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苦しかった時の話をしようか

苦しかった時の話をしようか/森岡毅


読了後、あー!いまじゃなかった!!と思った。
ただただ苦しくなっていくことを感じながら、でも文字を追うことは止められない。

それはそもそもの活字から離れられない性格のせいでもあり、
どんなに痛くても吸収すべきと訴える冷静ぶった自分のせいでもあり、
そしてなにより、章単位で感想を話し合う同居人のペースに合わせるためだった。

彼とも話したが、こういう自己啓発?のような本って、著者である成功した人がこれからも成功していくための他者への洗脳みたいな側面を感じて、必要以上に疑いながら読んでしまう。
けれど、この本は著者の娘さんに対して書いたという前提があるせいで素直に読めた。
もちろんそれすら織り込み済みなんだろうけど、、まあ別にいいじゃないですが従順な消費者で、、。

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読み終わってじわじわくる。

まずみんな思うだろうけど、就活のときの私にこの本を読ませてくれよ!と叫ばざるを得ない。
就活風のことをこなして社名(これは大手とかではなくマジで名付けとしての社名)で新卒の就職先(社名が途中で変わるという悲劇を乗り越えながらまだそこで働いています)を決めた私は、なんだかわからない就活というものが大嫌いだった。
サラリーマンになりたくない!社会の歯車なんて!みたいな熱い反抗心ではなく、会社ってなに?就職ってなに?したいこと?得意なこと?何もわからないからめんどくさい、という感じだった。

でもそれもめずらしいことではなかったんだなと今となっては思う。
将来のことをしっかり考えたり自分のことを完全に理解したり、なかなかできることではない。
自己分析ってなんだよと思っていたけれど、意識して時間をかけないと自分のことなんて実はわからない。

じゃぁ今からでも考えねば、これがきつい。
著者の苦しかったときと比べれば本当になんてことないであろう日々の仕事の苦しさが(なぜか最近特に集中して)積み重なっているところで、将来のことなんて考えられない。
頼りなく馴れ馴れしい上司を、四方八方からとんでくるタスクを、自分が管理すべき後輩を、ギリギリで保っているプロジェクトそのものを、毎日どうにかやりすごすだけの日々で、何十年後のことなんて、、。

わかっている。
そんなこと言っているあいだに何年も過ぎる。
なんだって早く始めたほうがいい。
わかっているからつらい。
私の苦しみをなんてことないとか言われることがつらい。
わかっている。
誰も著者もそんなこと言っていない。
自分が自分に言っているだけ。

しんどいことは自分がいちばん感じられるのに、厳しく責めてしまうのも自分だと、強制的に思い出さされたような気持ちだった。
自分の弱さと、そこから生み出している余計なストレスに改めて向き合わされる本だった。

嫌だ嫌だ。

___
どういう状態であればハッピーなのだろうか?という問いが出てくる。
状態から考えるとわかりやすいらしい。たしかに。

とりあえず、自分の向かう先は、自分がハッピーな状態だということだけはおぼえておこうと思った。

ハッピーな状態ですらなかなか簡単に答えられないんだけど、、。

苦しみ続けるのが人生なのか?ずっと前向きに努力し続けられるか?
来世はもっと上手くやりたいね。


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