流れるまま日誌 廃れた場所が苦手な話

一人暮らしを始めて、7年が経ちました。
もともと小さい頃から転勤族だったので、同じ場所に長く住むことの経験がありません。最初に生まれた時に住んでいたアパートと、それから住んだアパートは3つありましたが、そのうち2つはもう取り壊されています。
それから、土地が変わって、借家と、実家となる家に家族で住みました。

1人暮らしを始めて、家族と暮らした思い入れのある場所がなくなってしまうことは、素直に悲しかったです。心の拠り所だったり、帰る場所がない宙ぶらりんな感覚が残っています。
実家となった場所には7年間住みました。

帰る場所として居場所を作ってくれたので、それを受け入れられたらよかったのですが、兄弟で部屋が同じだったので、プライベートがなく、あまり心地のいい場所ではなかったです。

建物も古くなってきたら、メンテナンスをして、新しいものに変えたりしながら、長く住まわせてもらう必要があります。

土地が変わって、関わる人も変わると、全て一旦リセットされます。
ゲームや、ファンタジーでならよくあることです。
現実でそれを感じるのは、土地も、関わる人も、人付き合いも物理的に距離ができるとそうなります。
それから、新しい場所で自分の居場所を求めて行動していきます。

小さい頃は、散歩をして冒険の感覚で廃墟を見ることにスリルを感じていました。田舎では、レストランや、病院が廃墟になっても数年はそのまま取り残されていることがあります。

以前住んでいたところの唯一残っているアパートを見にいった際、想像していたよりも随分古く、白かった建物がかなり色褪せていて、こんなに古くなっていたことに驚きました。
実際、離れてから13年ほど経っていたので、経年劣化です。
また、実家に帰った際、散歩をしていると、人が住んでいたであろう2階建ての建物が廃墟になって、物理的に歩道側に傾いてました。近づかないようロープが張られていました。

どちらも、歳を重ねることの現実をありありと痛感した思い出になりました。
それから、旅行でシャッター街の目立つ場所や、温泉街で廃墟が並ぶところを見るのが苦手になりました。
苦しい感覚が思い出されるようになったからです。
感覚が変わったな、というのを実感した出来事でした。

過去を懐かしく、良い思い出を抱えて生きるのも悪いことではありません。実際には、忘れてしまった悪い思い出もあるけれど、思い出せないのか、思い出したくないから無意識に蓋をしたのか分からないところもあるとしても、きっとよかったと思う部分が大きかったからそういう記憶になったのだと思います。

未来のことを考えると、目指したい憧れや理想があって、それに近づくための過程をどう歩むべきかをつい考えて行動してしまいます。
けれど、憧れや理想は一筋縄ではもちろん行かなくて、想像していなかった現実とぶつかることが必ずあります。思った方向と全然違う方向に進むこともあります。
経験や技術は勤続年数を重ねる中で身についた自分の財産になったと感じたこともありました。
けれど、今の自分はその財産を使わずに手放して次に行きたいとすら感じていて、けれどそうだと何も残っていないようにリセットされた無価値な状態の自分に戻ることになるように思います。

無くなることは、こわいことです。
記憶や写真だけに残る存在になってしまうことは、少し死に近いと感じるからです。

新しいものを生み出したり、触れたり、経験を積むことができるのは人間だからだと思います。人間は現実に存在するから、そこから無いもの、魅力に思わせてくれるものや、空間や、居場所を生み出すことができます。

魅力に感じるものの、何が魅力なのかを分解してみようと、見つめていく中で、私は他者から自分の魅力に思ったこと、それで工夫してみたことを否定されたことで、見せないようにする隠す方向に進んで行きました。
そういうやり方で過ごしていると、無意識でそういう行動をしていたことを実感しました。
もう良い大人で、自由なのだから、好きに動いて良いはずなのに、セーブしてしまう傾向があります。
好きなものを食べれば良いのに、値段や、注文することで他者から笑われたり、否定されることもありました。
些細なことですが、そういう積み重ねで、失敗することが怖くなりました。
好きなものを好きだから、と行動できる人に憧れてしまいます。
堂々としたいな、と思います。

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