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小説 開運三浪生活 84/88「北上川雪景色」

二月二十五日に行われる広大の二次試験まで、六週間あった。ここからは、追い込みである。やるべきことは明確で、試験科目の数学と化学に集中するのみだった。赤本と過去に受けた記述模試の問題を繰り返し解けばいいのである。

センター試験であの点数が取れたのなら、二次でよほどのヘマをしでかさない限り合格はカタいはず——。過去に文生が経てきた広大受験のように、二次で大逆転をかまさない限り合格できないような窮地ではなかった。よくしたもので、あともう少しで合格という好況が、かえって文生のモチベーションを高め、より充実した思いで受験準備に臨むことができた。

記述模試のE判定にショックを受け盛岡駅のホームで黄昏れていた晩秋のワンシーンが遠い昔のことに思えていた――というより、文生の記憶からはとうに消えていた。

それにしても、岩手の冬は厳しい。精神の充実から生活のリズムをまったく取り戻した文生だったが、県立図書館の行き帰りに難渋する日もあった。ある日は帰りの電車が「雪害」という聞いたことのない理由で一時間近く運行を遅らせたり、「線路にカモシカが侵入した」という理由でダイヤが乱れたりした。そんな時は、ノートに書き留めた化学式をひたすら眺めて時間をつぶした。

吹雪のなか盛岡市街から帰った翌日、起きて戸外を見てみると、一階にある駐車場の車が雪にすっぽり埋まっていたこともあった。今さらながら、とんでもない豪雪地帯に自分がいることに驚くのだった。


二月に入ると、文生は開運橋の近くにある予備校、岩手第一ゼミナールに通い出した。五日間にわたる短期講習「国公立大学二次試験直前講習」を受講するためである。

試験答案作成ゼミという副題がついていたこの講習では、本番さながらに模試の問題を解き、その後即講師が解説し、講師が添削した答案がその日のうちに返ってくる。志望校を広大一本に絞っていた文生と言えど、予行演習の必要性を感じての受講だった。もちろん出題内容は広大のそれを想定したものではなかったが、適度に改善点が見つかったので、ちょうどいいトレーニングにはなった。

講習には、本名の田崎文生ではなく、それまでも模試で使用していた「太田興大」で申し込んでいた。答案が返却されるたびに講師から「太田さん」と呼ばれるのだが、その都度一瞬間をおいてから「ハイ!」と必要以上に力強く返事をしていた。何となく、構えてしまうのだった。

受講期間中は、講義のあと教室に残って自習することができた。数学の過去問に当たっていた文生がふと窓外に視線を移すと、北上川の土手から水面へと風に乗った雪が降下していくのが見えた。吹雪は延々と、いつまでも続くように思えた。

――きれいだな…………。

このとき初めて文生は、盛岡という街の美しさを思った。

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