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保健室の先生に4年ぶりに会った

ここ4日間ぐらい朝から晩まで予定が詰まっていて、連日新しい場所や人と出会う機会も多かった。そのなかで知らなかったことをたくさん知れて新鮮だったけど、刺激をたくさん受けた反動か今日は朝からなんだか憂鬱な気分だった。もしくは疲れのせいか、昨日の夜飲み過ぎたせいか、目覚めたときから雨が降っていたからか。
とにかくなんとなく憂鬱で、4日間のあいだに入ってきたたくさんの情報が頭のなかで浮かんでは消えて、悲しくもないのになんとなく泣きたい気分になった。それでも泣くべき理由は何もないので、二日酔いのせいにして日中のほとんどの時間を寝て過ごしたら、憂鬱はいつの間にかどこかにいってしまった。

最近出会った人のなかに、atom.くんという人がいる。彼は大学で原子力の勉強をしながら、自身の体験をもとにメンタルヘルスに関する事業にもチャレンジしようとしている。以前から彼のnoteを読んでいて、たまたま出身大学が同じだったこともあってお話してみたいなと思っていた。

先日zoomでお話を聞かせてもらって、彼がいま学んでいる心理学のアプローチが仏教的な思想と通じているような感じがした。ちょうど奈良に住んでいる友だちが台湾出身のお坊さんを紹介してくれると言っていたので、atom.くんも誘ってみたところ二つ返事で来てくれることになった。
執着とそこから生まれる感情に関するお話を、お坊さんが語る仏教の言葉と、atom.くんが語る科学的な言葉で同時に聞くのは面白い体験だった。ちょうど自分自身の感情の表出の仕方について悩んでいることがあったので、とても腑に落ちるところがあった。
初対面の人ばかりの集まりに快く来てくれたatom.くんにも感謝したい。

初対面の人と会うことが多い今日この頃だけど、その一方で長い付き合いのある人と再会する機会もあった。小学校の頃の保健室の先生だ。母の死後転校した小学校ではほとんど教室に入れなかったので、学校に行くときはいつも保健室に登校していた。先生とは小学校5年生のときに出会ったので、もう18年の付き合いになる。

noteを書くようになってから過去のことを振り返ることも多かったので、久しぶりに先生に会いたいなぁと思っていたところ、ちょうど連絡が来たので4年ぶりにランチをすることになった。

お互いの近況報告をしながら、私が不登校だった当時のことを振り返って今感じていることなども打ち明けた。小学校の頃、私はどうしようもない子どもだったので、当時は先生にもあまり心を開いていなかったし反抗的な態度をとることもあった。学校に行かない日は先生が毎日家に来てくれていたけど、連絡を無視したり居留守を使うことも多かった。

先生は当時のことを振り返って、私の父方の祖母(家が近くなので学校に行ってない日に祖父母の家にいることも多かった)の言葉が心に残っていると教えてくれた。
それは、祖父母の家に先生が私を迎えに来てくれた場面で、祖母が私に向かって言った「この先生はあんたに学校に来てほしいからこんなに一生懸命やってくれてるねん。だからちゃんと学校に行きなさい」という発言だった。
この言葉を聞いて、先生はショックを受けたらしい。なぜなら先生の本当の願いは、私を学校に来させることではなく、私に家族以外の大人と繋がりつづけてほしいということだけだった。それが上手く伝えられていないことに葛藤を覚えたという。

実際私は、当時の学校の先生たちが私を学校に来させようとすることに辟易して、誰にも心を開けなかったし、学校に行かない理由を作るために勉強に打ち込んでいた。残念ながら当時の先生の想いは私には微塵も伝わっていなかったことになる。
先生の想いを理解するようになったのは、小学校を卒業してからのことだ。先生はいつも私の好きなことを大切にしてくれて、卒業してからも映画や食事に誘ってくれた。卒業後、私はようやく少しずつ先生に心を開くようになっていった。連絡不精な私が電話番号が何回か変わったあとも未だに先生と繋がっているのは、先生を必要としていたからだと思う。

あの頃は理解できなかったお互いの気もちを、こんなふうに打ち明けられる日が来るとは思っていなかった。
過去に解決できなかった悩みも、うまくいかなかった人間関係の葛藤も、こうやって長い年月のなかで何度もその意味を問い直していくうちに納得できるときが来るのかもしれない。それは当時の苦しさを忘れたり、悩みがどうでもよくなったりするのとはまた違う。むしろ、痛みや苦しみを抱え続けてきたからこそできることなのだと思う。
そして、学校という制度の枠を超えて一人の人間として私に関わり続けてくれた先生の存在を、今では何にも代え難いほどありがたく感じる。

新しい場所や人と出会うことも大事だけど、今日までの私を形づくってくれた場所や人のことも大事にしたい。会いたいなと思ったときにその人に会えるのも、実は当たり前のことではない。
消したい過去や忘れたい過去もあるし、受け入れ難く感じる人との出会いもときにはあるけれど、そういうことも忘れずに胸の片隅に置いておいたら数年後には違う意味を与えられるのかもしれない。久しぶりの先生との再会と、昨日お坊さんが教えてくれた縁や執着の話を重ね合わせながら、28歳のいまの私はそんなふうに思うのだった。

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