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雑記 824 冬至
音信が途絶えていた先輩から昨日葉書が届いた。
三年半ほど前、鎌倉小町に住んでいたが、コロナ騒ぎが始まった頃、連れ合いをなくし一人になったので横浜戸塚区のミモザ紅葉苑というところで暮らすことになったと、短い連絡が来た。
それまでも、鎌倉の駅前のあの賑やかな通りに近いところに住んでいるとは知っても、なかなか思い切って鎌倉まで行くことはできなくて、年を過ごした。
年の経つのは早いもので、明日、明日、と思っているうち、年月は束になって飛んで行く。
長年の付き合いは、手紙だけだった。
年賀状、春の便り、暑中見舞い、と、手紙を出し、戸塚区のミモザ紅葉苑に移ってからは、
「こんなところにいたら、飲みにも行けやしない」
と冗談半分の返事が来ていた。
それが、昨年あたりから、段々に返事が来なくなり、私は、少しの心配を抱えて、その心配を振り払うよう、葉書を出した。
桜が満開ですね、
青い空に入道雲が眩しいですね、
虫の音がしてきました、
等々。
今年は春以来、返事がなく、
その間、私は、何人もの人との、別れを経験した。
7月に大学時代の先生が突然に亡くなられ、星の仲間の友人は奥様が亡くなった。
9月にごくごく親しい友人が突然死し、それはもう、もぎ取られるように、私の側からいなくなった。
また旧友がコロナワクチンを打った後寝たきりになって12月初めに「もうダメ」と弱々しい声で電話してきた。
周りで、次々と流れ星が落ちるように、あの世に旅立つ人が増えた。
それでも、出した葉書が戻ってこないのだから、届いてはいるのだろう、と思っていた。
昨日、その紅葉苑のスタッフの方から葉書が届いた。
宏子様より、代筆を頼まれました、
とあった。
元気そうな日常の姿も貼り付けてあり、
「長い文をお考えになり、お書きになることは難しい状態ですが、
手紙を読んだり、お喋りしたり、お食事は全く問題なく、お元気です。」
とあった。
ああ、よかった、まだ御健在なのだわ。
宏子さんは、私が最初に勤めた財団法人の研究所の資料室室長だった。
物知りで、おおらかで、声が大きく、楽しい人。
学生上がりの私は、当時はコーヒーの味など、全く分からず、いつも昼ご飯に一緒に出て、その後必ず寄る珈琲店「TOM」で、
今日のオススメは、コロンビア、とか、ブルーマウンテン、とか、モカ、とか、言われるままに、飲み、
コーヒーって高いな、
など、マスターがネルのドリップでコーヒーを淹れるのを見ながら、思ったりした。
それでも、1年以上そんなことをやっていると、コーヒーの味も分かるようになり、美味しい、と思うこともあるようになった。
その後、私は、職場を変えたが、宏子さんとのお付き合いはずっと続いていた。
読み終わった山ほどの本を、私に送ってくれ、
私の家の本棚は入りきらない本で溢れ、山積みになって、どこかの売れっ子作家の部屋のようになってしまった。
あれから、うん十年。
世の中には、私が真っ当に生きる道を開拓するのに大きく力を貸してくれる人がいるものだ。
うん十回年賀状を出し、うん十回暑中見舞いを出し、
お元気ですか?
身体に気をつけてお過ごしください、
など、たいした話ではないことを書き付けて、それでも、繋がっていたい、と思っている。
あんなに頭脳明晰で、女親分みたいな宏子さんが、ジブリの『ハウルの動く城』の荒地の魔女が最後に小さいおばあちゃんになってしまったように変身した。多分。日常で出来ることが限られて、日々を過ごすようになったのだろうけれど、
スタッフの方に、代筆を頼む、と言うことは、
返事が書けないことをとても気にしていたのだろうし、投げられた言葉は投げ返さねば、という、律儀な性格の現れだろう。
私とて、いずれ通る道である。
葉書の表の大胆な署名は、線もしっかりして、まだまだ先輩、頑張れます。
今日は、冬至。
太陽は、明日から勢いをもり返し、暗闇は明るくなっていく。一陽来復。
何よりのクリスマスプレゼントを貰った気分だ。
勿論、直ぐに、返事を書いて投函した。
ポストは、左の普通郵便の口は、年賀状になっていた。
歳月人を待たず。
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