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主従における人権の有無

様々な考え方や存在の仕方がある上で、正しいも正しくないもないことを
前提に、あくまで私自身の考えを書き連ねています。



こんにちは、やよいです。

主従関係を結ばれている方や、ドミナントサブミッシブの要素を
持っておられるいろんな方のXの投稿を拝見している中で、
(Xの献身みたいですね。好きです。)
【人権】というキーワードについて気づくことがありました。

「従者に人権はない」と言っているドミナントの方や、
「人権を持つな」と言われて喜ぶサブミッシブの方の投稿を見て
その方達の関係性の中で従者は、犬や猫、物として
存在しているのだと思いました。
※犬や猫をぞんざいに扱っていいというわけではないです、
  もちろん卑下しているわけでもないです。

その様子を見ていて、なるほどそういう存在のあり方があるのか、
私は人権が欲しいタイプだと気がつきました。
欲しいというよりも、あるからこそいい、かもしれません。

人間だから服を剥ぎ取られることに羞恥心を感じるし、
人間だから隅々まで管理されることに相手の存在に特別感が感じられるし、
一人の人間として存在するからこそ壊されている感覚があるなと。
それがたまらなくいいのです。。

正直なところ、物扱いも興奮はします。結局ね。🤭
でもそれよりも、人と人の繋がりを重要視しているから
人権はあってほしいなと思うのかもしれません。
忠犬のように素直で従順な人間として、
将来の主さんに従えたいと思う今日この頃でした。


まだまだ知らないことや興味のあることがいっぱい、
それを知ったり考えたりすることがとても楽しいです。

やっぱり文章書くの、好きだけど上手くはできないな。
でも楽しい。読んでくださりありがとうございました。🌷

Xで呟いています → @yayoi_m_flower


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