見出し画像

きみ287.しを


2019年末まで8年間サラリーマンをしていることは知っている人も多いと思う。

さっき、友達と会って話した帰り道、新しく作っている曲のことを考えていたら、ふんわりと自分の理屈が通った気がして(名探偵コナン的な「ピキーン!」ではなくぼんやりともやが晴れるような感覚)、ちょっと公園で整理しているところ。

サラリーマンを辞めてから、たくさん曲を作っていて、それはいま、ツアー中にも際限なくアイデアが溢れていて、もうどうしたって「時間はなぜ有限なのだろう」、「すべてこのために時間を使えたらいいのに」と思い続けていて、実際はそれ以外の「食べていくためのことをしないといけない」わけで、でも次から次へと頭の中にボン!ボン!とどこかで爆発が起き続けて、いまはその葛藤と闘いながら、息も絶え絶えに不完全な惑星がそれぞれのカレンダーを作り始めているところです。

いつか鼻くそほじりながら理想的な宇宙の拡張を観察することができるようになるのだろうか。それとも、すこーしずつ、毎日定期的に水をやって限りある部屋のスペースに置けるくらいに育てることになるのか。どれが正解とかはまだわからないけど、今はとにかく無限に広がる宇宙の可能性を感じながら節操なく拡張し続けている。

自分のどの状態が幸せかどうかなんて、正直どうでもよくて、知らない世界のことは知らない。だけど、知らないから知ろうとすることができる。し、いつでも降参することができるのもわかってる。

と、いうところまで考えた時に、サラリーマン時代のことを思い出すわけです。

サラリーマン時代も、終盤はもうずっと移動中も、休憩中も、終わった後も、休みの日も惑星になりかけたものたちへの水遣りばかりの日々でした。どこかで爆発する音がすればすぐさま記録して、整理して、録音して。すべての刺激が自分の神経を巡って経験や知識を経由して名もない星に命が芽生え、名前がつけられていく。

だから、辞めたのは自分には良かったことだと思っている。集中して際限なく作る期間が必要だった。
あのまま続けていたら自分が爆発していたかもしれない。

いや、これは自分を正当化したいがための自分の理屈。こうやってわざわざ言葉にするのは、それをなあなあにして受け止めずに流してしまう自分がいそうで怖いというのもあると思う。

「そんなにたくさん作らんでもいい」と。
例えそんなことを言われても、もう仕方ない。
産みの苦しみというより、苦しみの先の喜びを知ってるのが、たぶん一番厄介なんだろう。

ツアーファイナルのことをずっと考え続けてきて、まだどうするべきか定まらない。
もしかしたら、結局新しい曲はやらないかもしれないし、新しい曲だけになるかもしれない。

たくさん迷って悩むけど、それだけこのツアーが刺激的だった証明だと思う。

公園で空を見上げると全然星が見えなかった。
岡山で見上げた時のあの星空が夢みたいに思える。
みんなで「うわぁ〜綺麗だね」と言った。
夜中に思ったままの言葉を空に向かって放つというのは大人にも許された数少ない自由のひとつです。
言葉にならない美しさのことをどうしても考えてしまう。なんでも言葉を当てはめようと探してきた自分は最近、言葉にならない感動にずっと想いを馳せてる。
ぜんぶ言葉をすっ飛ばして「ホァ〜」みたいなファイナルにできたらいいな。

活動の励みになります!よろしければサポートお願いします!