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自己紹介

はじめましての方も

これまでフォローをして下さって
記事を読んで頂いている方も

改めまして

ycと申します。

先ずはじめに

・そもそも僕のNoteでは


ハンドメイド作家として

●〝副業始めたい〟
●〝独立・起業したい〟

というお悩みから

●〝メルカリで売れる販売のコツ〟
●〝インスタグラムで作品を拡散させたい〟
●〝Creemaやminneで販売を伸ばしたい〟

などのノウハウを伝授していきます。


ハンドメイド作家として
知ること・抑えておくべきコツ↓↓↓

・月曜:お金にまつわること
・火曜:仕入れのコツ
・水曜:製作のコツ
・木曜:ネット販売における写真と文章術
・金曜:ネット/リアル店舗の販売術
・土曜:SNS攻略
・日曜:フリートーク

をアップしていきます

また、

ここからは

僕の経歴を
記述していきます↓


・僕は何者か?

現在僕はハンドメイド作家として活動してます。

レザークラフトで受注生産を募り
お客様へお届けして売上を頂く。

材料費を差し引いた利益で
生活をしているワケなので

一応、ハンドメイド作家として
起業し独立して成功?と言っていいでしょう!

自営として何とかやっていけております。

売上も35万を越えるほどになりましたが
色んな苦労?がありました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

まずはおい立ちから現在までをサッと
振り返っていきます。

僕は1986年、横浜生まれの神奈川育ちです。

大学を卒業してアパレル企業で転職を含め
2社を経験。

当時は転勤も多く

大阪から神戸、仙台、千葉、埼玉、東京
札幌と色々勤務してきました^^

仕事内容もオープンからクローズまで
(店によっては早番/遅番アリ)

の長い勤務時間労働させられていた

ボロ雑巾のようなアパレル販売員でした。

販売員以外にもプレスや商品企画も
やらせて頂いていたので

休みの日だって商談や撮影、仕事の連絡など

アパレルでは当たり前のサービス残業ざんまい。

加えて

給料は手取り19万円の安月給だったのですが

そこから〝社販〟

つまり自店の商品を半ば強制的に買わされて
店頭で着用して、売る。

と言った辛いシステム(初めは好きで入ったが後から辛くなる)

で給料から天引き。

一か月コキ使われて16万円
酷い時は12万円ほどの手取りで

生活していた時期もありました。

想像するのが怖いくらいですが
そこから家賃・高熱・食費
※長時間労働の時もあったので自炊する気力もなかった、、
など引いたら
手元には4、5万円ほどしか残らない生活でした。

また、アパレル販売員は酒や飲み会が好きなスタッフや輩ばっかり。

給料も少ないくせに安っすい居酒屋に毎晩連れられ
金もすっからかんになる生活が続きました。


因みに僕は神奈川大学工学部卒業。

大卒でもこの低収入・貧困層の生活になってしまったのです。

・ハンドメイド作家を始めた理由

あるとき転機が訪れました。

そう、転勤です。

東京の店から札幌の店に異動が決まり
生活がガラっと変わったのです。

何が変わったかというと?

・縁もゆかりもない土地。知人友人がいないからムダな飲み会や遊びに誘われることがない

・転勤先のスタッフはほぼ全員既婚者。
今までの仕事後のしょうもない飲み会が無くなった

・札幌という土地柄か、家から店まで徒歩20分。
東京時代は電車で往復1時間半も費やしてた。
札幌では時間を有効活用できた。

・札幌店は旗艦店の東京店とは違って
休日に呼ばれたりしてタダ仕事をするハメがない。

これらの環境のおかげで勤務後や休日に時間が
すごく出来た。

というか、東京での生活が効率悪すぎたと思う。

長い通勤、安月給、長時間労働、ムダな飲み会。
これに縛られているようではいつまでも豊かになるワケがありませんでした。

(文句ばかりですいません。元スタッフ見てたらゴメンなさい)

そして

札幌での休日に更なるチャンスが。

最初の頃は観光気分で色々回ったのですが

ついにやる事がなくなる始末。

元々、

僕はいつかは店を辞めて独立して
自分のブランドを持ちたい。
が、どうすれば良いか分からない。


という野望が実はあったのと

札幌に何かの縁でやってきて
する事もないし
趣味でも始めるか

と言ったタイミングが
うまく融合してしまったのです。

とある日
自分用の〝革の財布〟を探しに
出かけたのですが

良いのが見つからず、、

そして最後の店で何故か吸い寄せられるようにして

入った東急ハンズ札幌店でも

結局いい財布が見つからない

そこで、なぜか手芸・革コーナーで立ち止まり

〝初心者でも作れるコインケース・財布〟

の初心者キットに目をやる...

〝これだ〟

その瞬間、何かが芽生え

買うはずだった財布の予算を

レザークラフト・初心者キットにあてて

すぐその日から家で

箱を開けて
説明書を読み

中に入っている見た事も無い
工具や革生地に触れて

夢を再度整理させながら
つくってみました。

その時の写真がコレ

初心者向けのキーホルダー製作

その日以降、

終業後や休日は

レザークラフトに明け暮れ

材料も道具もどんどん増えていった。

もちろん、教室なんかにまでは
通う予算はないから

全て本やYouTubeで〝独学〟で学んだ。

※のちにこの独学という
〝他人にすぐ教わろうとしない姿勢〟
がマーケティング力やビジネスの力までつくきっかけとなった。
お金の稼ぎ方は他人に教わるのでなく自分でつくるものだから。

・初めての副収入化までの道

自力で作品が作れるようになるのは
本人の熱意と行動力次第だが

僕は1か月でコインケースやカードケース
カンタンな長財布までは作れるようになった。

モノづくり自体も楽しくやれたし

SNSに〝あくまで趣味〟というテイで

掲載したら

知人友人からコメントがきた。

〝いいじゃん〟〝可愛い〟とか。

予想以上にコメントがくるので

その声に応えて
もっといろんなバリエーションの

モデルや色の
コインケース・名刺入れ・キーケース

この3点をガツガツつくっていたら

とある日

ある1人の友達からインスタでDMがきた!

〝お代払うから、赤のカードケースつくって〟

と。

女友達からのオーダー。
赤いカードケースが欲しいとの。


人生初の製作依頼となり

友達からの製作依頼なので
はじめは〝材料費のみ〟で対応する事にした。

その後3か月

そこからちょびちょびと

更に依頼が増えるようになった。

そして

試しに余った在庫を

〝メルカリ〟に出品してみる事にした。

すると

出品後3時間くらいで
即コメントがついて

何と売れてしまったのだった。

シンプルなミニウォレット。
トラッカーウォレットともいうが
コレをメルカリで¥1,000で出品。
今思うと材料費でもやや赤字で安すぎ。

その時、確信したのである。

〝全く知らない他人にも売れるんだ〟
〝通販で自分のビジネス開業できるじゃん〟

そこから


物販のノウハウや
通販サイトの作り方などを猛勉強



そして


少しずつ、全く知らないお客さんから

オーダーを受けるようになり
今の受注製作スタイルまで確立させ

今では立派なサイトと
日々くるご注文の殺到で有難く

お仕事させて頂いているしだいである。

↑今の販売サイト。

今ではYouTube/Twitter/インスタグラムはもちろん

こうしてNoteで執筆をスタート。

今や活動がどんどんエスカレートして

雑誌から掲載のオファーがきて
〝2nd〟2021年1月号に掲載が決まり

副業時代にちゃっかり雑誌に掲載した。
なんと同じこの本誌に、僕の働く本業のタイアップも載せてた笑ダブルでお世話になりました!副業もしっかりバレた🥺


また、
2021年7月に
〝ミヨシ電子書籍〟からオファーで
Amazon Kindle本で
〝自伝〟を出版

リンク貼れずすいません。
僕の公式サイト↓の中の下方にあります😭


と、まぁ

多くのお仕事も舞い込んできた。

・副収入が生活をサポートしてくれるまで

札幌にきて1年が経とうとする頃

本業をこなしながら

メルカリ、ミンネ、クリーマー、
ベース、ラクマ

といった無料で始める事ができる

通販サイトを製作して

受注製作の仕事として

レザークラフトを趣味から副業にする事にした。

前みたいに

終業後のムダ飲み会や

通勤の家⇔店の長時間往来

が無くなったおかげで

自分のブランドづくりに専念する事ができた。

そのかわり

終業後や休みは丸潰しで

レザークラフトにあてた。

終業後は

2、3時間はレザークラフトの
アイテム製作

そして

作品撮影、YouTubeチャンネルのスタート

販売サイトの製作に

ビジネスの勉強。

休みは全て注文の商品づくり。

※流石に週1日は完全オフつくってました。

↑これを見るだけで

〝そんなにやってらんないよ〟
とか
〝起業や副業って大変じゃん〟

って声が聴こえそうなので

ここで一つ勝手ながらアドバイスを。

これら僕が列挙した作業や製作は

〝ツラい〟とか〝やんなきゃ〟という
義務感が全くなかった。

むしろ

自分のブランドが
〝成長している〟とか〝やってて楽しい〟
〝夢中になって時間も忘れた〟

という感覚。

厳しい言い方するが
義務感持っているようでは

趣味としてならいいが

副収入化や独立は難しいんじゃないかな?


楽しみながらハマる
このゲーム感覚でやれないと

キツくて、続かないとおもう。

努力は、夢中には勝てない〟

幻冬者の箕輪さんの言う通りかなと。


努力!と思うなら、副業が合ってない可能性もあるので色々と試すといいかもしれません。

因みにこの頃

注文が1か月に5、6組は

メルカリやクリーマーで

入るようになってきた。

大体作品は当時
ロングウォレットで¥18,000ほど。

当時売れた長財布。
こういうのも
何がウケるのかインスタやネット、YouTubeで調べた。
あとはやってみて、売れるまで繰り返す。
これも夢中でやれないと。


¥18,000の財布が
月に5、6組なので

¥18,000×6名=¥108,000円

そこから材料費が大体¥40,000引かれて

利益は¥68,000

アルバイトではなく自分の力で完結させて

3年でこれほどまで売れるようになった。

最大の副業利益だと、10万を超えたときがあった。


ー余談だがー

多分副業でその辺でのアルバイトを選んでいたら
こうなっていない

自分のブランドやビジネスすら創れてないし

出版オファーだって無縁の話。

副業するなら〝終業後のアルバイト〟は
論外と覚えておいてほしい。

副業とは労働ではなく自分の事業を作ること。
ーイケダハヤトさんの言葉を借りてー

もちろん最初は
さっきの売上¥1,000から始まり

少しずつ

¥5,000
¥8,000
¥20,000

と月を経るごとに膨らんで

ここまできた。

この最初は小さな売上から

5、6万円と

安定して売れるようになり

低収入アパレルの生活を
サポートしてくれるようになったワケです。

逆に
低収入ではなく

そこそこの給料を貰ってるサラリーマンだったら
こうして副収入をつくるとか

独立して起業するとか

やってなかったんじゃないかな。

やー、逆境って素晴らしいね。

・起業への決意

札幌へきて4年が経過し

本業のアパレル店舗での仕事場でも

僕のレザークラフトは
すっかりと副業として活動

していることが

浸透した。

当時一緒に働いていた店長が

すごく理解のある方で

〝ウチの店のお客さんにも売っていいよ〟

と言ってくれた。

マジか。

感謝しても感謝しきれない。

そんな中

本業の店では
財布を探しにくるお客さんもいた。
(セレクトショップだからこっちにも財布取り扱っていた)

そこに気に入ったモノが
ないというお客さんには

僕は副業のコトを明かして

僕が作るという事で
代替え提案をしたりしていた。

そんな感じで

何と僕はあろうことが

本業のアパレル店舗で、自分の作品を口コミで

宣伝する事ができたのである。

これは本当にいい環境だった。

普通は副業が会社にバレたら
NGとかが常。
(ただし違法ではない)

そんなとき

本業のアパレル店舗のお客様には

経営者のお客様も来店する。

僕はそこでもいろんな経営者の方に

自分のレザークラフトが
どうやったらもっと売れるか
相談に乗ってもらう事もしばしばあった。

そこで

色々なお客さんから
〝自分で始めちゃえば?〟

とか

〝やるなら手伝うよ〟

とか言って頂いた。

ある日

そんなお客様のなかでも

仲の良い顧客様から

背中を押して頂く事があった。

会社員のままでは
限界がある。行動しないと何も変わらない。

と。

僕の頭で何かが切れて

〝これが運命なのか〟

と思い、独立する決意ができた。

当時のそのお客さんには感謝しきれない。

そして独立へと決心するのだが

オモシロイことに

当時副収入では5、6万が平均利益。

跳ねたとしても10万そこそこ。

自分で生活するにはもっと

20数万円くらい売上を作って

利益18万くらいとらないと

生活ができない。

僕は副業でしかビジネス経験がないから
20数万円なんての売上を作ったことがない。

多くの人は

行動する前に
考えちゃうから

ブレーキがかかって

実現できない。

だが、そうじゃない。

行動してから(或いはしながら)
考えればいい。

最初に、会社を辞めてから
どう20数万円の売上をつくるか

考えればいい。

何と僕は


実際には辞めると言い出してから
退社するまで4か月も時間があったから

そこで準備をしたのだ。

リミットを決めないと
ヒトは動かないのである。


そこから〝日本政策金融公庫〟や
〝地方の信用金庫〟に

退社までに
面談を繰り返し

融資を受けることができた。

これで独立して
売上が上がるまで

資金に余裕を持つことができた。
※当時貯金ゼロだった。

要するに

泳ぎ方を覚えてからではなく
さっさと池に落っこちた方が

泳ぐものなのである。

無責任かもしれないが勢いも大事。

副業で5、6万作れるなら
本業で20数万円は作れると根拠のない自信。

是非今このような境遇で悩まれている方は

日本にはセーフティネットやサポートしてくれる
機関が調べれば出てくるので

思考停止せずもがいてみてください。

突破口は必ずある。

これが僕の独立までの道のりでした。

〝起業の条件は一緒揃わない〟

〝行動に根拠は要らない〟

ではまた。

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