わたしのはなし-後半 1/2-

こんにちは、きいろいうさぎです。
前回に続き、振り返り書いていこうと思います:-)

7月:家にはもう帰らない。知らない場所で始まる生活。

わたしも妹も7月からは一人暮らしが始まる。いざ、一人暮らしするとなると、お金も意外となんとかなるもので驚く。贅沢はできなかったけれど、なによりも安心して夜眠れることがどれだけ幸せだったか...。実家にいる間の夜は、母親の癇癪がない時でも「いつあの叫び声が聞こえてくるだろうか...」「いつ物を破壊しだすだろうか...」と不安と恐怖の日々でした。それに、妹は一人暮らしが決まるまでの間に、だいぶ精神が蝕まれていて仕事にも行けなくなり、母親の叫び声などをきくと身体が動かなかったり、勝手に涙がでてきたりとわたし以上に緊急性がつよかったと思います。だから、ほんとに一人暮らしを始めてよかったです。両親に頼れないことがどれだけ不安なものか。周囲の友達は両親に助けられて生活してるなかで、(妹自身)はなぜ自分だけこうなのか。とそのギャップに苦しんだことと思います。でも、わたしはそんな状態でも自分らしくあろうとする妹を誇らしく思っていました。今でも自慢の妹です。

8月:環境にも慣れはじめ、少しずつ気持ちに余裕ができる

一人暮らしに馴れ始めるとだんだん生活の質も精神も安定していきました。仕事への通勤も片道1時間半かけていたので、自転車で15分で到着できることに感動でした。今考えたら、早く一人暮らししていたら、もっと時間的にも精神的にも余裕があったのかなぁ...なんて思いますが、もう過ぎてしまったものは仕方ない。夜もしっかり眠れるようになってからは、仕事で感じる疲労の回復が早くなりました。うん、ほんと人間眠らないとダメですね笑

9月:恋人に対する愛が深まり始める

徐々に回復しはじめたわたしは、恋人がどれだけ支えてくれていたのか気づくのと同時に「好きになってよかった。この人でよかった。」と思えるようになりました。家族が身近にいない分、恋人のおかげで毎日は寂しくありませんでした。でも、彼とは遠距離だったので毎日のビデオ通話が私たちの関係を繋いでくれました。会えなのに、顔もみれず電話だけだったら別れるのは時間の問題だったかもしれません笑、ビデオ電話もない時代に遠距離恋愛で続いてる世の中の先輩方には脱帽です。ほんと尊敬でしかない。

10月:ふたりが暮らすための準備、母緊急入院

書きそびれていましたが、私も彼もお互いに「結婚するならこの相手だな」と思っていたこともあり、彼は『二人暮らしをするために貯金をする』と他県の地元に帰り実家暮らしを始めていました。なので、以前よりも距離は遠くなり会うにも時間とお金がかかるようになりましたが、より会いたい気持ちが増すばかりである意味よかったかもしれません。それよりも私は彼がふたりの将来のことについて真剣に考えてくれていたことが何よりも嬉しかったのを覚えています。彼との会話では、明るい未来の話をすることも増え、この時期には二人暮らしの家を決め契約まで終わっていました。そのため、今年度で仕事を辞めるという決意をし反対にどのタイミングで先輩たちに伝えるのか悩むようになりました。

10月下旬、家族のグループがLINE動きました。嫌な予感しかしない。メッセージを見ると、、、

「これからお母さんを連れて病院に行ってくる。」

後日、弟から話をきくと、この時の母親は状態がかなり悪化しており、昼夜問わず窓を開けて叫んだり、家のものを破壊したり、周囲の人間がみんな自分を軽蔑した発言をしてくる(幻聴)など、かなり深刻だったようです。私たち(妹含む)は、もう家を出ていたので家のことなんて考えることはなかったので、弟はかなりきつかったと思います。そして、母親の状態がかなり深刻なことから緊急入院を3ヶ月することになりました。きっと家族の誰もが、母親が入院したことで心のどこかほっとしたことと思います。この時、初めて母親に「統合失調症」と言い渡されました。

11月 気持ちが安定し仕事にも精がでる

職場の仲良い先輩たちにはなかなか言い出せず。でも、明るい未来が待っていることもあり仕事にも熱心に取り組むことができました。新人にも向き合うことができ、「辞めるならばこの職場に何を残すことができるだろうか」と毎日考える日々でした。そして、いま思えばこの時期には退職する旨を上司には伝えておいたほうが親切だったと反省しています笑

母親は、入院したおかげで安定してきているとのことでした。妹と母親のことを話しても、嫌悪感しか持ち合わせていなかった為、なかなか母親と会う決心がつかない11月でした。


思いのほか長くなったのでまた続き書きますね :-)
よかったらまた足を運んでください:-)

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