「分からない」を楽しむ

こんばんは、きいろいうさぎです。

毎日すごく寒いですね....泣 今日は仕事が休みだったので、家で過ごしていましたが玄関の近くに行くと寒すぎる....扉を開けるとそこは真っ白な世界....ぱたん。と雪に感動することなく、寒さでそそくさ暖房の効いた部屋に避難しました。笑

えっと、今日はタイトルにも書いているように『「分からない」を楽しむ」』ということについて書きたいと思います。

いつからでしょうか。「分からない」や「知らない」ということが恥ずかしく感じるようになったのは....。高校を卒業して、アルバイトを経験したりして社会に出るようになると、様々な人間関係に揉まれ、変なプライドも蓄積されてしまい「わからない」ということを素直に言えなくなりました。

子どもの頃は「え!なになに!教えて!!知りたい!」といった気持ちが溢れていたのにな...でも、よく考えてみると人それぞれ経験していることも、生きてきた人生も異なるのだから、分からないことがあっても仕方ないですよね。

そして、はたまた大人になるにつれて、新しいことに挑戦するよりも「今ををどう維持するか」「今より悪くならないように....」と保守的なことばかり考えてしまいがちになった気がします。皆さんはどうでしょうか。進歩的ですか?それとも保守的ですか?

ちなみに、わたしは保守的だったので、今年は進歩的に!革新的に!わたし自身誰かに合わせた人生とさよならするために、今年はなんでも挑戦してみようと決めています。わたし自身、婚約はしていますが結婚もしていないし、子どももいないので本当にやってみたいと思ったことを全部してやります。

でも、やりたいことって、やっぱり未知なものが多くて楽しみよりも不安の方が大きかったりするわけで....(さっきの勢いはどこに....笑)その不安に勝てず、結局しないままで終わる人っていっぱいいると思います。(わたしもその一人です笑)だから、勇気をだしてわたしはみんなを引っ張るぞ〜!なんて図々しく思っていたりします。

わたしが思う魅力的な人って、やりたいことしてるから、いきいきしてて自分の意思で選択して生きているから後悔しても「勉強になったな〜」なんて言えちゃう人だと思っているので、目指せ!そんなオトナ女子!笑

ながながまとまらない文章でしたが、最終的に何がいいたいのかというと

専門学校で勉強した「手話」をもう一度勉強したいと思います。

少しだけ、昔の話をすると専門学生の頃は聴覚言語障害者の施設に就職したくて就活していましたが、そこの施設は求人がでておらず泣く泣く諦め、いまの職場に就職したわけです。専門学校の手話の授業がすごく楽しかった。学生の時に、「どうして耳が聞こえないってだけで、こんなにもコミュニケーションに制限がでてしまうんだろう。先生は明るくて可愛らしくて表情がすごく豊かで素敵。わたしももっと手話ができたらお話ができるのに!!!」と思いつつ勇気を出して手話で話しかけて会話ができた時の喜びは今でも忘れません。ほんと手話って素敵だと思います。英語も大事だけど手話も日本の第二言語として勉強してもいいのに...とさえ思います。

そんな想いが専門学校卒業し4年間働いている今でも残っていたので、今回また勉強しようと思い立ったわけです。全然手話ができなくて恥ずかしい思いをするとは思いますが、「分からない」を楽しむという姿勢で勉強していこうと思います!

そして、ひっそりと胸に抱いているのは、来年からセラピストとして働くわけですが、技術を磨いて手話も話せるようになって、聴覚にハンデをもっている方も気軽にこれるサロンをつくるのが夢です。

少しでも夢に近づくために、頑張っていきます。本気で頑張りたい。


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