グレーテルのかまどという番組のすごい!を深く考える

グレーテルのかまどという番組が長く放送されていて、たまたまXのトレンドに上がっていたので、懐かしくなりました。
始まった当初は実家で学生だったのですが、よく見ていました。

NHKでは、朝ドラで現実にいた、いろんなジャンルで活躍された方、また今も活躍されている偉大な方に焦点を当てて、ドラマとして再構成してエンタメと学びや、前向きなエンタメとして昇華する作品を作られます。
グレーテルのかまどの番組が好きなのか、また、この番組が長く愛されている優れた番組だと感じるのはなぜかを掘り下げてみようと思います。

取り上げられる有名人や、作家、研究者、医者など、さまざまな分野で活躍されている、または大きな影響を与えた方に対して、この人がどんな経緯で人生を歩まれてきたのか、また活躍されるまでにどのような人生を歩んできたのかは、その人に対して、多くの人が強く興味が惹かれます。
また、影響を与える、人気がある、有名になる、という多くの人間に貢献することは誰でもできることではないので、希少性が高く、深く知りたい、と思うきっかけになります。

そういった方の、プライベートな部分での衣食住の中の、食に対して、さらに食の中でもハレの日に食べるものがお菓子です。
また、好んで食べられていたお菓子である場合、好き、という感情はその人にとって特別なものであるということです。
好き、もハレの日も、どちらも肯定的、ポジティブなものです。そういう感情を持つお菓子に焦点を当てています。

その方々の人生の経緯と、お菓子との関連性を紐づけて知ることで、プライベートな一面を知ることができます。
先ほどと重複しますが、そのプライベートの中でも特別なときに食べるお菓子には、普段の食事とはまた別の意味を持ちます。
それは、そのお菓子を食べる時、頑張った時であったり、その人が影響を受けた人から知った食べ物で特別な思いがこもっていたり、お菓子を食べてまた頑張ろうと、その先の日常を背中を押してくれるような前向きな意味合いを持つということです。
その前向きな思いを持てるような特別なものを、背景にあるエピソードを紹介するにとどまらないところが、すごいところです。
実際に、番組でそのお菓子を再現して作るのです。

紹介するだけではなく、実際に作りながら、見ている人も再現できるようにしてくれることで、紹介されているすごい方々が食べてきた特別なものを、見ている自分の手で作ることができる、ということです。
それは、取り上げられるすごい方々が食したものを、現在生きている自分も食べる体験につながるきっかけを作ってくれているところがすごいのです。特別なお菓子を、レシピを知る、作る、実際に食べるという体験ができることは、取り上げられているすごい方々と、見ている自分という出会うことがない人の体験を追体験できるように構成されているところが、この番組の凄さだと感じました。

追体験できると、少し特別な人のプライベートな部分を知る、というところも含めて、精神的に少し身近な、現実としてその瞬間はその人を知る行動になります。さらに興味関心が深まると、自らさらに調べたり、深めてみたい!という前向きで、能動的な行動につながってゆくのです。

作られた番組を見る、と決断するところは能動的なことですが、見ている間は受動的です。
けれど、レシピを知ること、作られたお菓子をみること、作った俳優さんが食べて感想を伝えてくれることで、作ってみたい、というきっかけづくりになります。受動的に見ていたことから、見た人が実際に能動的な行動に結びつく可能性があります。この過程に、人を動かす力がありますが、してやろう、動かしてやろいうという、いやらしさが一切ないのです。人を能動的に動かせることって非常に難しいことです。もちろん、番組を見て面白かった!となるのも心地よい体験なので、それも良いのです。

また、レシピから作るのが男性なので、お菓子作りは女性のもの、といった先入観から外れて、お菓子作りを自分でもできるかも、と思わせてくれる、精神的ハードルを下げてくれるのも素敵なところだと感じます。
番組を作る方々って、いろんなことを考えて、素敵なものを生み出して、いろんな人の力で作り上げられているんだな、という凄さを改めて感じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?