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生きなやむ人 その6 見えない部分の精神的負担が原因かもしれないということ

4月14日にやっと1人で自分の気分転換のために出かけてくることができました。いよいよ新生活が始まり、早寝早起きでリズムを作ることに3ヶ月近く取り組んできました。この生活には期間があります。終わりがあるので、その期間は目一杯集中したい、という焦りがちょっと先走ってしまいました。
調子が良くなった、と実感した夜にTwitterで自殺配信の動画を見てしまい、一気に叩きのめされました。ご冥福をお祈りします。
健康な体を持ち、生活していける状態であっても、終わりを決断すること、どれだけ怯えてたんだろうか、残るご家族のことを思うと、言葉では表せないです。
そういう決断を迫られた状態に追い込んだものがなんなのか、今の社会なのか、新しいものがどんどん技術面でもIT面でも出てくることで認められるフィールドの違いがあるのか、私にはわからないことばかりで、虚しさと悲しさが残ります。

人の関係の中には、家族には家族の、友人には友人の、恋人には恋人の信頼関係が築かれます。
そこに、同じ土台くらいの相手を思う思慮深さを持たないとなかなか辛いことが多いな、と最近よく感じています。
感情労働と呼ばれたり、空気を読む、という風潮が良く聞かれます。
これって、気がきく人が余計に多くの仕事をして、鈍感で気づかない人は気づかないままで労働量として差があります。余計に業務以外の部分でも仕事の中で心遣いをして周りに気を配る方がいらっしゃいます。そういう方は素敵ですが、一部の人に仕事が過剰に負担されるのが当たり前としてみなされるのは不公平だな、と感じます。
また、察するのが上手な人はそういう部分に関して抵抗なくストレートに発言できる人に比べて、ストレートに発するのに大きなストレスを抱えながら発することになります。
言える人は自分の口で主張しない、言わない人自身が悪い、といいます。
発言に関しても、相手のことを思いオブラートに包む1工程を挟んでから発言される方もいます。思いやりのある方だと思います。が、そこに目に見えないけれど相手のことを思いやって発言することでその分頭を働かせて、発言するのにかかる労力によってより疲労が溜まっていきます。
声が大きい方が得な今の世の中で、少数の小さな声で上書きされてしまい、声をあげても無駄だ、という無気力感から何もいえなくなっている方もいます。上書きする人最近はより多いように思いますが、これは失礼なことだと思います。
対人関係でそういった抵抗なく自分ができる部分と、できない部分の相互理解、歩み寄りが大事となってきますが、これが難しいのです。当たり前にできる人は大体がなんでそんなことできないの?と思われますし、できない人ができるように努力したらいいじゃないか、と思う人もいます。
できない人はできない自分が悪いからしょうがない、と思う場合もありますし、相手からも責められ自分でも責めてしまいますよね。
そんなのでは疲れてしまうのは当たり前ですよね。
男だから、女だから、子供だから、大人だから、役職として上だから、下だから、という見方で分断すると余計に自分を守るために誰かを責める人が増えます。また、見た目だけでは他の人を知ることはできません。
これは容姿や服装の話をしたいわけではありません。健康に見えても夜勤明けでクタクタな人もいるでしょうし、病気を抱える人、大きな悲しみを抱える状況、追い詰められた状態の人もいるということです。
痴漢をする人は痴漢にあった人がどういう悲しい気持ちになったかを知ろうとはしませんし、自分さえ良ければいい人は自分の意見が一番正しい価値観なのですから、他人の言葉を聞くこと、吟味することに労力を割きません。
相手の背負っている部分を少し思い合って、一人一人がその人自身として関わることができたらいいのにな、と思います。思いやりを持つことって、気にかける姿勢を持つこと、コミュニケーションを取ること、配慮する姿勢を素直に示すことだと思います。自分にも他者にも素直さを示せること最近の目標です。相手が人というよりもはや話の通じない場合には、妖怪だと思いましょう。中身が未熟すぎる場合、反省することをしない意地汚さをもつ人、被害妄想が激しく相手を許せない人、責任から逃れること、自分しか守ろうとしない人、などです。人間はいいところも悪いところもあります。だから、お互い様なんだと思います。
ただ、限度があるので、そういうよくない部分が発達しすぎた人からはせめて、自分の身や心を守るために、英断してさっとその場から離れる、その人と距離を取ることができるようになることが身を守る方法なのかもしれません。最近は日本人であることの良さすらあまりわかりません。
いい方法を得ていきたいです。

話は全然変わります。
今日は普段より遅く8時に起きて、雨が降って寒さを感じました。
朝起きてからの焦りが強く、自覚なくイライラしているのを感じてしまい、机の上の乱雑な資料や、整理できていない12日に作成した年間計画をさらに取り組む時間を細かく見積もりを出して、どのくらいのペースで一日を過ごすのか、という部分を今早急にやるべきだ、と考えています。
それと、授業によっては自己学習で本を読んだり、動画教材を見た上で取り組むものがあります。日本の美術史について学ぶのですが、これが小さい頃からの疑問で、日本史って都市部のことの歴史なのかな、私の知りたい沖縄に関する歴史はないな、ということです。
本州だけが日本であって、沖縄はまた独自のルーツで琉球王国から沖縄県として成り立っていくのですが、アジアのことを学んだ方が知りたいものとしては近いのかな、と思うのです。
仲間はずれ感があって、日本史がなんであんまり身近に感じられずに好きじゃなかったのかを気づきました。
昔は京都が日本の中心で栄えていたところであったため日本史も平安時代とかは都のある京都がメインになりますよね。
今でいうニュースで東京の情報ばかりを流して、そこまで全国ニュースで本当に流す必要あるのかな、地元のテレビ局の情報はローカルなものが多すぎるし、郷土史になるのかも、となると日本史を学ぶことってどういう意味に繋がるんだろう、と悩みました。
それから、日本史の参考資料として掲載されている書籍の著者を検索し、その先生が何を専門としているのかを探ってみました。
今回は日本画の琳派に詳しい人で、日本(政治の中心となっていた都、京都では日本画作家の主流な方々が生まれた場所であること)を踏まえると、そういった日本史の作家さんの歴史を原点から学んでいくことで日本画家の方々のバックボーンの理解が深まるのかな、と思いました。
ただ、日本史ってなんなんだろうという疑問が取れず、日本は47都道府県もあるわけで、主流なところだけをとって日本と括られるのはどうなのかなあ、と他の都道府県をないがしろにしていないかな、と思いました。1クラスの一番目立った仲間だけでクラスのこと全体を指す時のような不快感です。居場所が元々転勤ばっかりでない自分と勝手に重ねてしまい、なんだか嫌な見え方になったのでした。本当に些細な細かいことなんですが。
温故知新ということわざを思い出して、改めて調べてみました。昔の物事を研究して吟味して、そこから新しい知識や見解を得ることが意味です。
昔の物事を研究することって大事なことだと思いますが、歴史は長いので、どこまで?どこから?という部分で引っかかって行き詰まりました。
弱点として知識として入れる分にはなかなかキャパシティが小さいので、膨大な量だとどこまで、という境界線がわかりません。決断ができず全部知らなきゃ、と思ってしまうのです。
沖縄の美大であればそういう地元に特化した美術史も学ぶことができるのでしょうか。わかりません。
京都にゆかりが全然ないので、よその国のことを聞いているようであんまりピンときません。画家の人の歴史を知る上で、さらに深みを持ってその時の社会情勢であったり、文化を知ることができたらなおその画家を知ることができます。
そういう人を知ることは好きです。けれど、私の場合は興味のある部分から興味の幅を伸ばして学習していくことの方が、身近さをより感じることができます。技法のことや、思想としてどういった部分を軸に持っていたのか、など制作に関わる部分を知るようが優先順位として高いと感じています。相互に勉強していきたいです。
何を学びたいと思っていたかを埋れさせてしまっていました。大学では表現方法や、通信制のいい部分の初学者からもわかる動画教材で初歩から学ぶことができる部分で、絵画の道具をどのように使うのか、表現の方法を専門的で自学では学びきれない部分を学ぶことで自分の身にしていきたいのでした。日中は他の担当の教員の作品やインタビューを探してみていました。この時間が先生の大切にしている部分がちょっと垣間見えてよかったです。

昨日映画を見てから、大きな本屋で美術に関するコーナーをみました。知らない画家もたくさんいますし、日本画の有名な方といえば葛飾北斎や、雪舟、尾形光琳が今パッと出てきました。まだまだたくさんいます。岡本太郎、草間彌生さんの本もそこにありました。西洋画の方がコーナーとしては大きかったです。
美術館も調べてみたらたくさんありますし、スケッチしにいくのにも場所はたくさんあります。何からしたらいいのかちょっとパニックです、これはよくない状態だ、と今日は一旦止まる日にしました。
何が知りたかったのか、よくわからなくなってしまい、数冊本を読んで本屋を後にしました。くたびれました。草間彌生さんの本で今まで知らなかった草間さんのことを知ることができて、あの有名なドット柄について少し草間さんのもつ思想やテーマのような部分を知ることができました。
暴走した状態で、あれもこれもと焦って詰めて考え出すと無理をします。無理なスケジュール・無理な勉強量・ハードなことをすぐにやろうとしてしまいます。何かが壊れて動けなくなるまで自分を追い込むのが悪い癖です。焦ることで、実現がかなり難しいスケジュールを計画立ててしまうと、身の丈に合っていないところまで考えてハードルをあげがちなのです。そうすると、実行の前か、すぐに頓挫します。私は頑張れない部分の線引きも苦手です。
最初の優しい授業から受けてみて、それからまた計画の見つめ直しをしていこうと思います。
焦りは本当に良くないです。ハーブティーを飲んでみて、やけに美味しく感じました。
頑張りたい気持ちと焦りの葛藤が先走ったのに気づけたのはよかったです。
また、昨日の振り返りとして、気分転換するときにも、翌日の生活ペースを壊さないようなリフレッシュをするのが大事だと気づきました。
夜更かしや、過食や、アルコールの摂取などで遅くまで過ごすと、その時はいいのですが、翌日に残る可能性が高いです。睡眠不足であったり、胃腸の不調であったり、二日酔いなどのリスクです。
そういった形ではなく、翌日持ち越さない方法でのリフレッシュを心がけようと思いました。
あと、ネガティブだといい方面に気付きにくいのであって良かったことを記録として残す忘却吉日というメモを始めました。
いいことこそ忘れないように残しておきたいです。

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