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初めまして、ポパイと申します。

皆様、初めまして。ポパイです。
まずは、この記事を読んで頂きましてありがとうございます。
2年半Twitterをしこしこ更新しておりましたが、ついにnoteにも挑戦します!!

私、ポパイは現在大手海運会社勤務、30代前半の男です。転職は4回、JTC→外資→外資→外資→外資です。Twtterではこれまでの人生経験から「海運、外資転職、農業、Fラン」を中心について発信させて頂いております。(Twitter : @yeacy_tokainaka)
この記事では、まずは思いつく限りの自己紹介を勢いに任せてノンストップで綴って参りますので、どうぞよろしくお願い致します。

私、ポパイはとある味噌地方のド田舎で生まれ育ちました。両親と姉妹の4人家族です。幼少期は活発で虫取り、魚採りに夢中な少年で、勉強は少し苦手でした。そんなポパイ少年は、小学校の高学年になると野球に興味を持ちます。そして、野球を始めようとするのですが、ここで親からの衝撃の一言で人生が大きく動きます。

「勉強しなさい」

小学校4年生のポパイ少年はちびりました。これまで勉強なんかしたことねぇよ、母ちゃん。。急に何てことを言うのかと、、、そしてポパイ少年は野球ではなく、勉強の道、つまり中学受験戦争に送り込まれるのです。

ポパイ少年は小学校では中心的存在で、学級委員もやってましたし、ドッジボールカーストでは頂点に君臨してました。簡単に言えばジャイアンです。そんな人物が勉強!中学受験!!なんておかしすぎました。授業後友達が遊んでる中、電車に乗って塾に通い勉強付けの日々。時間を見つけて遊びや野球をやっていましたが、ポパイ少年は毎日我慢比べの中で生活する事になります。

毎週土曜日はテストがありランキングがつけられ、さらに正月、夏休みは地獄の講習があったので勉強嫌いの少年にとってはまさに地獄の約3年間でした。

結果的に第一志望の中学に合格したのですが、その頃には完全に超勉強嫌いなポパイ少年が完成されていました。更に、脳内では「私立に入ればもう勉強しなくても良い!」という盛大な勘違いをしていたということもあり、ここから更に勉強嫌いが加速していきます。

中学では、中学受験の反動で全く勉強にしなくなったポパイ少年は今まで我慢していた野球に全振りする事を決意します。中学の野球部には少年野球をやりながら受験を勝ち抜いた強者もいたので、とにかく練習しました。と言っても、一応進学校だったので、部活は平日週3日という本当にアホみたいな部活で、もういっそのこと学校をやめて、公立に転校しようかと真剣に悩んだ時期もありました。

でも、置かれた場所でまずは結果を残すことが大事であるとも感じ、少年野球のハンデを埋めるべく練習に勤しみ、新チームでキャプテンで4番のポジションを掴み取りました。この瞬間、自分に自信が持てるようになりました。

また、同時にこの時点から「ん?勉強出来なくても、世渡り的な要領は良い方なのでは?」とも思うようになってきます。中学は男子校でしたが、しっかり女子校の子と遊んだり、紹介のブローカーとして私立中学界ではある程度の地位も築くことができていました。

学生生活から勉強を引いたような生活をしていましたが、ホームステイカリキュラムに参加したり、海外への気付きを与えてくれた中学校と両親には感謝しています。

高校へはエスカレーターで進学し、これまた勉強&野球の強者揃いとの競争が始まるわけですが、ポパイ少年は勉強はできませんので、とにかく野球だけやるために高校に通っていました。中学時代、ブローカーをしていた関係で、校内外、教師含めて顔が広かったので、高校時代は楽勝でした。

本業の野球でもしっかりメンバー入りし、味噌地方ではそれなりの成績を収め、青春時代の幕を閉じました。

ここまでは、とりあえずOKな生活なのですが、勉強してませんでしたので、行く大学がありませんでした。中学受験までやって得た学生生活なのに、ここで自分の惨めさを痛感しました。

でもポパイ少年は世渡り上手ですので、何とかギリギリで東京のFランにAOで入学する事が決まり、東京生活がスタートする事になります。

初めての東京、初めてのFラン。まあ、世界が違いすぎました。進学校からFランへの降下角度は半端ないです。学校のスラム街にはヤニ中毒者が集まっててなんか怖かったです。(味噌弁は馬鹿にされました)

そんな環境でポパイ少年は何を思ったのか勉強に目覚め、仮面浪人をしてしまいますw これまたきつかった。体育会の部活に入部していたので、練習の時間を縫って一生懸命勉強しました。でも結果は惨敗。もうこうなったら、Fランから人生を巻き返すと決ました。

とりあえず、恵比寿でバイトを始めて大人の世界を学びました。部活とバイトを両立させて、たまにパチンコやりながら、もちろん女の子とも遊んで、東京とFランを謳歌しました。

そして就活がやってきます。ポパイ少年はFランの癖に、見栄っ張り、大手病を患っておりましたので、身の程しらずで大手しか受けませんでした。そしてエントリーも強気の20社、それでもJTC2社から内定をもらい、新卒大手入社のチケットをゲットするのです!

海運、空運の日本を代表するロジスティクス企業に入社を果たすと、もちろんFランは自分だけ、周りは早慶上智MARCHです。ただ居心地はよかったです。初配属は出世コースと言われる某地方部署に決まり、約5年本当に色んな経験をさせて頂きました。

ただ勉強嫌いのFランは好奇心が強い。セールスで結果を出したくて、外資系企業への転職を決めます。ここはS&P500にも名を連ねる大手外資メーカーで、ポパイはそこで本物のセールスマンとして新たなキャリアを始めます。

転職から1年後、部署売却(外資ではよくある)のタイミングで、ヘッドハンティングで外資保険外交に挑戦しました。しかし、まじできつかった。フルコミでしたので、生活難に陥ったり、そして彼女に振られたり、こりゃ、やってられないなと、自分の向き不向きとしっかり向き合うことが出来ました。同時に、彼女に振られて、自分のキャリアに軌道修正が必要であることに気付きました。(ここら辺での心境の変化に関しては、改めてnoteを執筆したいと思います。)

当時振られた彼女とは、結果的に復縁し、結婚。私自身も最終的にはロジスティクス業界に戻って地に足を着けて働くことを決意致しました。ただ、ただ戻るだけではなく"大手”外資系国際物流会社に転職、大手病はどんな状況でも治らないと実感しました。

また、サラリーマン+副業の時代でもありますので、このタイミングでしっかり副業も始めました。弁護士沙汰のトラブルなども経験しましたが、収益と経験値をあげていくことはこれからのスタンダードになると思っています。

結婚後、子供が生まれるタイミングで現在の外資系企業に転職し、Uターンする事に成功しました。

Uターン後は、約15年ぶりに地元を満喫するべく、子育てしながら、先祖代々の土地で農業をやったりと、プライベートもかなり充実した生活が送れています。真面目な人から見たらふざけた経験とキャリアかもしれませんが、今は大切な時間を納得いく使い方が出来ているので、この転職劇は間違いではいと感じております。

これからもこの様な感じで「海運、外資転職、農業、Fラン」を中心に浅く広く発信していきたいと思いますので、こんな奴もいるのか、とどこか燻ってる方々の気休めになれば幸いです!

宜しくお願い致します!!

ポパイ






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