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小説 開運三浪生活 23/88「赤点集合!」

一学期もあと数日で終わる土曜日の午後、追試を受けることになった生徒とその保護者が会議室に呼び出され校長の話を聴く、という場が設けられた。この日に先立ち、文生は自分で招いた事態ながら大いに気を揉んだ。――その日は全学年全クラスの赤点犯の親子が一堂に会する。その中には同じ中学のヤツもいるかもしれない。そんな場に母親を呼んだら、公開処刑に発狂してしまうに違いない――。父親を招集する以外に、手はなかった。

集会の時間が来た。文生は父親と並んで前方の席に座った。席が埋まり出した頃、後ろから誰かの母親のささやき声が聞こえてきた。

(あれ、文生君がいる!)

文生は観念した。社会的に抹殺されても致し方ない――。

(理数科って、相当難しいんだね……)

どうやら先方は好意的に文生の状況を解釈してくれたようだった。それとなくちと親を見ると、なぜか微かににやにやしている。

しかめ面の校長が登場した。いかにも頭の固そうな親父といった風貌で、始業式でも終業式でも不機嫌そうな口調で重たいコメントしか宣わない校長に、劣等生の自分たちがどれだけ厳しく叱責されるのか、文生は気が気でなかった。

校長が口を開いた。

「お子さん方はですね。能力をお持ちだから我が校に入ったんです。やればできるはずなんです。毎日早朝から練習している自転車部の生徒たちも、忙しい中で時間を作って勉強しています。赤点取ったら練習させんぞ、と日ごろから言ってます。彼らにできるのだから、皆さんにもきっとできるはずです。わたしは期待しています」

意外な言葉だった。真に受けた父親が、にこにこしながら聴いていた。

数日後、追試の日がやって来た。二年の理数科では、文生を含め二人しか受験者がいなかった。会場は先日保護者を交えての集会が行われた会議室で、科目も学年もごちゃ混ぜに配席されていた。文生の席は、一学年下の女子の隣だった。二つの意味でドキドキしながら席に着いた文生は、初めての光景を目にした。答案用紙には「田崎文生」とすでに氏名が印字されていたのである。

幸い、問題のほうはごくごく簡単だった。元素記号とか、化学式とか、普段の定期考査ではわざわざ出題しないほど基礎的な知識を問う問題が大半で、さすがの文生でも解けた。教師の温情であった。結果、留年はなんとか免れたのだった。

理系のくせに理数科目と英語はお話にならなかった文生だが、国語と地理は得意だった。ろくに勉強していないのに、たまに学年一位になった。

「文系か?」

試験結果の返却のたびに、クラス担任の化学教師にからかわれた。クラスメイトたちの評価も同様で、野田などからも「フミオ、なんで文系にしなかったの?」とよく言われた。

「『文系に生きる』と書いて文生。キミはおとなしく文系に行きなさい!」

国語でいい点数をとるとクラスメイトによくいじられた。「名は体を表すってな」とそのたびに文生はおどけて見せたが、どうでもいい科目でしか高得点が取れない自分がやるせなく、敢えて文の字を選んだ親の命名センスを恨めしく思った。

文生とて、苦手科目をどうにかしようという気持ちがまったくないわけではなかった。高校生活後半からの大逆転を夢想した文生は、一年の時に青チャートを購入して一切手を着けなかった反省から、もうワンランク下の白チャートを「どうしても必要だから」と母親にせがんで購入し(父親はそこに介在しなかった)、数学克服の狼煙だけをひとまず揚げた。だが、帰宅して自室にこもるとまずラジオをつけて野球中継を愉しみ、ラジオの音楽番組をチェックし、歴史小説を読みふけった。

なかでも熱中したのが、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』だった。中三で読んだ坂本龍馬の伝記に感動して以来、明治維新への文生の関心は続いていた。あるとき高校の帰りに古本屋に向かい、文庫版全八巻セットをなけなしの小遣いで買い、喜び勇んで読み進めた。

『竜馬がゆく』で描かれる維新志士たちは、とにかく熱かった。そして竜馬本人が潔かった。文生はすっかり司馬史観のとりこになり、作中に書かれていることを鵜呑みにした。文生にとって維新とは美しい革命であり、時代を変えた薩長のエネルギーにあこがれを抱いた。自分が生まれ育った東北が、あたかも後進の地に思えてきた。

――西日本、いいなあ。

できれば大学は西に行きたい。そういや高校野球だって西のほうが強いじゃねえか。向こうには何かあるんだ、こっちにはないものが――。いつか県境の山を越えたいと願っていた少年は、関東をすっ飛ばして関ケ原以西に思いを馳せていた。


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