優柔不断と行動力どちらにも良さがある

最近、専門職の方のYoutubeで活動を調べていると、その道に入るまでの道筋と行動力に凄いな、と思うことがありました。
今年は主体的に動くことで、他者との繋がりを取ろうと思い、先日は通信制大学の卒業生の方とお話をする機会に参加しました。
ネットを活用しながらミーティングされたり、また細やかなところでの所作や気遣いの仕方が、人生の先輩として参考になることが多く、良い体験となりました。
スケッチ会への参加も検討していましたが、申し込みに優柔不断が出てしまったので、まずは外で行うスケッチチャレンジから始めようと思います。

行動力がないのか、と言われるとそういうわけではなく、大学の頃は運動部未経験から一年かけて1人でフルマラソンを完走したことがあります。
また、車にふとんを積み、ぬいぐるみのカービーを助手席に乗せて、1人で車中泊をしながら九州の南から北へ旅をしたこともあります。
夜中に海辺で写真を撮ったので、予期せずオーブが写ることになったり、車中泊した公園が田舎のヤンキー車の集まりの場で、ライトで照らされたり怖かったですが、良い経験になりました。
それから、社会人になってからは漫画でイベントに出てみようと、働きながら半年かけて下手でしたがコピー本を作って実際にイベントにも参加しました。

また、夜行バスで山梨のほったらかし温泉に隣駅から歩いて行って見て、途中売店で働かれてる方とお話しする出会いがあったりと、1人で楽しむや、達成することには行動力がある方だと感じています。

一方で、主体的に試験を受けたり、社会的な部分での挑戦に対しては臆病になってしまいます。
今日、原点の好きな作家さんは高橋留美子先生の人魚シリーズだと思い、模写をしました。
そのとき、当時小学生の頃に、らんま1/2のシャンプーの模写がめちゃくちゃ上手い友達がいて、衝撃的な差に、ショックを受けて模写に対してコンプレックスを抱えていたことを思い出し、向き合いました。描かれたサイズ感も、プロポーションも、当時完璧に見えました。
1番上手い人しか好きだと感じちゃダメ、かいちゃだめだという、変な思い込みもありましたが、そんなことはなかったです。
変な思い込みに気づいて、自分ではここからがはじまりになります。40歳や50歳の自分がもしいまの自分の状況をみたら、応援するな、と思いました。
好きなことはそうそう変わりません。

いま夢中なことは、イラスト、漫画的な絵、それから美術的な自然や風景に関してです。
亜熱帯植物が好きなことにも最近気が付きました。

世間体で判断されるところや、誰かと比較した上手い下手の壁は行動から逃避したくなるしんどさを運んできます。ここで腐ってしまうと、今まで、これまでと変わらないのです。

変わらないことが1番嫌に感じるのは、画力や表現力の技術が変わらないことです。楽しみながら上手く表現できることに対しては行動力をもっと活かしていこうと思います。今の地点を、底を知り、客観的に行動計画を立てることまでできれば、あとは実践と、振り返りです。

同時進行で不慣れなことをやることは色々しんどくなりますが、マルチタスクのレベルを上げることにもなりますし、なにしろ慣れるまで、という一時的なことだと分かっていれば落ち着くことができます。

行動力があることは、良いことです。決断して、その先の行動を自分で選択して、実践することの挑戦はかけがえのないことです。自分軸が決まっていればいいのです。
また、優柔不断になってしまうこともあります。特に、その先の人生や生活に関わる事で、元には戻せないことや、一度の選択が大きく影響を及ぼす場合、リスク回避をすべきか、自己投資だと判断するか、プレッシャーの大きいことにはすぐ決断できないことは当たり前です。
失敗して、最悪の形になる場合も考えられるからです。やり直すのに、余計な年数が、人生の時間を多く浪費する恐怖はやっぱりあります。

維持することにも努力が必要です。続けないと腕は落ちるし知識は抜けていくので勉強が必要です。
肩の力を抜き、集中して短時間は腰を据えて取り組む、の切り替えが大事なことだな、と。
いまはまさに勉強中の身なので、知識や技術を高めて修得することに向き合い、やっていこうと思いました。それから、健康的に長生きすれば、それだけ好きなキャリアを続けられるので、早く芽を出しことはできなかったにしても、長く続けることで結果を出さやり方が自分のペースなんだと、切り替えて受け入れます。デジタルのこともどんどん思えていきたいですし、振り回されずに使えるようにやって生きます。




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