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生きていく道について

人間が生きていくには多くの道がある
そこには無数の選択肢がある
だからこそ自分自身の中に軸を持ってそれを大切にして生きていくことが重要である
でなければ、社会や他人に振り回されるだけの人生になってしまう
それは人間というよりは動物的な生き方であろう
20世期に活躍したフランスの哲学者サルトルが言った「人間は自らの意味を自ら決めていく存在」という定義に当てはまらないからだ
30年も生きていると本当に世の中にたくさんの人がいることがわかってくる
年齢をとっているからと言って全然人間的に未熟だと思われる人もいれば、若くても人間的に成熟した人間もいる
まずは自分がどういった人間であろうとするのかが重要であろう
立派な人間として生きていこうとするのか、それとも、他社に害悪をもたらしながら生きていく存在になるのか
何か失敗をしたときに誤魔化すような言動をとるのか、その責任を取り謝罪し今後の糧にするのか
他人からの見た目ばかりを気にするのか、自分の心を大切にするのか
英雄的精神で物事を切り開くのか、臆病的精神で何も為さないのか
全て各人間一人一人が選ぶことができる選択肢である
誰のせいにもできない。親のせいにも社会のせいにも会社のせいにもできない
どのような人生にするのかは我々次第である
今たとえ人生がうまく行っていなかろうが、書物を大量に読み、そして自らの経験に学び、成長することで、我々次第で人生を変えられる。それが人間である

家が貧しかろうが、努力して大金持ちになる人もいる
親に虐待されようが、愛し合う家族を築く人もいる
大学に行ってなかろうがたくさんの人に影響を与える人もいる

一方、
家が裕福だろうが、浪費癖がつき貧乏になる人もいる
愛情深い家庭で育っていようが、家庭を崩壊させる人もいる
旧帝国大学に行こうが、怠惰に過ごし、消費するだけで何の影響力も持たない人もいる

ただ一つだけ言えることは全ての人間が自分の人生だけは変えることができると言うことである

かつて、第二次世界大戦中、ドイツはユダヤ人を強制収容所に送り込み、全ての自由を奪おうとした
彼らは財産はもちろん、家族や名前まで奪われた
しかしながらヴィクトールフランクルというユダヤ人の心理学者はそこで人間の凄さを発見した
ドイツ兵が全てを奪おうとしても、人間が希望を持つことや想像することやどうやって生きていくかまでは奪うことができなかったのである
ヴィクトールフランクルは自らが支配されることを許さなかった
彼は収容所の中で希望を温め、他の人を励まし、影響力を持ち、ドイツ兵の中にまで影響力を与えるようになっていったのだった

もちろんドイツ兵の持つユダヤ人への影響力は大きかったが、どれだけ強制的な生き方をさせようとしたとして、最終的に生き方を人間は選ぶことができる証明をヴィクトールフランクルはこの体験から実証したのだった

こう言うことに対しても
俺にはできないと思うのか、それとも俺だってやってやると思うのか
これもまた自由な我々の選択である

さて自分はどのようにして生きていくか
社会の役に立つ人間になり、困っている人を助け、この国の進歩や啓蒙に影響を与える
どのような障害にもへこたれず前を向き、自分の間違いは心から謝罪反省し、自己成長を怠らず、英雄的精神を持って決断実行する
そういう風に生きていきたい

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