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スマホが壊れたきっかけから変化したこと・大学に入り直した日記

以前iphoneの11proを2年半ほど使っていて、姉の2人目の妊娠の報告で喜んだ夜勤の出勤中に落として壊れたのが7ヶ月前です。写真の牛乳は壊れる前に撮った最後の写真です。
それから、友人に5000円で6sを譲ってもらい、以降は基本的に電話と、ネット銀行の残高確認、メールの確認、LINEにスマホを使っています。小さくて軽いので満足しています。
前使っていたiPhone の方が画質も良かったし、画面も大きくて、容量も大きいので、民間の修理屋で直してもらったことがあるのですが、2週間後にまた壊れたので、もう使っていません。
あいにく、iPadがあったので、メインで使うのをiPadに切り替えた部分が大きくなった部分もありますが、1週間は完全に電話もできない生活を送っていました。
スマホがないと、電話がかかってくることがないので、便利ではあるけど、便利なスマホはあれば、暇があれば家の中でも、外でもスマホを使ってネットサーフィンをしたり、SNSをみたり、Youtubeをみて1日を過ごすことことが多かったです。

それから、スマホを使わない時には電話がない期間にラジオを導入して、ラジオで情報収集しながら、空いた時間を読書したり、絵を描いたり、自炊を時間をかけてやったり生活していました。

他のいくらでも絵の上手な人や、SNSで漫画を流したり、猫や犬の写真や、おいしそうな料理、色んな情報が流れてきます。
いいな〜、というみていて心地良くて、楽なのでネットの温泉に浸かって自分の労力を使わない状態が常態化していたな、と今は思います。

電車が止まった時には、地図アプリに頼ってばかりでしたが、街中の地図を見たり、路線図を確認して家に帰ったりするのも、そもそも小学生くらいの頃は自分で覚えて道に慣れていったものでしたし、楽しかったです。
人間の入れ物は変わらないけれど、情報はたくさんあって、なんだか自分のやること、目の前の生活に集中できていなかったように感じました。
それから、今でもTwitterや、Youtubeなどはみていますし、完璧に情報を遮断することは良いことではなく、情報弱者になってしまうので、スマホで今までよくみていたSNSの距離感を見つめ直しました。

食事の記録や、発信したいことを中心に活用する方法です。作ったもの、食事、日記の代わりとして写真をあげることもあります。
また、好きな作家さん探しパトロールはします。あと猫や犬を癒しの時間としてみるけれど、以前のように1日に何時間もSNSに充てることはやめました。
それよりも、自分のやることに十分な時間をかける方が合っていると感じています。あとは作業中に音楽を聴くのによく使っています。

帰省をしたり、予定があったり、イベントがあると1日スマホを見ないことが増えました。今まではひとりで寂しくなると無自覚で時間を潰そうとしていたのだとわかりました。
暇だから、そうやっていて何もしないで充実感を感じる錯覚に浸っていたのだと思います。
誰かの作った美味しそうなご飯も、猫や犬の写真や動画は生き物を飼えない状況にある自分からすると見せてもらってありがたいな、と思っています。それから、線の綺麗な絵や、続きの気になる漫画も、経験談から共感できるような内容のもの、活かせそうな漫画がSNSでは最近多いように感じます。
自分でやってみることって、手間もかかりますし、想像以上にうまくいかない時も、予想していたより何倍も時間がかかることがあります。
最近だとサラダチキンを作ろうとして結局失敗して唐揚げに作り直したことがありました。
でも、自分でやってみることって、リカバリーの方法を探してみたり、新しい感触を知ることができたり、知識が増えたり、技術が身についたりするので楽しいです。

今年から、仕事を一旦辞めて大学に編入し全然専門の違う分野を学ぶことにしました。
予定していたよりも、去年からやや不調になってしまう時が増えてしまったことが不安はあるのですが、リハビリも兼ねて自分のできるペースで取り組んでいこうと思います。

つい先日、入学式のオリエンテーションが終わると、翌日には画材屋に行き、大荷物で帰ってきました。学校に卸している小さな地元の画材屋でした。はるばる電車とバスを乗り継いで1時間近くかけて行くと、お店のご夫婦が画材のことをいろいろと教えてくれました。また、子供の画材を買いに来た方や、お馴染みの方がお店に来られていて、地元の方ともお話しすることができました。
70歳くらいの女性が、新しい画材を買って「新しいやつ買えて嬉しいわ。わくわくするのよ」とお会計の時に言われていて、素敵でした。
その場所の空気感を感じることができて、そういう場に居れることが幸せに思えました。
都会は1人に優しくて楽ですが、居場所がないことも多いです。そういう時に社会人をしながら生活していると自分がブロイラーに思えてきます。いてもいなくても良い、養殖されているような感じです。居場所はあるけど、それは職場だからであって、独身で、友人も多いわけではないので私生活の1人の時間には居場所として実感が乏しくなります。

画材はとても重くて持って帰ってくるのは大変でしたが、直接足を運んでみること、話を伺うことってすごく勉強になリました。
貴重な経験でした。足を運んでよかったです。

作家の坂口恭平さんの本に去年の7月あたりに出会って、生活の中で自分で手を動かしてみることにもっと重点を置いていいんだ、と感じました。また、自分が何かするときに誰かと比較して落ち込む必要がないことも腑に落ちました。比べなくていいんだよ、というのはいろんなところで聞くことがあるけれど、それを実行できる人は少ないです。
参考にしたり、やり方を自分なりに研究するのに見つめ直す際に他の人のやり方を見るのと、自分のものが劣っている、とわざわざ比べて気を落とす工程は全く必要がないことをやっと、わかりました。
これまで、自分がやることが他の人に比べて効率が悪かったり、手間が余分にかかると誰かの邪魔になったり、家族や兄妹から描いたものを否定されることがありました。そういう経験から、上手くできないならやらない方がいい、邪魔にならないように生活していかなきゃ、と意識しない部分で逃げていたところを自覚しました。
何か取り返しが聞かなくなるような、誰かに迷惑をかけるかもしれない、否定されることで傷つくなら、何もしない方がいいと感じていました。

けれど、これから始めることは学ぶところなので、わからなければ聞く人がいます。さらに、絵や料理も金継ぎも自分でやっていくことでできる幅が広がっていきますし、どれに関しても、誰かの邪魔になったりすることはありません。また、自分で考えて選択した道なので、入学式が小学校以来に楽しかったです。太鼓の演奏があって、感動しました。入学式中は不思議な、背筋が伸びて、気が遠のくような感覚でした。初めて知らない人に声をかけて写真を撮ってもらいました。家に着いて、荷物を下ろしてから、涙が出ました。ほっとしたのと、本当に嬉しかったです。働いてお金を貯めたものを学費として使いますが、後悔はしていません。また厳しくなったら働こうと思います。頑張ってきて、よかった、と思いました。

これまで、お弁当作りを2年近く続けたり、中学生の頃は受験勉強の合間にパンを作ったり、実家の小さな家庭菜園の庭でジャガイモや、人参や大葉やバジルなど、野菜を育てたりしていました。
もっと小さい頃は絵を描いたり、外遊びをしたり、楽しかった記憶が残っています。

画材屋のご主人が、帰り際に「昔の人も、上手な人もたくさん失敗して、経験して慣れていったものだから、怖がらずに肩の力を抜いて、楽しむ気持ちでやってみるといいですよ」と声をかけてくれて、心強いお言葉だな、と思いました。とても嬉しかったです。

昨日と今日は大学の年間計画とシラバスの内容とスケジュール管理のための書類を作成していました。一つ一つ内容と、時間と、費用と、学習の方法と、教材の内容を把握しまとめるのはかなり時間がかかりました。
昨日10時間程度と、今日も9時間ほどかけてやっととりあえず1年分ができ、初回の申し込みまでできました。
継続して取り組むことに集中して、体を慣らすように、数年後、自分の形、身になるようにやっていこうと思います。
楽しむ気持ちを忘れずに頑張っていきたいです。



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