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北明翰留学日記 #6 ー休暇中の英語の思い出ー

母国語でない言語のエッセイは本当に過酷だと思う.書くたびに自分の英語の拙さを目の当たりにし,1ワードごとに自己肯定感が下がる感覚を覚えたために,精神的に激しく消耗してしまった.内容の難しさなら知る楽しみの方が大きいが,自分の苦手なものを常に突きつけられている感覚はなかなかに辛いものがある.

苦手を克服することは,この年齢になってからの生存戦略としてはあまり賢い選択ではない気もするが,個人的には嫌いではない.ただ,人間というものは「自分は英語が大変稚拙なので,この英語を用いてネイティブスピーカーに話しかけたり書いたものを読んでもらうのはあまりにも恥ずかしい.したがって毎日勉強をしなければこの国で生きていけない」と思いながら毎日を生きていけるものではないことにも気づき始めた.習慣化は難しくないので勉強の継続はたやすいのだが,苦手意識だけが残ってしまうと,たとえいくら正しくても自信を持てない状態に陥りやすい.

課題にひたすら取り組んでいるとき,頭が苦手意識でいっぱいになるあまり,ルームメイトとの単純な日常会話すらうまく話せず,自分の英語に激しい嫌悪感を覚えることがあった.こうなるともう誰かと喋ることすら苦痛である.こんなときは英語の自学習を継続する以外にできることはない.

クリスマス休暇は1ヶ月近く旅行をして,英語圏からも2週間ほど離れて過ごした.1学期の課題をやり遂げて疲弊した心身を回復させるためには,明るい太陽と美しい海を眺め,美味しい食事を摂ってひたすら眠ることが必要だった.

非英語圏を英語で押し通すと,相手のレベルによっては意思疎通のためにあらゆる推測を働かせたり,簡単な単語,特に名詞を拾って覚えたりという楽しみがあり,これはこれで言語の最もプリミティブだが大事な部分だなということを思い出す.そういえば私は外国語の変わった形の文字や音を覚えるのが好きで,ハングルもキリル文字もかじったことがあったじゃないかと思い出す.自分の中にある「好き」を思い出して,人に伝えることを諦めちゃあいけないと思い直す.

旅行からバーミンガムに戻る時,乗り換えで使ったLondon Eustonの駅の巨大な電光掲示板にはたくさんの列車の遅れと運休の情報が出ていた.そういえば9月に初めてイギリスにきたときもLondon Eustonで電車を乗り換えたのだった.あの時はたしかバーミンガムに向かう列車は倒木か何かで大半運休になっていて,どの電車に乗ればいいのかよくわからなかったし,アナウンスもまともに聞き取れなかったので,何人かの駅のスタッフの人にわかるまで聞いた.唯一動いていた大変のろい電車に乗り,3時間半くらいかかって寮に向かったのだった.あのときよりはまだましだ.不確かな電車のダイヤにも慣れたし,英語も聞き取れるようになったのだから.


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