GWだし没ネタがボツになるまでの過程でも書いておくか
GWだけど普通に授業でしたからね。15年ほど働いていてたしか去年ぐらいに祝日授業が入るようになって,今年はGWも授業でした。とくに何も言わなかったけど学生も来ていてホント真面目だよなあと(褒めてます)。
そんな祝日(仮)の記事はちょっと調べものと思ったのだけど,ボツになってしまったのでその過程を簡単に書いてお茶を濁すことにする。
もともとはある戦前の雑誌記事の投稿に知っているけど使い方が違うのでは?という言葉があった。中国語の知識も必要そうだったのでそのときは簡単に画像を作ってあとでじっくり調べることにした。
どうも満洲で使われていたものだったので,中国語というより満洲ピジン(協和語とか日支合辦語とか呼称はいろいろ)の可能性も高くなり,そちらの資料を探したところある可能性が浮かんだ。
私の中国語の知識は低いのだけど,それでもあるきっかけで知った音だったので「もしかして」となったのだ。そして,もう少しピンポイントでと思い探したらドンピシャでドが付くのでは済まない下ネタだったことが判明。
なんというか,今の時代だったら絶対に載せられないような話でした。なんというか男社会だったんだなあというのを再確認。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?