見出し画像

母への手紙

母が亡くなる少し前、一度だけ「ママなんていなくなればいいのに」と思ったことがある。母が寝込んでいて夜ご飯を作れなかったので、いつものように兄弟3人でコンビニにお弁当を買いに行った帰り道だった。
なぜそのときの情景を今でもはっきり覚えているのかというと、たった一度でも母に対してそんなふうに思ってしまった後悔がその後何年間も私を苦しめ続けたからだ。

大学2回生の夏、心のバランスを崩して生まれて初めて心療内科を受診した。ちょうどその頃、母が通っていた精神病院に連絡して母のカルテを取り寄せた。
亡くなる直前、母が主治医に「私はこんなに頑張っているのに娘がそれを分かってくれない」と溢した記録が残っていた。
鋭い刃が心臓を突き刺すようだった。母の言う通りだった。

あの頃私は思春期の入り口にいて、初潮を迎え、あらゆることへの違和感に気づき始めていた。
普通ではない家庭環境で育つ恥ずかしさ、惨めさ。誰とも会話が通じない孤独感。母親らしくない母への苛立ち。
自分の身の回りにある全てが気に入らなくて、普通であることを欲しがって、母と口論になることも多かった。

あの頃、私と母との間にはわだかまりがあった。
その罪悪感と後悔を、当時通っていた病院のカウンセラーにだけ打ち明けた。
カウンセラーからは「あなたのせいじゃない」と言われたけれど、でも、ただそれだけだった。誰かに打ち明けたところで、母から許される機会はもうとっくに奪われてしまっていた。

***

noteをはじめてからちょうど一年が経つ。記事を書くだけではなくて、音声配信で自死遺族の友人と対話をしたり、他の自死遺族の人たちと交流を持つ機会もあった。
そんな日々のなかで最近不思議と、母にまつわる楽しい記憶をよく思い出すようになっていることに気付く。

クリスマスに毎年家族でケーキを作ってパーティをしたこと。毎週土曜日には母がお好み焼きを作ってくれて、みんなで吉本新喜劇を見ながら食べたこと。雑貨屋さんで可愛いノートを買って母と二人だけの交換日記をしたこと。私が不登校だったとき、母と一緒にコンビニのお菓子についてくるシールを集めて笑点の湯呑みをもらったこと。

母に対する罪悪感は時間の経過とともにかなり薄まってきていたけれど、こんなふうに楽しかった記憶を思い出すことはこれまであまりなかった。
同じ自死遺族の人が亡き人に語りかける文章を目にしても、心のなかに母を住まわせて優しく語りかけるような健全さが自分にはないように感じていた。

とても大変な日々のなかでママが精一杯やってくれていたこと、今なら分かるよ。気付くのが遅くなってごめんね。

ふとそんな風に母に手紙を書いてみたいような気持ちになって、それなら本当に手紙を書いてみたらどうかと思い立った。
書いた手紙はどうしようかと思っていたところ、3年前の瀬戸内芸術祭のときに行った漂流郵便局のことを思い出す。

こちらは、届け先の分からない手紙を受け付ける郵便局であり、「漂流郵便局留め」という形で、いつか宛先不明の存在に届くまで漂流私書箱に手紙を漂わせてお預かりいたします。

過去/現在/未来
もの/こと/ひと
何宛でも受け付けます。

-『漂流郵便局』HPより

3年前に漂流郵便局に行ったときは、母に手紙を書くことなんて考えもしなかったので、こういうのもタイミングなのだろうか。
20年ぶりに母に手紙を書いてみる。そういえば、母の日や誕生日に母に手紙とプレゼントを渡していたなぁ。
書き始めはきごちなかったけど、書いていると母に話したいことをたくさん思い付いて取り止めもない文章になってしまった。悲しいというよりは、とても恋しい気分になった。
そして封筒に母の名前を書くとき、その文字を久しぶりに見た気がして、すごく不思議な感じがした。

手紙を出しても返事は来ない。
お人形遊びみたいで空しいだろうか。それでも、切手を貼ってあの手紙をポストに投函したとき、本当にそれが母に届くような気がした。

漂流する母への手紙。ふわふわと漂うような言葉たち。
母の名前を書いたあの封筒は、海を渡ってあの島の郵便局に届いただろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?