

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