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在宅介護17〜虹の向こう🌈へ〜

皆さん♪ こんにちは。
しばらくぶりです。思った以上にダメージを受けているようで、ようやく記録しておくことにしようと思って、書いています。

7月31日朝、父は虹🌈の橋を渡って逝きました。
お盆を前にして、先に逝っている両親や兄、姉たちに無事に会えたでしょうか? 道に迷っていないかしら・・・?
7月初めにはまだまだ頑張ってくれるかと思っていたのですが・・・

呼吸状態が・・・縦郭自然気腫

「昨日から呼吸状態が悪く、酸素吸入を開始しました。」
7月22日朝電話がありました。
主治医と代わり電話にて病状説明・・・「CTの結果、縦郭気腫を認め、その結果呼吸状態が悪くなったのだと思われます。血圧には異常ないのですが、いつどうなってもおかしくはない」と・・・。

今週のはじめには、のんびりした連絡があっていたのです。11月から介護医療院になるため、説明したいと・・・他の病院に転院されますか?・・・その場合には転院先をご自身で探してください・・・と。
4月から点滴のみで経過を見ていました。誤嚥性肺炎があり、経口摂取は難しいと説明を受け、自然に任せるという選択をしました。
3〜6ヶ月と言われていましたが、一年以上生きておられた方もあると聞いていて、父の生命力に期待するしかないかなと思っていました。介護医療院の話が出るくらい安定しているのかな・・・と思っていたのですが。

午後様子を見に行くと、酸素3ℓ/分でSPO2は100で経過していました。顔色もよく、酸素吸入をしているくらいで、他は特に変わりがありませんでした。面会は10分、まあ、あまり重篤ではないということかな?
この後酸素を止めても98〜100で経過していたようです。

7月28日(金)12:50

病棟から電話がありました。呼吸状態が悪く酸素吸入を開始したこと、合わせたい人がいたら連絡を・・・と。
妹に連絡を入れて、歯医者に行っている母を待ち、15:00病院に行きました。
この日に限って、友達のところに行っておよばれしてきた!と、ルンルンでのんきな母。焦る気持ちを抑え、ハンドルを握ります。
私は、上司に連絡を入れて午後の仕事は切り上げ、急ぎ病院へ・・・。
妹が病院に着いた時には意識があり、反応があったとのこと。呼吸のたびにキツそうに声を出していたとのことでした。

15:00 母を連れて病院へ。
血圧は100/60、呼吸状態は努力様、酸素は8ℓでSPO2 95程度、脈は115とかなり早くなっています。下顎呼吸が始まっていました。長くて2日ほどか?

18:00 夜勤の看護師さんより、交代で付き添うことを提案されました。
母は耳は遠くほとんど聞こえていません。
状況をどこまで把握できているのか?
さあ、帰ろうか・・・というので、妹に託し、母を連れて帰りました。

7月29日(土) 6:10

妹から電話、血圧が下がってきたと連絡あり。どうやら4時ごろから少しずつ血圧が落ちてきた様子です。
すぐに母とムスメを起こし、病院へ。
呼吸は浅く、脈も弱くなってきている様子で、足や手は白く冷たくなっています。

9:50 血圧80/40、SPO298 酸素吸入5ℓ、体温37.9℃
10:30 エラー音、指先でのSPO2がはかれなくなってきた様子です。
血圧は100/60、心拍94、SPO2は98。ナースステーション中にエラー音は響いていますが、誰も反応してくれません。ステーションには看護師さんの姿はなく・・・少々心配になります。
10:45 オムツ交換
11:30 サクション
13:43 検温37.8℃、血圧70/41、SPO2変わらず、氷枕に切り替え
14:49 サクション
14:50 体交、モニター異常あり。機器異常を疑い再起動、テープを右手中指に貼り換え、SPO2は93~95程度で経過していました。
まだ血圧も測定でき(90~100)、昨日より落ち着いている為、全員帰るようにとのことで、看護師さんに託し、18:50帰宅する。翌日は面会ができない曜日で何かあったら連絡します・・・とのこと。

このような状況下でも、付き添いは許されず、上層部から注意を受けていると視聴さんから説明がありました。

7月30日(日)14:58

無呼吸の時間があると連絡あり。午前中から時折無呼吸の状態があるとのことだが、SPO2、血圧は変わりない。呼吸は昨日より少し浅くなってきているようにおもいます・・・とのこと。

15:00 病院へ。
10回~20回ほど呼吸をして、10秒ほど無呼吸となる。刺激により呼吸再開する状況が続いていました。SPO2は右耳たぶに装着され、酸素8ℓで100をキープしているようです。母は無呼吸の意味を理解できないでいる様子で、父の呼吸に合わせて自分も呼吸をしているようでした。
徐々に無呼吸の回数が増えてきている・・・今夜がヤマかなあ・・・と勝手に考えていました。

17:30 検温とサクション、熱は平熱。もう血圧は測定器では測ることができません。大動脈及び頸動脈で触れる程度・・・60くらいですね・・・と看護師さんの言葉がありました。
確実に・・・徐々に落ちてきています。
19:10 オムツ交換。大量の排便あり、シーツ交換も実施してくれました。その後呼吸は浅いものの、無呼吸の回数は減ったような・・・?気がしていました。おなかがすっきりしたのか、表情も穏やかになっています。
20:45 当直看護師Oさんが来室されより、「夜勤の交代以後、バイタルは特に変化はない。低空飛行だが、安定している」と一旦帰宅をすすめられました。
「大丈夫、声掛けに反応があるからきっと明日まで待ってくれますよ! 一旦おうちに帰られて、ゆっくり休んでください。変化があればすぐに連絡を入れますから・・・」
との話に、後ろ髪をひかれつつ、お願いして帰ることにしました。

7月31日(月)

5:35 病院から電話。「血圧が下がってきているので、急いできてほしい、30分くらいで来れますか?」とのこと。急ぎ準備をして病院に向かいました。
6:10 病院についたとき、呼吸は浅く、苦しそうでした。
声掛けに反応があり、最期の力を振り絞るように何かを言おうとしている・・・ように見えます。そして、どこからその力が出てきているのか、首をイヤイヤをしているように左右に振り、体にも力が入り、手を出して空を握るようです。手を握ると、グッと力が入り、引き寄せるように握り返してくれます。
痙攣しているのでしょうか?
何かを言おうとしているのでしょうか?
その反応は繰り返し、5回にわたりました。

その後、ホッとしたような、安心したかのような穏やかな表情になり、徐々に呼吸が浅くなります。
6:30 病室内のモニターがフラットに・・・。
6:39 夜勤のO看護師さんが来室され、ナースステーションのモニターで心拍停止するが、しばらくすると脈が戻るので、しばらく様子が見たいと説明がありました。
「まだ、耳は聞こえていますよ。
心臓が強いですね。頑張っておられますよ。
安心するように声をかけてあげてくださいね」・・・とのことでした。

7:21 当直の医師により、死亡確認
7:50 主治医が師長とともに来室してくれました。
「よく頑張られましたね。心臓が強くていらっしゃいましたね」・・・と、びっくりされていました。
点滴2本で4カ月、下顎呼吸が始まって丸2日。最期まで生き切りました。
お疲れ様でした。ゆっくり休んでね。

伯父さん(兄貴)は迎えに来てくれていますか?
茂平さん、タダさんはもう会えましたか?
ムスメや奥さんのことは忘れても、ずっと気にしていた両親のこと・・・兄貴のこと・・・。
虹を渡るときに迎えに来てくれているといいね。

外は夏らしい青空。
ああ~、今日も暑くなりそうだね。
そういえば、茂平さんのなくなった日は
福岡大渇水の初日。あの日も暑かったなあ。
私は中学1年生で期末考査の1日目だった。
喪服のまま給水車に並んでお水をもらったっけ・・・。

父さん、ありがとう。
さあ、しっかり見送らないとね!
見ててね。

母さんは
混乱しているけれど、まぁ、我が道をゆく人だから大丈夫かな。

見取りのカタチ

在宅介護は、在宅看取りとはいきませんでしたが、うちにいる間は私にできること、全てやりました。
食事もお風呂も、粗相の後も、いつもは苦手な掃除も頑張りました。
粗相のおかげで、1日3回も、4回もお掃除したり、着替えたり、洗濯したり・・・大変だったけれど、良い経験となりました。
食事は、品数を増やすと、逆に食べなかったり、ワンプレートにしたり、お弁当にしたり、私なりに工夫をしましたが、「食べる」ことや、「飲み込む」ことを忘れてしまうなど、私には想像もできないことで、「老いる」ということを身をもって見せてくれました。

今回は病院での看取りとなりましたが、在宅での看取りとなると、点のサービスをどうつなげていくか、ということが支える医療のポイントになるでしょう。これは本当に難しいことだと思います。
生活はケアマネジャーがコーディネートしてくれるのですが、医療のコントロールがしっかりしていないと難しいのではないかと思いました。

最後までお読みくださりありがとうございました。
では、また。

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