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目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

https://omocoro.jp/kiji/358099/
この記事を読んでうおおおという気持ちで池袋のジュンク堂に行った。

高校生のときのメインの遊び場が池袋だったので、当時は何回も行っていたが、卒業して生活圏が変わってしまってだいぶ頻度が減っていた。
といってもまあ1年振りくらいだけど。

いきなりポストカードを連続でカゴにいれ、一緒にいた人に「本は?」と言われながら最初に手に取った書籍がこの本だった。

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記事内で恐山(オモコロだいすきで普段から呼び捨てで呼んでいますすみません)が手に取っていて、記事を読んだときから気にはなっていた。
ぱらぱらと中身を見てすぐに購入を決めた。

知識は全然ないものの、美術館にはたまに行く。同じようなことが書いてあったが、誰かと行ってもあんまり細かい感想を話すことはなくて、もったいなかったなと思ったりした。

人によって見えるもの感じることが違うし、見てもわからないこともあるし、それがおもしろいっていうのは、正直読む前から想定できた。
それに、わからなくてもいいとか、見た人の数だけ解釈があるみたいな言葉もわりとありふれているとは思う。

それでも、何を感じたか意識して考えることやそれを言葉にすることは、自分や相手を知るということなんだと納得いった。美術はそういうものなのかもしれない。
私は結構景色としての美術館や作品を好んでいて、わりとあえてぼーっと見ているけど、気分によっては?展示内容によっては?、自分が作品から何を感じたかをちゃんと考えるのもよさそうだ。なんでそう思った?って自分に訊くことって意外と大事な気がしてきた。

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自分や相手を知るみたいなテーマが思い浮かぶのは理由があって、並行(?)して「苦しかった時の話をしようか」読んでいたからだ。
全然関係ない内容なのに、それを取り込んだ私の中でリンクしていることが嬉しい。
ただ、このリンクしていることというのが、本の内容にも出てきて、なんかうまくいきすぎていてもはや腹立たしくなったりもする。

来年行こうとしまさんと話している企画展に行くのがもっともっと楽しみになった。

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↑このへんまで読んでる途中、ちょうど本の真ん中あたりで書いていた感想で、読み終わってから続き↓を書いた。

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後半になるにつれてうーんとなってしまった。
悲しい話や苦しい話が多くなった。

最後は「希望」という感じで終わるんだけど、いろんな話題が詰め込まれすぎていて結局わからなかった。

すべてを肯定しているような(しかも積極的ではないみたいな)姿勢でありながら、ぼーっと鑑賞していることを責められたような気になってしまった。

白鳥さんのあくまで揺るがない態度は、著者をはっとさせたりしていたけど、本当にそれで救われているのは、ついていけていない私だった。
美術館の話でも、白鳥さんの話でもなかった。どちらかあるいはどちらもだと(勝手に)思っていたので、読後感で言えば本当に単純に嫌な気持ちだった。
読み手としての私の性格や状況やコンディションが悪かったんだろう。それでいいよ、という感じ。

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