宇宙探査機ボイジャー君、バッハと宇宙の旅
ペンション・モーツァルト、そうだ、ペンションの名前はモーツァルトだった。
思い出そうと努力していたわけではない。
20数年以上昔の記憶が突然意識に浮き上がってきて、モーツァルトという名前が口をついて出てきた。
山中湖の南側にあり、思い出すと、そうだ、N響の人が来てコンサートをしたとか、大庭みな子が執筆に籠ったとか、オーナーがソルボンヌ大学に留学したとか、一度に記憶が戻って来た。
そういうことを予め知って選んだ宿ではない。一度合唱団の合宿で使った。
次に選ぶときは名前に惹かれて決めた。
客室には、adagio とか largoとか、名前がついていた。
ペンションのリビングにはCDやLP、本が山のようにあった。
大きなスピーカーは、TANNOYで、音響機器にどれほどの金額を投入しているのか、部屋の音響設計が本格的で、私のような、ただの音楽好きが泊まるにはもったいないような宿であった。
後で聞かされた話だが、ここはN響の人が好んで泊まる宿だと言う。
タンノイスピーカーは、50万、100万、高いものだと、1000万近くする。
食事もおしゃれで上品でおいしかった。よほどのことがなければ20数年前の夕食メニューなど覚えてはいるはずはないが、断片的な記憶ではキャビアに黄色のソースがかかっていた。どの料理も申し分のないフランス料理だったことを覚えている。さすがにソルボンヌ大学卒と感心した。
だが、今は、そのペンションの話ではない。
夕食をとっていると、隣のテーブルに学生さんが数人、それと引率の先生だろうか。それとなく聞こえてくる話を耳にしているうちに、耳は、自動追跡装置が付いたように完全にそちらのほうに向いてしまい、で、それでどうした? 次は?と聞きたくなるような話が次々と繰り出されてくるのに、釘付けになった。
話している人がどんな方かは知らなかったが、話は並々でなく面白く、何を話題にしても新鮮な驚きに満ちていた。
食事が終わっても、隣の食卓のゼミ特有の親密でひそやかな盛り上がりから気持ちが離れることができず、コーヒーをゆっくりゆっくり飲みながら、一緒にいられる時間を稼いだ。
食後、お名前をお聞きした。佐治晴夫とおっしゃった。
その頃は、まだ、大学の先生であったと思うけれど、後々の著書を見ると、量子論に基づく宇宙創成論「ゆらぎ」研究の第一人者、とある。
「1/f ゆらぎ」というのは、近年家電品に応用され、その恩恵を被らない人はいない。
また、NASAの惑星探査機ボイジャー計画に加わり、地球外知的生命体ET探査にも関与。バッハの楽曲をボイジャーに搭載するディスクに入れる提案をした。
一方でパイプオルガンを弾き、ピアノを演奏する。音楽に造詣が深い。
現在は北海道の美瑛の天文台の台長で、昼間の星を見るプロジェクトを進めておられる。音楽と天文学を使って、子供の教育にも深くかかわる。
一口では語れない、とんでもない人物になってしまわれた方なのである。
穏やかな風貌で、隣のテーブルの学生たちに、心地よい響きをもつ声で淡々と語る。学生達は、時々控えめな若い笑い声を立てて、身を乗り出し先生の話を聞いている。
そのグループは、太陽から吹いてくる風の音を捕まえるためにここに来ている、という。
風ですか? そんなものが捕まえられるんですか?と驚きの声を上げると、
あなたにも、明日、その風の音をお聴かせしましょう、と。
今でこそ、「ニュートリノ」とか「カミオカンデ」とかいう語が一般にも知られ、日本人宇宙飛行士が、宇宙船から地球に出ているオーロラを撮ったり、太陽風の音を録音して公開することは、珍しいことではなくなったが、その時、
「風を捕まえる」
という言葉は、あまりに突飛で、私が探検隊になって捕網を持って絵本の中に飛び込んで行く姿を想像した。
太陽からの風を捕まえるためには、空気の澄んだ静かな場所が好ましいのだそうだ。
翌日、学生さん達が収録した風の音を聴かせてもらった。ピヨピヨ、ピヨピヨ、と小鳥が囀る音のように聞こえた。
太陽から吹いて来た風は海に波を作る。雲が流れ雨が降り、木々の葉が揺らぐ。全ての源は太陽にある。
………
あれから長い年月が経った。
その後の日々はあまりに慌ただしく、星を見ることも、太陽風のことを考えることもなく、過ぎ去った。
サンライズ、サンセット、サンライズ、サンセット、、、子供は大人になり、大人は老人になった。何度昼夜を繰り返したことだろう。
昨年(2018.11.13)、日本の美しい村フォーラム、という集まりに出かけ、そこで講演者としての佐治晴夫先生に20数年ぶりに出会った。
会場の多くを占める聴衆は、佐治先生の弟子や関係者で、「私はアポロの打ち上げに連れて行ってもらった」とか「ボイジャーも行きましたよ」と会話が弾む。
「ところで、私は宇宙少年団○○支部にいるんですが」と名刺を出すと「そうですか!私は××宇宙少年団です」と自慢げに返事をする。
どの方も50歳は過ぎようという男性であった。
舞台にピアノが置いてあり、講演の途中で、佐治先生はそれに歩み寄り、座って、倍音の話をし、鍵盤を何度か押して指が行き来し、それから、いきなり弾き出したのは、バッハのプレリュード第1番。
辺りが水を打ったように静まり返った。
打ち上げから40年以上宇宙空間を飛び続けて任務を続けたボイジャーが太陽系の果ての海王星を過ぎる時、一度母なる地球を振り返り、太陽系の惑星の家族写真を撮り、地球に送信した後、もうその先は地球には電波の届かない暗い宇宙空間に吸い込まれるように決然と進んでいくのが映像として頭の中に見えた。ボイジャーのディスクに搭載されたこの曲は、地球外知的生命体に拾われた時、どんな風に聴かれるのだろうか。
その晩、帰宅して、ああ、あの時泊まったのはペンション・モーツァルトだったな、と思い出したわけだった。まるで、一晩眠って目覚めたら、昨日の出来事であったような錯覚。
佐治先生はいつの間にか私の生き方のお手本となり、偶然のなせる業とは言え、人と人との出会いに感謝しないではいられない。
1977年に打ち上げられたボイジャーに搭載されたディスクには、地球上の55に及ぶ言語で「こんにちは、お元気ですか?」という挨拶が入っている。
グレン・グールド演奏でバッハの曲も入っている。
そして、カーター大統領の言葉も入っている。
「これは小さな遠い世界からの贈り物です。 私たちの音、科学、画像、音楽、思考、感情を表したものです。私たちはいつの日にか現在直面している課題を解消し、銀河文明の一員となることを願っています。このレコードは広大で荘厳な宇宙で私たちの希望、決意、友好の念を表象するものです。」
ボイジャーは、どこかに流れ着いて、拾われ、地球のことに想いを馳せる地球外生命体にいつか出会えるだろう。同時に、今の地球上に争いがなくなるよう願わずにはいられない。
だが、また、その時には地球は消滅して、もうないのかもしれない。
ゴールデン・レコードのカバーには、レコード針を使ったデータの読み方が詳しく記されている。それは、英語ではなく、高度な知的能力を持つ異星人が読解できるであろう数学的表現で書かれている。
ディスクを保護している金属は何億年も持つそうである。そしてボイジャーに搭載された電池は43億年もつと言う。
先日NHKの「チコちゃんに叱られる」という番組でその方は、「夜はなぜ暗いのか」という問題を出し、大方の人が「太陽が沈むから」と答えたが、実は、宇宙に涯(はて)があるから、というのが正解で、えーっ、という驚きの声が上がった
END
注釈はボイジャーのサイトから引用させて頂きました。
注1:ボイジャーの動力は、プルトニウム238で、打ち上げから40年以上経っても活動出来ていた。しかし、遠い将来プルトニウム238が発電能力を失っても、ボイジャーはゴールデン・レコードを運び続ける。
注2:今から10億年後には太陽は消滅に向かい、我々の地球もその高温のプラズマに飲みこまれてしまうと考えられている。つまり、このゴールデン・レコードが、我々が過去宇宙に存在したという、唯一の証拠となるかもしれない。
注3:太陽系家族の写真を撮ってもらおうという提案は、プロジェクトが解散した1年後の1990年に持ちあがり、再びメンバーが招集された。指令の電波がボイジャーに届くのが4時間、その返事が届くのに、4時間以上。この試みが成功するとは誰も信じてはいなかったが、「彼」は立派に任務を果たし、64枚の写真のシャッターを切った。
NASAには、今も、愛すべきボイジャー君が帰ってくる時のための部屋が残されているという。
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