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オーロラになれなかった人のために

このあいだ、水筒のふたを探す夢を見た。

映画館のなかで水筒のふたを失くしてしまった私は、地面に這いつくばって必死であちこちを探した。
真っ暗な映画館の床をライトで照らすと、水筒のふたがたくさん散らばっていて、ひとつひとつ拾ってみたけれど、これも、これも、これも、私が思っている水筒のふたの形とはちがう。
私の水筒にぴったりはまるふたが見当たらない。

探しても探しても見つからなくて、一緒に来ていた友達も先に帰ってしまった。
それでも私は一人でずっと探し続けた。

そして水筒のふたは見つからないまま、目が覚めた。

朝からぐったり疲れてしまった。
あの夢が象徴しているものが、私にははっきり分かっていた。

私の水筒にぴったりはまるふた、それは私がずっと探していて、ずっと見つけられないものだ。

それは人生に対する希望、幸福、安らぎ、正しさ、生きていくことへの安心感、いろんな言葉で形容できるけれど、とにかくずっと、漠然と探し続けているものだ。
その正体がなにかさえ、未だにわかっていない。
わかっていないけれど、見つけさえすれば、それはぴったり私に当てはまって、私の人生全体を肯定してくれるはずだと信じてきた。
必死に努力すれば、もっと強くなれば、きっとそれは見つかるだろう。

だけど、それは何?
傷だらけになりながら、ときには人を傷つけながら、いつかそれが見つかると信じてきたけど、結局私は一度もそれを見つけられなかったじゃない。

もう限界だな、
夢から覚めて、その朝ようやく気付いた。

生活するためだけにある生活、自分をだましながら続けている仕事、信用できない人たち、そんな意味のないものに囲まれて、ただ死なないためだけに生きている自分。

私がずっと望んでいるのはただひとつだけ、10歳のときに自殺した母を救うことだけだった。
優しくて情緒不安定で子どもみたいだったあの人が、死なずに生きていける世界を作ることだけだった。

オーロラになれなかった人のために、
私が強くならなければいけないと思っていた。
弱いままの自分では何者にもなれないと思っていた。

だけどいまここにいるのは、うまくやろうとして取り繕って、ボロボロになっても誰にも助けを求められない自分だけだった。
オーロラになれなかった人、それは私だ。

もう強くならなくてもいいよ。
じゅうぶん頑張ってきたよ。
強くなくても、役立たずでも、生きてるだけでいいよ。

生きていてほしかったよ、
生きていてほしいよ、
あなたに言ってあげたかった言葉を、まずは自分自身に伝えてみるね。

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