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「水俣 天地への祈り」を読んで

 昨年終わり頃、石牟礼道子さんの「苦界浄土」を読んでみたいなと思って以来、水俣関連の本が目に留まるようになっていました。今回むらとしょで見つけた本の著者、田口ランディさんは、20代の初めに「苦界浄土」と出会い、その後あることをきっかけに水俣を「封印」、そして44歳にしてキッカケがあり初めて水俣の地を訪れることになったそうです。
 田口さんが苦界浄土を知ったのは、吉祥寺にあるアングラ劇団に出入りするようになり、そこで演出家K氏と出会ったことから。

 K氏は辛辣な人で、(田口さんは)「オマエは口ばっかりの女だ」「オマエはバカだ!」とののしられながらも、なぜか劇団に顔を出し続けた。
 4人の劇団員が扮するのはそれぞれ「従軍慰安婦」「炭坑夫」「日雇い労働者」「水俣病患者」。かつて防空壕だった暗い稽古場で来る日も演じ続ける、もう観ているだけで気が滅入った。

(本書より。完全な引用ではなく、抜粋や編集をしてあります。以下も同じ)

 K氏が不慮の火災で帰らぬ人となり、そのまま水俣を封印してしまった田口さんですが、縁あってNPO法人「水俣フォーラム」から声をかけられて、水俣との交流が始まったそうです。

 本書では、水俣病患者のおふたり、杉本栄子さんと緒方正人さんの話が中心となります。田口さんはおふたりのことをなんとか読者に伝えたい、そういう姿勢に徹しているように思います。田口さんにとって分からないことは分からない、と素直に認めて、何とか分かろうと話を聴く姿勢が面白く興味深いです。

 杉本栄子さんは女網元、つまり漁師。父親が発症して亡くなり、自らも水俣病に苦しむ。苦しむ中で、父親の遺した言葉の意味が分かってきたそうです。

・亡くなったのは父だけじゃない。海の魚が死に、植物も死んだ。それに気づかなかった。
・「いじめる人(注:患者をのけ者扱いする周りの人)は変えられないから、自分たちが変わっていくばい」って言った言葉がほんとうだと分かったんです。
・父が教えてくれた祈りばしようって、それで祈りが始まったんですね。

 田口さんは杉本さんの「祈り」が何なのかよく分からなくて、杉本さんにいろいろ話を聴いたのです。そしてコメントします。

 企業が悪い。政治家が悪い。・・・・加害者への怒り・・・・それは私憤だろう。人間を信じられなければ何も解決できない。同じ弱さを持つ人間として共に祈り償う。人間にはそれができる。

 杉本さんは、水俣病を「のさり」だと言います。「のさり」とは僕が本書を読んで理解した言葉で置き換えると「やってくるもの」です。やってくるものには良いものも悪いものもあります。自然の恵み、天変地異、なんでも「のさり」だという理解なのかな、と思います。水俣病がやってきて、苦しんだ。でも水俣病によって多くの気づきや人のつながりを得た。水俣病の語り部をやり、「水俣病は私の守護神」とまで語る杉本さん。
 「いつでも水俣にいらっしゃい、ほしいものはなんでもあげましょう。好きなだけもっていけばいいです。」
 田口さんはこう声をかけられたそうです。「欲しいものを好きなだけ」これってコモンの考え方と一緒だな・・・と僕は思いました。苦しみ考え続けて、たどり着いたのは誰もが分け隔てなく分かち合える穏やかな世界・・・そんな気がします。

 緒方正人さん。この方も漁師。水俣病で苦しみつつ、1985年、32歳の時に患者認定を取り下げ、たったひとりでチッソの工場前に座り、前を通る社員一人一人と対話を始めた、という方です。
 緒方さんは、裁判という法制度に訴えるうちに、結局はすべてがお金に換算されいつのまにか水俣病の責任の意味や内容がお金にすり替わってしまい、システム社会の中に呑み込まれて行ってしまうことに気づきました。
 金の支配する世界を脱したい。「いち抜けたという生き方」を選んだ緒方さん。

キーワードは一人になること、一人という存在地点に立ち返ることが必要なのではないか、それが人として原点に立ち返ろうとすることにつながるのだと思う。」

  これを読んだ僕は衝撃でした。昨年一年間「緩やかな連帯」をキーワードに掲げていた僕にとって、「エッ、つながるんじゃなくて一人になるの?正反対?」てな感じでした。でもよくよく考えてみると、僕自身、連帯の矛盾というか危うさを感じ始めていたのでした。
 人とつながるのはいい、でも人に期待しすぎるな。勝手に期待しすぎて勝手に裏切られたと思ってガッカリする、そんなことがありました。他人に対してだけではない。自分自身に対しても、物事に対しても、おんなじじゃないかな、と思いました。
 「期待しすぎるのが悪い」というより、「それにもたれかかるのが良くない」と考えました。あくまで自立して、「それ」との関係を作っていく。自分自身の中でもそう。
 そう考えると、緒方さんの言う「キーワードは一人になること」は、連帯以前に大切なことだと腑に落ちます。

 なぜ水俣病事件が起こってしまったのか。
 チッソや国、加害者を敵として外側にしか見ていなかった。運動のなかには「正義」という看板がある。責任を追及する側でいられて、何の疑問もなく、外からの批判もない。浸り切っている。

 そういう中から緒方さんの考えに「逆転」が起きました。
 「私はもう一人のチッソだった」
 被害者であったはずの緒方さん自身も加害者と同じ社会の人間であった・・・

 緒方さんが今考えることは、どうしたら人間社会に世界を、世界観を取り戻せるかな、一人の存在地点として何かを表現できれば。何か組織したりということはあんまり考えていない。ということです。
 ここまで来るのに到底想像もできないような苦しみがあったと思います。そして「一人」をキーワードに日々を取り組んでいる緒方さん。

 次はようやく「苦界浄土」を読んでみたいな、と思っています。

 

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