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雑記 252 美枝さんの薔薇

昨日は北風が吹いて、関東地方は11月の気温だった。
思わず上着の襟を喉元で掻き合わせ、前屈みになって帰路に着く。雨も降って、寒い。

玄関近くになって、ふと、薔薇の花びらが、道路に散っているのに気がついた。
もう、薔薇は咲いていないはずだけど、と思って、街路灯に照らされた薔薇の木を見ると、
先日一輪だけ、見事に咲いた薔薇の木の枝が、ヒョロリと上に伸び、ジューンベリーの木の枝の股に茎を預けるようにして、その先で、小さな薔薇が開花しようとしていた。
もう一輪あった花は、北風に吹かれて散り、その花びらが道に落ちていたのだ。

2日ばかり留守にしただけなのに、薔薇がひっそりと咲くなんて。

花は、春と秋、忘れずに開花し、霊界通信、と私は呼び、美枝さんからのメッセージと思っている。

美枝さんは、ある日突然左脇の下が腫れ、悪性リンパ腫というものになった。
放射線治療と辛い抗がん剤治療を終えて、髪は抜け、爪は変色し、ボロボロになっていたが、だんだんに回復に向かい、傍目にも、いくらか効果も感じられていた。
ゆっくり日常に近い生活が送れるようになったある日、私達は、車で遠出して、足利のフラワーパークに行った。
そのフラワーパークで帰りがけに買ったのが、この「チャイコフスキー」と言う名の薔薇。

美枝さんは、だが、一年もしない間に、旅立った。
実は、原発は米粒ほどの乳癌で、それがリンパ節に転移していたことは、かなり後になって分かったことだった。
かぐや姫を連れて行かれないため、どんなに武器で守ろうとも、あえなく天に戻って行くように、美枝さんも東北大震災の10日後、驚くほどの速さで逝った。
まるで、震災で亡くなられた方達が、優しい彼女を道連れにしたような気がしたものである。

「お米がどこに行ってもなくて買えないの、少し分けて」
「いいよ、どのくらい?」
「じゃ、5キロ」

これが、私と彼女の最後のメールのやり取り。

その後緊急入院したと言う連絡があって、病室は決まったらメールをくれる、とご主人が言い、
何日か待っているうちに、近所の印刷屋に用があって行った時、商店街の回覧板が回ってきた、その文面から、

今朝早く亡くなられた

という文字を目が拾った。
嘘でしょ?
私達、さようならも言っていない。
寂しく辛い別れだった。

今年の秋のチャイコフスキーは、いつもの華やかさに比べ、一輪だけ咲いて終わった。
こんな年もあるのだなぁ、と思ったが、草木の開花や実りは自然の循環、一輪しか咲かないと文句は言えない。

オマケの様に、満月の日、薔薇はひっそりと咲き始め、街灯の光の中で、うつむいていた。

風は寒く、雨は冷たく、これからやってくる孤独な冬の季節の前触れであったが、
心はとても満たされ、私はひとりではない、と胸の内に安堵が広がった。

翌朝、見ると、昨夜は、蕾が少し開いた様子であったものが、ちょうど良い開き方になっていた。
もう少し開くと、強い風に吹かれて、花びらはバラけてしまう。

花びらは午後にはどんどん開き、明日の朝には散って、道に落ちているだろう。
美枝さんが生きていれば、一緒に、
薔薇が咲いた、散ったと、他愛もない話で時間が潰せただろう。
だが、仕方がない。
とりあえず、独り言で、
あなたの薔薇、咲いたわよ、
と、空を見上げて、気持ちを投げておこう。

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