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RSGT2022とアジャイルになりきれない私

こんにちは、うへのです。
Regional Scrum Gathering Tokyo 2022に参加してきました。初参加、かつ初ボランティア体験で得たものの記録を残しておきたいと思います。

本当はもうちょっと早く書くつもりでした。でも、熱狂の後にやってきた精神的胃もたれに対応するのがしんどくてずいぶん時間がかかってしまいました。まだ消化しきれない部分もありますが、消化不良部分も含めて可能な限り言語化を試みます。


RSGTとは

言わずと知れたアジャイル実践者の集まりですね。

ボランティアスタッフとして感じたこと

私はボランティアスタッフとして、前日準備と当日3日間の運営に関わらせていただきました。
部屋付きになる事も多かったので、それなりにセッションを聞くことができましたが、実行委員の全体の切り盛りのしかたは、それを凌駕する衝撃がありました(本当は配信技術とかも素晴らしかったのだけど、関わっていなくて書けないので、ぜひほかのスタッフの方の記事をご覧になってみてください)。

意思決定の基準は全員に共有されている
会期中、ボランティアスタッフと実行委員は全員トランシーバーを持ち歩きながら、必要な連絡(と、たまに雑談と尊敬)を取り合っていました。

あ、そうか、ボランティアスタッフもなんだ。そこ加わってもいいんだ。

ボランティアスタッフと実行委員というものに必要以上にしっかりと線を引いていた自分に気づかされました。
意思決定の仕方や基準を共有してもらったおかげで、受け入れられた気持ちと自然と動きたくなる気持ちが芽生えたのを覚えています。

失敗しても新しい学びととらえる
小さなトラブルがあっても、素早く意思決定してリカバリし、誰も後ろ向きにならない空気が常にあったと思います。
チームの今の実力も受け入れているし、学んで練度が高くなっていく力も信じているのだと感じました。
これも自然と動きたくなってしまう要因の一つなのだと思います。

指示はない。忙しさはその人次第
指示されたことは一つもありませんでした。最初は勝手がわからないのと、何かしていないと不安で聞きまくっていたのですが、やがてこうしたらいいんじゃないのかな、ということに気づけるようになってくるのは嬉しい変化だったように思います。そして、楽しんで構わないときには心から楽しむということも学びました。

この空気を肺一杯吸えたのが一番の学びであり、自分にとってのアジャイルの体験だったのだと感じました。

アジャイルになりきれない私

RSGTの体験は、自分の所属するいろいろなコミュニティを見つめなおすいいきっかけになりました。自分の普段の振る舞いはあのとき「いいな」と思った振る舞いと比べてどうなのか。私はそのコミュニティで自分たちが住みやすい空気感を作っていきたいと思えるか。

その時に「私は全然アジャイルじゃない」と思ったのです。

本当は「アジャイル」っていう言葉が適切かどうかもわかりません。
ただ、あのときアジャイル実践者の人たちと過ごして、その力を感じ、彼らの行動や作り出す空気感が心地よかったことを書き残しておきます。それが自分の一つの指針になったことも覚えておきたいと思います。

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