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わたしのはなし-前半-

こんにちは!おひさしぶりです、きいろいうさぎです。
今日はわたしの振り返りをしていこうと思います。色々なことがあったなぁ...

さぁ、わたしの記録のはじまりはじまり〜

2020年1月:新しい出会い

約4年間お付き合いした年下の彼とさよならした後、2人しかお付き合いしたことがなかったので、「もっと色々な男性をしるべき」と友人にいわれ婚活に初めて参加する。恋愛するのに疲れていたわたしは特に彼氏を作る気もなく参加したけれど、似たような価値観で意気投合する男性に出会う(のちの彼氏となる)


2月:初めてのデートで付き合い、月末にはさよなら

1月に出会った男性と毎日やりとりをしていくうちにいい感じに。そして、初めてのデートで12時間近く一緒に過ごした末に告白され、とりあえず付き合ってみる。その後、恋人として何度かデートをしたけど、1度の居眠り運転で相手に不信感を覚え「やっぱり付き合えない」と相手に別れを告げる。


3月:彼の熱心なアプローチで再度お付き合い開始

「どうしてももう一度付き合いたい!」と彼からいわれ、彼のことをもう一度だけ信じることに。よりを戻したあとの彼は、本当にちゃんとしてくれて改めて素敵な人だと思わせてくれて、わたしも気づけばちゃんと好きになってた。そして、彼は付き合ってからすぐに家族のことを話しているので、母親のことに関しても一緒になって考えてくれる存在に。わたしが家族のことを心配するなかで、彼はいつも「誰よりも君が無事でいてくれるのが、俺は一番だから。」と心配してくれてました。きっと彼のおかげで自分自身を大切にするということを忘れずにいられたのかもしれない。


4月:職場に2人の新人が入社。新人教育を担当

新人が男女一人ずつ入社。配属はわたしの部署。約2年間の試行錯誤の末にやっと上司より新人教育のための資料作成等の許可をもらい資料作成にとりかかる。上司は「いいね」と賛同はしてくれるが、協力的な姿勢ではなく困惑しているような感じ。(新人教育という言葉はありましたが、先輩方は指導されてきてないので指導の仕方がわからなかったはず....)今までできなかったことを形にしようと気合が自然とはいる。


5月:母親の状態悪化にて家庭崩壊、両親は社会資源

母親の癇癪が昼夜問わず起きるようになる。癇癪が起き落ち着かせようとするも、お腹を足で思いきり蹴飛ばす、噛み付いてくる、包丁を投げる、といった行動を起こすようにもなり、わたしたちは疲弊しきってしまう。その後、父親に「母親のことはもう面倒みれない」というが、結論的には、『血の繋がりがあるのは、子どもたちなんだから、自分たちが面倒みるべき。(父親)俺自身にも、人として幸せになる権利がある』と主張され、その発言をきいて妹ともに呆れ顔。「もう両親としてみれない。社会資源としてみよう。」という認識に変化する。又、妹ともに一人暮らしをする計画がはじまる。動き出してからは、とんとんと話が進み契約まで完了させる。わたしは北に、妹は南に一人暮らしをすることになったので、「お互い寂しくなるね」といいながらも、新しい未来に少し胸を膨らませた。


6月:家が限界。帰りたくない。彼の実家にもお世話になる

(他人の家族の雰囲気を知り、自分の家が異常であることを再認識する)

彼のご両親はとても素敵な夫婦でとても優しくしてくれるし、心配も自分の両親以上にしてくれた。家族みんながテレビを見ながら楽しそうに会話しているのを見て、すごく羨ましいな...と感じた。彼の家に泊まりに行った時は、まいにち母親の癇癪や物を破壊する音が聞こえていたので、何も怯えるものがないから、まるで日本じゃない異世界にきてるみたいだった。目を覚ませば彼が隣にいて寝息をたてて寝ているのが、ただ、ただ幸せにしか感じなかった。それに、楽しかった家族の想い出なんて、ほとんど思い出せない。


長くなったので、前半はここらへんで。
最後まで読んでいただきありがとうございます。


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