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微睡みから覚めた時に思ったこと

2020/10/25 15:51

【起点】
人生はクソゲーである。
生きるにあたってこの世が運次第すぎて吐きそう…
本当にげんなりする。

【そもそも3次元の定義って何だ?】
誰かと誰か、誰かと物の間にひとつ以上のよく分からない何かが挟まれている状態ではないかとわたしは定義する。その定義は今の世の中では「変」と見做されるけどね。

【素朴な疑問】
「変なこと」は罪なのか?

【思考】
「変わっている」だけでは悪いことではないはずだ。それなのに「違う」人に対して不躾な視線を送って除け者にするのが今の世界。見られる側になってみたら視線に疲れるし、ひそひそ話も気になるし、最終的には自分以外の全てが敵みたいに思えてすら来る。

被害妄想だというなら勝手にどうぞ。目は口ほどに物言ってるけどな。

身近な人は心配と言う名のオブラートに包まれた「世間体」に従って忠告と否定を繰り返す。わたしなりに考え抜いて感じた感想やプランの一部を口にしただけなのに「それは無理だよね」と消極的に否定され続ける。その度に心が軋んで壊れていく気がした。だから、敢えて何も感じないように感度を落として生きて来た。けど、それはやっぱり許容量を超えたら決壊する。

今の世界に未だ無いと言うだけで可能性を否定するなよと思った。

「分からない」なら否定せずに「そうなんだね!」って距離を置いて軽く流してくれるだけでいいのに。

少なくともわたしは自分と違うとか分からないとかって理由で他を否定するような存在にはなりたくない。それってあの頃嫌だと思ってた大人になっちゃったってことだから。

わたしは愚直でありたいし、愚鈍でありたい。
その気持ちに反して要領よく生きようとして来て今までしんどかったから、そこだけは間違えないように息をしていたいと思う。
それにわたしは成長したって「大人」にも「美人」にもなりたくない。

わたしはただ「かわいいひと」でありたい。

この先歳を取ったとして、年齢を重ねた分しわとかしみとかが刻まれて、いつでも面白いと思う気持ちを忘れないでしわしわの笑顔で楽しそうに生きている。そんなおばあちゃんになれたら素敵だなぁなんてそう思う。

ライフワークは以下を証明すること
まずは自分を変える
それから家庭を変える
その先世界が変わるか否か

家庭とは仮定であり、過程である。
そしてわたしはこの証明にあたって以下を仮定する。
「現実」はもはや3次元だけを指す訳ではない。
「リアル」は2次元、2.5次元も含まれるし、近い未来は4次元も含まれるだろう。

【追記】
人生はクソゲーではあるが、決して無理ゲーではない…と思う。

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