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内なる集団 〜クラスという概念についての覚え書き〜

 日本人にいま必要なことは、個人個人のうちなるクラスと対決することにある、と考えています。ここでいうクラスとは私の仮定しているもので、それは〈階級〉のカタカナことばではなく、むしろ心理学でいうコンプレックスに似た機制です。昔人気だった、小中学校を舞台に熱血教師が活躍するテレビドラマの子どもたち、学級(クラス)を内面化したものといえばイメージしやすいかもしれません。
 この集合意識としてのクラスは、人間の集団への帰属要求という正当で自然な心理に基づいていて、自我がありつつ環境に取り込まれている意識の様態です。本来は一個人のものでありながら、集合的に性格づけられ機能するところにその特徴があります。集合意識としてのクラスは、広い意味での神話を共有し、共産し、その虚実入り混じった世界に息づくのです。
 このクラスなるものは、その起源を生存本能に準ずる帰属欲求に持つため、情緒化すると正義感と混濁します。自我の形成が幼稚な人間は安住していたその世界観が破綻を見せた時、クラスによる世界観が幼稚な自我を乗っ取り、自我インフレーションを起こします。狂信的な政治運動というのはこうしたものの一端ではないかと考えています。
 しかし、このクラスそのものを悪者にすることはできません。人間はそして自我は、完全に自立するほど強くはないし、クラスは普段の生活の中では価値形成や美意識の基盤となり、そのための辞書を提供してもいるのです。そのあらわれは、〈ふんいき〉に染まる、などと表現できるでしょう。個人の持つ〈ふんいき〉は単にクラスの醸成ではなく自我の採っているスタンスが問題になるでしょうが、時にはクラスを生地(自我)の帯びる色彩にたとえることもできるのではないか、と思います。

 さて、島嶼という天然の閉鎖系の中に生きる日本人は、クラスとの直接対決を必要とはしなかった。世界の構成要素を、〈カミ〉のこと、〈ヒト〉のこと、〈モノ〉のこと、と分別すれば、日本では〈カミ〉のことと〈モノ〉のことは容易に混同されます。しかしそのアニミズムも〈ヒト〉が下位にあるうちはそれで良かった。〈ヒト〉のことはインフレーションを起こすまでもなく、天地万物、いわゆる自然(しぜん)によって充分な掣肘を受けていたからです。ところが、ヨーロッパの人間的な神を輸入し物質を支配する人間像に親しみ、〈ヒト〉をすべての上に置いたとき、日本では責任を負うはずの自我は抑圧すべき本能的衝動以上のものとはみなされず、ヨーロッパでバーターされた個人の独立は責務とはならない。代わりに、あるひとつの "クラス" が日本の〈ヒト〉のことを司るようになった。それが日本の近代化を支えた「国体」と称されるものであると私は考えています。
 国体は昭和天皇が亡くなるまで実質的には機能しつづけた。マッカーサーと並ぶ昭和天皇はよく戦後の人心を象徴しています。アメリカのモダニズムは、たとえて言えば、現世の試練の上に乗せた天国のような補完的役割として国体を支えてきた。この時期を私は手塚治虫に象徴的であるとして "手塚時代" と呼んでいます。
 手塚時代には自明であったはずの国民的一体感は、まるで白蟻に喰い荒らされていたかのように、今崩れはじめている。手塚時代を代表するテレビは圧倒的な力で心の物質的基盤を掘り崩します。映像という虚構は、人心の投影される〈モノ〉の「創造的共産」には充分ではない。個人においてクラスのエネルギーを開放しフレキシビリティーを与える物質的基盤が掘り崩され、かえってそれが難しくなってしまっている。

 私が集合意識としてのクラスを考えたきっかけは、階級、あるいは階級意識というコトバに対する不満でした。日本語でものを考えるむずかしさは、輸入されて定着しすでに自明のはずの用語が、本来の定義を離れてしまい自前の様式に合わせて活用される点です。それらは現実に即したものというより、一定の集合的なクラスに依拠していて、そのことはなかなか理解されにくい。例えば「自我」ということばは、心理学に親しむ人間と一般の方とでは乖離が激しい。心の機能を意味するに過ぎない「自我」を、日本では自己中心的な人物を表現する「エゴ」の意味に読み替えるからです。そこでは何の断りもなく、クラスと親和的な人間が社会的適性を持つというドグマが前提とされて自我が槍玉にあがっているのです。
 自我の問題を追いつづけた文芸評論家・矢崎弾は、「幻想の防空壕」ということを言いました。それは自我を喪失しその果てに拠り所とされたあるもの=肥大したクラスを、見事に言い当てていると私は思います。今、そうした歴史的ありようばかりでなく、日常からその姿をとらえなければ集合意識としてのクラスは可視化されずわれわれはそのウルトラ化に支配され続ける。そのように思います。

(これはかなり昔の文章を書きなおしたものです。クラスについては、より包括的に考えた当時の文章をいずれ、アップロードできればと思っています。)

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