子育てあそび
子育てを語ったりはできない。
例えば子どもが死ぬとき、人生を振り返ってそれなりに楽しかった、よい人生だった、それはまあいくばくかの後悔はあるにしろ、なかなかよかった。と結論付け、母のことを思い出さないようなら、私の子育てはそこそこ成功したと言えるかもしれない。
しかし、その頃には私はとうに死んでいたいので、結局、子育てはこうと決めることはできないし、ひとりやふたり育てたところで何もわからない。
だけれども、ガチガチに上からこうしろああしろと言うわけではないし、少しくらいは語ってもいいかと自分を緩めることにした。
子育てを楽しむ環境というのは、なかなか整えるのが大変で、色々ときちんとしていたい人には難しいものがある。なので、こんなことすると楽しいよと軽々しく言いたいが、まあ、楽しむ暇があったらテーブルの下を拭くわという毎日の戦いである。
楽しむのが先か楽しむために整えるのが先か、鶏かたまごか論争はとりあえず置いておいて、家族というのはルールが独自にある。それは母親になると決めてもいいこともある。
うちでは、かわゆす1号!と言うと、長男がハイ!!と手を挙げ、かわゆす2号!!と言うと次男がハイ!!と手を挙げる訓練を施した。それはどんなときでも、である。ハイ!!と言うまでやる。返事をすると、よし。と、ひとり納得する母親。
別に何が生み出されるわけでもないわ、何の役にも立たないわ、私がひとりで面白いだけである。
ここから先は
0字
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?