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遊びと青春はいつだってともに

「楽しそうなら、やる」が口癖だったように思います、あの頃の自分は。

その「楽しそう」と言う基準はとてもあいまいで、広くは「経験したことのないもの」であり、「なんか面白そう」と感覚的に思えたならもうOK。

そう思えている自分すらなんだか誇らしくて、楽しい自分であることが自分らしいと思えて。

けれども、その新しいことは同時に困難にも満ちていて、そのためなら大抵のことは犠牲にして、いつのまにか顔は笑ってなどいなくて。

あの頃の報われない思いに名前をつけてあげられそうな気がして、こうして書いています。

今の自分が昔の自分を救えることだって、できる。書くことでなら。




幼い頃は、自分なりの小さな遊びやなぜ?を考えるのが好きでした。ですがその発露の仕方がわからず、友だちにわかってもらえない経験から、発露すること自体も控えめになっていきました。

唯一、自分だけの考えや意見を込めることができたのがものづくり。けれども美大に行き、同じように切磋琢磨する同士が現れたとき、嬉しさ・心強さとともに立ち現れてきたのが他人と自分の遊びを比較してしまうことでした。

自分よりもあの人の方が遊ぶ視点が面白そう・楽しそうと言う優越をつけてしまい、いつのまにかあの人よりも自分が優れていることに安心を覚えてしまう。

誰かと比較して、自分の位置を確認する相対的な測り方をしてしまい、あれだけ自分の中だけで楽しめていた遊びなのに、いつからか比べることが目的になって。

そうして社会に出てみると、楽しそうに仕事をしている人が輝いて見えて、彼らは仕事を遊びにしているのではないか?と思いました。

同じように真似をして、真似をできるくらいに自分を追い込んでみたら、辿り着くことはできたんです。

けれどもそれは、仕事を依頼してくれたお客さんのタイミングや状況、社内のプロジェクトメンバーのコンディション、会社の売上への貢献度、それらがすべて奇跡的に合致したからこそ、なし得たこと。

なのに、さも当然のように次も次もと同じようにこの遊びをできるものだと期待をして、当たり前ですがその機会はだんだんと失われていって。




いま、あの頃のメンバーと会うことはほとんどありません。全力でなりふり構わず遊んでいた時間を青春と呼ぶのなら、あれは仕事の青春でした。

どこか初恋のように儚く、もう二度と叶わない尊い過去。そこだけが冷凍保存されて、幼かった振る舞いもあるけれど、美化されて。

けれど、そもそも仕事とはその人ができないことを、できる人に頼み、代わりに対価を支払う仕組みだから。

その前提条件において、仕事の中で存分に遊ぶ喜びを体感できたのはいま考えても幸せなことでしたが、同時に遊びを優先させてしまう危険性も学びました。

青春の胸の高鳴り。期待と不安。2つのドキドキ。あれは間違いなく青春でした。

けれど、あの頃に戻りたいか?と聞かれたら、そうではないと答えます。すべてを引っくるめた上で、いま八々をはじめたのですから。

仕事(組織においてのものづくり)では誰かの依頼に応える比重を高めつつ、個人で遊びを主体としたものづくりをしてみたい。この2つに切り分けた実験こそが、いまの自分にとっての遊びなのです。

幼い頃に果たせなかった遊びの延長線上。自分だけの視点、物事の捉え方。その繊細でデリケートな部分をものづくりを通して共有したい。

それは開いていくと、誰かに向けてLetterを書くことだったり、誰かのホームとなるページを作ることではあるけれど。

仕事ほど目的を果たすために手段を選ばないわけではなく、ともにつくるメンバーに遊びを強要しないし求めすぎない。

自分を主体として遊びが伝染していく、遊んでいる「いまここ」こそが幸せだと思えるものづくりをしてみたいのです。



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