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生き悩む人 11

最近の興味のあることに関して、考えてみようと思います。また、1年の半分が終わりに向かっているので、その振り返りもしていこうと思います。
最近は、午前中に起きたときのだるさと、眠気が酷くて起きることができない日が増えています。目覚ましをかけていて、ゴミ捨てのために一旦外に出たとしても、やっとさっき眠れたような感覚が強いので、日中は横になっているのが楽です。また、夜は緊張しているのかソワソワ感があり、2時くらいまでは眠気が来ません。
外出すると、耳閉感があるので、不快感から避けるのが習慣化してきている感じがあります。一旦は耳鼻科で見てもらったことがあるのですが、耳鼻科にもう一度いこうと考えています。ここで困ることは、周りの人の会話が聞こえにくくなる場合があり、相手に聞き直すことで相手が不快になる可能性があること、それから、自分の声のボリュームが分からなくなりがちで、相手にとって大きいのか、小さいのかが分からないので、会話が不安になります。
いい時は日中で外でも問題ない時もあるのですが、ひどい時は呼吸音と心臓の拍動が同時に耳にこもって聞こえるので、その音で圧迫されるので話すことが怖いです。ただ、1人でこもっている分には困らないです。

生活リズムの乱れがあるのは、季節的な問題と、梅雨から夏への季節の移り変わりの中で起きているのでは無いかな、と考えています。
また、空調の環境調節が下手なので、寒いよりは暑くて頭がぼうっとしている方が楽なので、それで1日家の中で過ごしていると、翌日には頭痛がしてきます。
お酒を飲まない時は、暑さで頭をぼうっとさせて考えることから逃げているような感覚があります。意識的にやろう、としているのでは無いのですが、振り返ると、室温が30度から35度くらいまで上がった室内で横になって過ごすことが特にここ数日は繰り返していました。
思考すること、今後のことを計画立てなければ、と考えると、思考停止状態になって、床の模様を頭の中でぼんやり繋いで絵柄を見ることをよくしています。

これは、未経験のこと、分からないこと、遠いことを考えるから分からないことを考えていることが行き詰まるのです。

今後の収入のための仕事を探していく中で、私はまだ今持っている資格をそのまま活かした仕事を、別の職場で経験したことがないので、恐怖感があります。
また、資格を活かさない仕事をお金のためと割り切って仕事をする選択肢もあります。
どちらにしても、耳の調子は戻していかないといけないです。1月に仕事を休職したことで自分を責めたことで、食事が摂れなくなったことで4日で4kg近く体重が落ちました。それから、退職して5月に入って、梅雨の影響もあって、気持ちは楽になってきつつもさらに1kg落ちたのですが、体重が増えることも怖いです。診察の時には耳は急な体重減少の影響が大きいので、早く体重を戻した方がいいよ、しっかりご飯を食べて運動するといいよ、と言われました。

大学のことに関しては、6月のZOOMでの授業が無事に終わりました。無事に単位も9単位取得することができました。
これからの身近な予定として
・7月からの9月の夏のスケジュールを計画修正を残りの6月中に行うこと
・7月に提出する予定の制作に一つ取り掛かること
・6月の授業で制作したものでのさらに手を加えたい制作物を進めること
・7月の授業に向けての準備の制作物の確認・準備・制作
・専攻以外の初めて取り組む講義は自分で本を読んだり、制作物を本を読んだ上で取り組みをまとめて提出するもので時間がかかるものなので、要項を把握して時間的なスケジュールの把握と計画を行うこと

・購入して読み進められていない教科書・参考書(具体的には途中の日本史・世界史・政治経済の教科書+大学の教科書が8冊ほどあるのですが、この7月から9月に全部履修するわけではないので、4冊は読んだ上で進めていこうと思います。)
今年は制作に関するところを集中して取り組みをした上で、翌年からは別の分野の講義の学習も取り組みの比重も増やしていきたいです。(教科書は基本が載っていると思うので、どこまで掘り下げたいのか、深く学びたいのかを知りたいのかを明らかにする工程を挟みたいです。
漠然と選択すると、多すぎて本来制作のための学習にかける時間がおろそかになると考えているからです。)

短時間での学習で、特に手を動かしてみないと、自分で繰り返しやってみて、知識とやっていることが合致するほど自分の中に落とし込めるまでを今年の目標にしています。

それは、毎日やることが必要です。それは頭ではわかっていても、いま実践に移行できていないのです。
ここが課題です。

実際にやるためには、まず自分の要領を把握するところから始まります。
・何にどのくらいの時間がかかるのか
・今日学んだこと、今月学んだことが空の状態で口に出して言えるくらいの知識が何か
・空の状態から画材をどの程度目的と使い方ができているのかを客観的な視点から、自分の今の状態を反省すること
(この反省は悪いことをしたことを申し訳なく思う、謝罪する、という意味ではないです。
振り返って、次にどう繋げていくかを自己正当化したり、棚に上げたりといった逃げたりせずに、客観的な状態で自分の技術面を評価して、課題を明らかにすることです。課題の洗い出しをして、それからの次に必要なことを細かくして分かるようにすることです)
ここに時間をかけることが、自分の今立っている地点を自覚して自分との対話ができるヒントがあるように感じています。

また、全然別の話になるのですが、今年年初めの頃に母子密着の本を読んでいました。母子密着でネットで検索すると、いくつも出てきます。ただ、子を産むのが母だとしても、子は父と母から誕生します。
いま私は、父子関係の問題もあると最近強く感じています。
夫婦はお互い大人として、親として、それぞれの男女として、個人として、関係が先にあります。思考や思想・価値観にお互いの影響を受けているはずです。父母の価値観はさらに自分の親の影響を受けます。当時の時代、社会や家族関係の築き方はまた違います。土地の環境もあると思います。
私の家族の場合、母は父親の考えに基本的に賛同しているので、選択権は父親にあります。父親の権限が大きい家庭では、母との関係といっても、その裏には父親の影響がないはずがないと思うのです。
そこを自覚しないで、母子だけの関係性に落とし込むことに問題はないのか、と思うのです。
自己としての考えをする中で、もちろん周囲の人間環境や、メディアや本など関わってきた人たちの影響は影響してきます。
無意識の中に自覚しない状態までの思考は、養育者の影響を、特に幼児期から大人になるまでの発達の中で大きく占めていると思います。
そこに関して悩んでいる部分があるのですが、親は自分は感謝される立場であるという姿勢のため、子供に対して謝ることはありません。子供にはあの時こんなことをしてあげたんだから感謝しなさい、と言います。あの時は今にしてはネグレクトだろうねと母が言うことがあっても、それをごめんね、ということはありません。知らなかったで済ませる鈍感な父親にもどうかな、と思う部分があるのですが、コミュニケーションや関係性の構築の問題があったのだと振り返りを一緒にしました。けれど知らなかった俺には結局は責任がないという印象を感じました。
親からの視点というものの経験がないため、そこは分からないので、何も言えなくなります。けれど、親というプライドがあるから、子供には謝ることはしない、という部分を感じる時もあります。先生は子育て人は正解も不正解もないから、当時の親は親でいろんなストレスがあったんだろうし、一生懸命やってきての今があるわけだから認めないんだと思うよ、と言っていました。
ここの自分の中のモヤモヤは親との癒着を感じるので、精神的な親離れをしたいです。仲はいいのですが、子供の頃から、仲を悪くしないための家族にとっての都合の悪いことを、秘密にすることをやってきていたことが、大人になっての今でも残っていて、その問題を乗り越えたいと思っています。
ただ考え出すと不調になるので、集中することは今の短期的なスケジュールを細かくわかりやすくして取り組むことにします。
放っておいても考えてしまう時に、また解決策を探していこうと思います。

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